芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の小説。1927年(昭和2)3月『改造』に発表。スウィフト作『ガリバー旅行記』などの先例のある、社会風刺をもった寓意(ぐうい)小説をねらった作品である。ある精神病院の患者が話す、河童の国訪問の体験談の形をとっている。河童の国の「特別保護住民」となった主人公は、人間の社会とはまるで逆になっている河童の国で、胎児が自分で生まれるのを拒否したり、雌が雄を追いかけ回す河童の恋愛を見たり、珍しい体験をするが、結局は憂鬱(ゆううつ)になり人間の世界へ帰ってくる。しかし、人間の醜さにも耐えられず精神病院に入院している。社会批評や風刺よりも、作者自身が当面していた苦悩や問題がそのままの形で出ており、自殺を前にした作者の内面を理解するうえで貴重な作品である。
雨降りの午後、今年中学を卒業した洋一は、二階の机に背を円くしながら、北原白秋風の歌を作っていた。すると「おい」と云う父の声が、突然彼の耳を驚かした。彼は倉皇と振り返る暇にも、ちょうどそこにあった辞書の下に、歌稿を隠す事を忘れなかった。が、幸い父の賢造は、夏外套をひっかけたまま、うす暗い梯子の上り口へ胸まで覗かせているだけだった。「どうもお律の容態が思わしくないから、慎太郎の所へ電報を打ってくれ。」「そんなに悪いの?」洋一は思わず大きな声を出した。
高志の大蛇を退治した素戔嗚は、櫛名田姫を娶ると同時に、足名椎が治めてゐた部落の長となる事になつた。足名椎は彼等夫婦の為に、出雲の須賀へ八広殿を建てた。宮は千木が天雲に隠れる程大きな建築であつた。彼は新しい妻と共に、静な朝夕を送り始めた。風の声も浪の水沫も、或は夜空の星の光も今は再彼を誘つて、広漠とした太古の天地に、さまよはせる事は出来なくなつた。既に父とならうとしてゐた彼は、この宮の太い棟木の下に、――赤と白とに狩の図を描いた、彼の部屋の四壁の内に、高天原の国が与へなかつた炉辺の幸福を見出したのであつた。
『犬と笛』(いぬとふえ)は、芥川龍之介の短編小説。1919年(大正8年)に『赤い鳥』にて発表された。芥川の児童文学中でも冒険色が強い作品である。大和国(現在の奈良県)に住む木こりの髪長彦は、ある日森の中で神に出会う。そこで神に願いはなんだと聞かれると、髪長彦は犬が欲しいと言った。そんな髪長彦の無欲な精神を気に入った神は髪長彦に三匹の犬を与えた。その三匹の犬が特殊な力を持つ犬で、その犬といっしょに囚われの身の大和国の姫を救う旅に出る。
大阪の画工北璿の著はせる古今実物語と云ふ書あり。前後四巻、作者の筆に成れる插画を交ふ。格別稀覯書にはあらざれども、聊か風変りの趣あれば、そのあらましを紹介すべし。 古今実物語は奇談二十一篇を収む。その又奇談は怪談めきたれども、実は少しも怪談ならず。たとへば「幽霊二月堂の牛王をおそるる事」を見よ。 「今西村に兵右衛門と云へる有徳なる百姓ありけるが、かの家にめし使ふ女、みめかたち人にすぐれ、心ざまもやさしかりければ、主の兵右衛門おりおり忍びかよひける。
肥後の細川家の家中に、田岡甚太夫と云う侍がいた。これは以前日向の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭に陞っていた内藤三左衛門の推薦で、新知百五十石に召し出されたのであった。ところが寛文七年の春、家中の武芸の仕合があった時、彼は表芸の槍術で、相手になった侍を六人まで突き倒した。その仕合には、越中守綱利自身も、老職一同と共に臨んでいたが、余り甚太夫の槍が見事なので、さらに剣術の仕合をも所望した。