ある春の夕、Padre Organtino はたった一人、長いアビト(法衣)の裾を引きながら、南蛮寺の庭を歩いていた。庭には松や檜の間に、薔薇だの、橄欖だの、月桂だの、西洋の植物が植えてあった。殊に咲き始めた薔薇の花は、木々を幽かにする夕明りの中に、薄甘い匂を漂わせていた。それはこの庭の静寂に、何か日本とは思われない、不可思議な魅力を添えるようだった。オルガンティノは寂しそうに、砂の赤い小径を歩きながら、ぼんやり追憶に耽っていた。羅馬の大本山、リスポアの港、羅面琴の音、巴旦杏の味、「御主、わがアニマ(霊魂)の鏡」の歌――そう云う思い出はいつのまにか、この紅毛の沙門の心へ、懐郷の悲しみを運んで来た。
何しろ南瓜が人を殺す世の中なんだから、驚くよ。どう見たつて、あいつがそんな大それた真似をしようなんぞとは思はれないぢやないか。なにほんものの南瓜か? 冗談云つちやいけない。南瓜は綽号だよ。南瓜の市兵衛と云つてね。吉原ぢや下つぱの――と云ふよりや、まるで数にはいつてゐない太鼓持なんだ。そんな事を聞く位ぢや、君はあいつを見た事がないんだらう。そりや惜しい事をしたね。もう今ぢや赤い着物を着てゐるだらうから、見たいつたつて、ちよいとは見られるもんぢやない。頭でつかちの一寸法師見たいなやつでね、夫がフロツクに緋天鳶絨のチヨツキと云ふ拵へなんだから、ふるつてゐたよ。
五叔其实比我大不了多少,就是辈分比我大,我爷爷的爸爸和他的爷爷是兄弟,我给他的爸叫爷爷,给他叫五叔,五叔的小名叫石头,家里面希望他像石头一样瓷实坚强,五叔是他们家里最小的一个孩子,他还有一个哥哥大他三四岁。五叔小时候得过一场大病,应该是甲亢,家里人想了很多办法去医治效果都不是很好,最后在脖子上面动了手术,后来才慢慢好了起来,记得小时候我经常会好奇的盯着五叔的脖子看,感觉特别奇怪就问大人,大人都说这是缺少碘才得的病,所以我对碘盐和甲亢的关系印象比较深,后来也没事喜欢多吃海带。
日本东京有一条最繁华、最热闹的街道叫做银座。日本的店铺多系木造而矮小,高的也不过有一层楼。银座的商店却多属铁筋和砖石的建筑,高的高入云霄,矮的也有二三层楼,在日本国内要算最好的大街道了。譬如别的能通电车的街道一遇下雨便泥泞不堪,唯有这银座的街路都用石砖敷着,异常好走。中间的车道铺着木砖,车行无声。不要说和欧美的宏壮的街道比较,单把上海香港的和它比较,银座本不算什么;不过东京有名大商店都群集在这银座,来往的人数也比别的街道多。天气佳的时候,许多行商在店前街道上摆设夜摊,卖些装饰品,化妆药料,旧书籍,衣履和饼果等,种类繁多,算不清楚。
童話時代のうす明りの中に、一人の老人と一頭の兎とは、舌切雀のかすかな羽音を聞きながら、しづかに老人の妻の死をなげいてゐる。とほくに懶い響を立ててゐるのは、鬼ヶ島へ通ふ夢の海の、永久にくづれる事のない波であらう。老人の妻の屍骸を埋めた土の上には、花のない桜の木が、ほそい青銅の枝を、細く空にのばしてゐる。その木の上の空には、あけ方の半透明な光が漂つて、吐息ほどの風さへない。やがて、兎は老人をいたわりながら、前足をあげて、海辺につないである二艘の舟を指さした。舟の一つは白く、一つは墨をなすつたやうに黒い。
この間、社の用でYへ行った時の話だ。向うで宴会を開いて、僕を招待してくれた事がある。何しろYの事だから、床の間には石版摺りの乃木大将の掛物がかかっていて、その前に造花の牡丹が生けてあると云う体裁だがね。夕方から雨がふったのと、人数も割に少かったのとで、思ったよりや感じがよかった。その上二階にも一組宴会があるらしかったが、これも幸いと土地がらに似ず騒がない。所が君、お酌人の中に――君も知っているだろう。僕らが昔よく飲みに行ったUの女中に、お徳って女がいた。鼻の低い、額のつまった、あすこ中での茶目だった奴さ。あいつが君、はいっているんだ。
横浜。日華洋行の主人陳彩は、机に背広の両肘を凭せて、火の消えた葉巻を啣えたまま、今日も堆い商用書類に、繁忙な眼を曝していた。更紗の窓掛けを垂れた部屋の内には、不相変残暑の寂寞が、息苦しいくらい支配していた。その寂寞を破るものは、ニスの※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)のする戸の向うから、時々ここへ聞えて来る、かすかなタイプライタアの音だけであった。書類が一山片づいた後、陳はふと何か思い出したように、卓上電話の受話器を耳へ当てた。「私の家へかけてくれ給え。」陳の唇を洩れる言葉は、妙に底力のある日本語であった。
自分の今寝ころんでゐる側に、古い池があつて、そこに蛙が沢山ゐる。池のまはりには、一面に芦や蒲が茂つてゐる。その芦や蒲の向うには、背の高い白楊の並木が、品よく風に戦いでゐる。その又向うには、静な夏の空があつて、そこには何時も細い、硝子のかけのやうな雲が光つてゐる。さうしてそれらが皆、実際よりも遙に美しく、池の水に映つてゐる。蛙はその池の中で、永い一日を飽きず、ころろ、かららと鳴きくらしてゐる。ちよいと聞くと、それが唯ころろ、かららとしか聞えない。が、実は盛に議論を闘してゐるのである。蛙が口をきくのは、何もイソツプの時代ばかりと限つてゐる訳ではない。
……わたしはこの温泉宿にもう一月ばかり滞在しています。が、肝腎の「風景」はまだ一枚も仕上げません。まず湯にはいったり、講談本を読んだり、狭い町を散歩したり、――そんなことを繰り返して暮らしているのです。我ながらだらしのないのには呆れますが。(作者註。この間に桜の散っていること、鶺鴒の屋根へ来ること、射的に七円五十銭使ったこと、田舎芸者のこと、安来節芝居に驚いたこと、蕨狩りに行ったこと、消防の演習を見たこと、蟇口を落したことなどを記せる十数行あり。)それから次手に小説じみた事実談を一つ報告しましょう。もっともわたしは素人ですから、小説になるかどうかはわかりません。