かちかち山 - 芥川龍之介
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かちかち山

( 咔嚓咔嚓山 )
作者:芥川龍之介 阅读:1435 喜欢:0 语言:日语

童話時代のうす明りの中に、一人の老人と一頭のうさぎとは、舌切雀したきりすずめのかすかな羽音を聞きながら、しづかに老人の妻の死をなげいてゐる。とほくにものうい響を立ててゐるのは、鬼ヶ島へかよふ夢の海の、永久にくづれる事のない波であらう。

老人の妻の屍骸しがいを埋めた土の上には、花のない桜の木が、ほそい青銅の枝を、こまかく空にのばしてゐる。その木の上の空には、あけ方の半透明な光がただよつて、吐息といきほどの風さへない。

やがて、兎は老人をいたわりながら、前足をあげて、海辺につないである二艘にさうの舟を指さした。舟の一つは白く、一つは墨をなすつたやうに黒い。

老人は、涙にぬれた顔をあげて、うなづいた。

童話時代のうす明りの中に、一人の老人と一頭の兎とは、花のない桜の木の下に、互に互をなぐさめながら、力なく別れをつげた。老人は、うづくまつたまま泣いてゐる。兎は何度も後をふりむきながら、舟の方へ歩いてゆく。その空には、舌切雀のかすかな羽音がして、あけ方の半透明な光も、何時か少しづつひろがつて来た。

黒い舟の上には、さつきから、一頭のたぬきが、ぢつと波の音を聞いてゐる。これは龍宮の燈火ともしびの油をぬすむつもりであらうか。或は又、水の中に住む赤魚あかめの恋をねたんででもゐるのであらうか。

兎は、狸の傍に近づいた。さうして、彼等はおもむろに遠い昔の話をし始めた。彼等が、火の燃える山と砂の流れる河との間にゐて、おごそかにけものいのちをまもつてゐた「むかしむかし」の話である。

童話時代のうす明りの中に、一頭の兎と一頭の狸とは、それぞれ白い舟と黒い舟とに乗つて、静に夢の海へいで出た。永久にくづれる事のない波は、善悪の舟をめぐつて、ものうい子守唄をうたつてゐる。

花のない桜の木の下にゐた老人は、この時やうやく頭をあげて、海の上へ眼をやつた。

くもりながら、白く光つてゐる海の上には、二頭の獣が、最後の争ひをつづけてゐる。おもむろに沈んで行く黒い舟には、狸が乗つてゐるのではなからうか。さうして、その近くに浮いてゐる、白い舟には、兎が乗つてゐるのではなからうか。

老人は、涙にぬれた眼をかがやかせて、海の上の兎をたすけるやうに、高く両の手をさしあげた。

見よ。それと共に、花のない桜の木には、貝殻かひがらのやうな花がさいた。あけ方の半透明な光にあふれた空にも、青ざめたきんいろの日輪が、さし昇つた。

童話時代の明け方に、――獣性の獣性を亡ぼす争ひに、歓喜する人間を象徴しようとするのであらう、日輪は、さうして、その下にさく象嵌ざうがんのやうな桜の花は。