「何しろ項羽と云う男は、英雄の器じゃないですな。」漢の大将呂馬通は、ただでさえ長い顔を、一層長くしながら、疎な髭を撫でて、こう云った。彼の顔のまわりには、十人あまりの顔が、皆まん中に置いた燈火の光をうけて、赤く幕営の夜の中にうき上っている。その顔がまた、どれもいつになく微笑を浮べているのは、西楚の覇王の首をあげた今日の勝戦の喜びが、まだ消えずにいるからであろう。――「そうかね。」鼻の高い、眼光の鋭い顔が一つ、これはやや皮肉な微笑を唇頭に漂わせながら、じっと呂馬通の眉の間を見ながら、こう云った。呂馬通は何故か、いささか狼狽したらしい。
子供の時の愛読書は「西遊記」が第一である。これ等は今日でも僕の愛読書である。比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。名高いバンヤンの「天路歴程」なども到底この「西遊記」の敵ではない。それから「水滸伝」も愛読書の一つである。これも今以て愛読してゐる。一時は「水滸伝」の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記してゐたことがある。その時分でも押川春浪氏の冒険小説や何かよりもこの「水滸伝」だの「西遊記」だのといふ方が遥かに僕に面白かつた。
雌蜘蛛は真夏の日の光を浴びたまま、紅い庚申薔薇の花の底に、じっと何か考えていた。すると空に翅音がして、たちまち一匹の蜜蜂が、なぐれるように薔薇の花へ下りた。蜘蛛は咄嗟に眼を挙げた。ひっそりした真昼の空気の中には、まだ蜂の翅音の名残りが、かすかな波動を残していた。雌蜘蛛はいつか音もなく、薔薇の花の底から動き出した。蜂はその時もう花粉にまみれながら、蕊の下にひそんでいる蜜へ嘴を落していた。残酷な沈黙の数秒が過ぎた。紅い庚申薔薇の花びらは、やがて蜜に酔った蜂の後へ、おもむろに雌蜘蛛の姿を吐いた。
立てきった障子にはうららかな日の光がさして、嵯峨たる老木の梅の影が、何間かの明みを、右の端から左の端まで画の如く鮮に領している。元浅野内匠頭家来、当時細川家に御預り中の大石内蔵助良雄は、その障子を後にして、端然と膝を重ねたまま、さっきから書見に余念がない。書物は恐らく、細川家の家臣の一人が借してくれた三国誌の中の一冊であろう。九人一つ座敷にいる中で、片岡源五右衛門は、今し方厠へ立った。早水藤左衛門は、下の間へ話しに行って、未にここへ帰らない。
この間、社の用でYへ行った時の話だ。向うで宴会を開いて、僕を招待してくれた事がある。何しろYの事だから、床の間には石版摺りの乃木大将の掛物がかかっていて、その前に造花の牡丹が生けてあると云う体裁だがね。夕方から雨がふったのと、人数も割に少かったのとで、思ったよりや感じがよかった。その上二階にも一組宴会があるらしかったが、これも幸いと土地がらに似ず騒がない。所が君、お酌人の中に――君も知っているだろう。僕らが昔よく飲みに行ったUの女中に、お徳って女がいた。鼻の低い、額のつまった、あすこ中での茶目だった奴さ。あいつが君、はいっているんだ。
ある夏の日、笠をかぶった僧が二人、朝鮮平安南道竜岡郡桐隅里の田舎道を歩いていた。この二人はただの雲水ではない。実ははるばる日本から朝鮮の国を探りに来た加藤肥後守清正と小西摂津守行長とである。二人はあたりを眺めながら、青田の間を歩いて行った。するとたちまち道ばたに農夫の子らしい童児が一人、円い石を枕にしたまま、すやすや寝ているのを発見した。加藤清正は笠の下から、じっとその童児へ目を落した。「この小倅は異相をしている。」鬼上官は二言と云わずに枕の石を蹴はずした。が、不思議にもその童児は頭を土へ落すどころか、石のあった空間を枕にしたなり、不相変静かに寝入っている!
横浜。日華洋行の主人陳彩は、机に背広の両肘を凭せて、火の消えた葉巻を啣えたまま、今日も堆い商用書類に、繁忙な眼を曝していた。更紗の窓掛けを垂れた部屋の内には、不相変残暑の寂寞が、息苦しいくらい支配していた。その寂寞を破るものは、ニスの※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)のする戸の向うから、時々ここへ聞えて来る、かすかなタイプライタアの音だけであった。書類が一山片づいた後、陳はふと何か思い出したように、卓上電話の受話器を耳へ当てた。「私の家へかけてくれ給え。」陳の唇を洩れる言葉は、妙に底力のある日本語であった。
誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。尤も僕の自殺する動機は特に君に伝へずとも善い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いてゐる。この短篇の主人公は何の為に自殺するかを彼自身も知つてゐない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。
この話の主人公は忍野半三郎と言う男である。生憎大した男ではない。北京の三菱に勤めている三十前後の会社員である。半三郎は商科大学を卒業した後、二月目に北京へ来ることになった。同僚や上役の評判は格別善いと言うほどではない。しかしまた悪いと言うほどでもない。まず平々凡々たることは半三郎の風采の通りである。もう一つ次手につけ加えれば、半三郎の家庭生活の通りである。半三郎は二年前にある令嬢と結婚した。令嬢の名前は常子である。これも生憎恋愛結婚ではない。ある親戚の老人夫婦に仲人を頼んだ媒妁結婚である。常子は美人と言うほどではない。
ある春の夕、Padre Organtino はたった一人、長いアビト(法衣)の裾を引きながら、南蛮寺の庭を歩いていた。庭には松や檜の間に、薔薇だの、橄欖だの、月桂だの、西洋の植物が植えてあった。殊に咲き始めた薔薇の花は、木々を幽かにする夕明りの中に、薄甘い匂を漂わせていた。それはこの庭の静寂に、何か日本とは思われない、不可思議な魅力を添えるようだった。オルガンティノは寂しそうに、砂の赤い小径を歩きながら、ぼんやり追憶に耽っていた。羅馬の大本山、リスポアの港、羅面琴の音、巴旦杏の味、「御主、わがアニマ(霊魂)の鏡」の歌――そう云う思い出はいつのまにか、この紅毛の沙門の心へ、懐郷の悲しみを運んで来た。