愛読書の印象 - 芥川龍之介
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愛読書の印象

( 爱书的印象 )
作者:芥川龍之介 阅读:907 喜欢:0 语言:日语

子供の時の愛読書は「西遊記」が第一である。これ等は今日でも僕の愛読書である。比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。名高いバンヤンの「天路歴程」なども到底この「西遊記」の敵ではない。それから「水滸伝」も愛読書の一つである。これも今以て愛読してゐる。一時は「水滸伝」の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記(あんき)してゐたことがある。その時分でも押川春浪氏の冒険小説や何かよりもこの「水滸伝」だの「西遊記」だのといふ方が遥かに僕に面白かつた。

我小时候最喜欢读的书是《西游记》。这本书至今也还是我心头好。作为神话小说,我认为在西方这么出色的作品一本也没有。即使是著名作家班扬的《天路历程》也无法与之相提并论。其次,《水浒传》也是我的心头好之一。这本至今也是爱不释手。甚至曾一度能记下一百零八名好汉的名字。那个时候即便是押川春浪的冒险小说或其他任何小说,都没有《水浒传》与《西游记》更能吸引我的眼球。

中学へ入学前から徳富蘆花氏の「自然と人生」や樗牛の「平家雑感」や小島烏水氏の「日本山水論」を愛読した。同時に、夏目さんの「猫」や鏡花氏の「風流線」や緑雨の「あられ酒」を愛読した。だから人の事は笑へない。僕にも「文章倶楽部」の「青年文士録」の中にあるやうな「トルストイ、坪内士行、大町桂月」時代があつた。

升中学之前,我喜欢读德富卢花氏的《自然与人生》,樗牛的《平家杂感》,还有小岛鸟水氏的《日本山水论》。同时,也很喜欢读夏目漱石的《猫》,镜花氏的《风流线》,绿雨的《那些酒》。因此,我也并不是轻视别的作家。而且我也曾读过文章俱乐部编辑的《青年文学家》里所收录的托尔斯泰、坪内士行、大町桂月的作品。

中学を卒業してから色んな本を読んだけれども、特に愛読した本といふものはないが、概して云ふと、ワイルドとかゴーチエとかいふやうな絢爛(けんらん)とした小説が好きであつた。それは僕の気質からも来てゐるであらうけれども、一つは慥(たし)かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。ところが、高等学校を卒業する前後から、どういふものか趣味や物の見方に大きな曲折が起つて、前に言つたワイルドとかゴーチエとかといふ作家のものがひどくいやになつた。ストリンドベルクなどに傾倒したのはこの頃である。その時分の僕の心持からいふと、ミケエロ・アンヂエロ風な力を持つてゐない芸術はすべて瓦礫のやうに感じられた。これは当時読んだ「ジヤンクリストフ」などの影響であつたらうと思ふ。

中学毕业后,我读了各种各样的书,虽然没有特别喜欢的书,但总体上来说,像王尔德、戈蒂埃等作家的所写的华丽的小说我还是比较喜欢的。这可能与我本身的性格有关,另外一个原因就是对日本自然小说的厌恶。但是高中毕业后,不知为何兴趣和看法都有了很大的改变,之前所说的王尔德、戈蒂埃等作家的书我也变得非常讨厌。而变得倾向斯特林堡等作家的书。对于那时的心境来说,带有色情成分而没有深度的艺术都如同垃圾一样。这可能是当时读了《约翰•克里斯多夫》的影响吧。

さういふ心持が大学を卒業する後までも続いたが、段々燃えるやうな力の崇拝もうすらいで、一年前から静かな力のある書物に最も心を惹かれるやうになつてゐる。但、静かなと言つてもたゞ静かだけでも力のないものには余り興味がない。スタンダールやメリメエや日本物で西鶴などの小説はこの点で今の僕には面白くもあり、又ためにもなる本である。

虽然这种心境持续到大学毕业后,但后来渐渐对华丽而有深度的崇拜也变得淡薄起来,一年前觉得平淡而有深度的书却变得最能牵动我的心。虽说平淡,但是对于平淡而没有深度的书就一点兴趣也没有。司汤达、梅里美和日本的西鹤等小说就这点来说既有平淡出彩的一面,也有平淡无奇的一面。

序ながら附け加へておくが、此間「ジヤンクリストフ」を出して読んで見たが、昔ほど感興が乗らなかつた。あの時分の本はだめなのかと思つたが、「アンナカレニナ」を出して二三章読んで見たら、これは昔のやうに有難い気がした。

作为序言顺便还补充一点,这段时间翻出《约翰•克里斯多夫》读了一下,觉得没有之前那么感兴趣了。难道那个时候的书写得不好吗?但翻出《安娜•卡列尼娜》看了两三章后,这倒和以前一样觉得难能可贵。