雨降りの午後、今年中学を卒業した洋一は、二階の机に背を円くしながら、北原白秋風の歌を作っていた。すると「おい」と云う父の声が、突然彼の耳を驚かした。彼は倉皇と振り返る暇にも、ちょうどそこにあった辞書の下に、歌稿を隠す事を忘れなかった。が、幸い父の賢造は、夏外套をひっかけたまま、うす暗い梯子の上り口へ胸まで覗かせているだけだった。「どうもお律の容態が思わしくないから、慎太郎の所へ電報を打ってくれ。」「そんなに悪いの?」洋一は思わず大きな声を出した。
中学の三年の時だった。三学期の試験をすませたあとで、休暇中読む本を買いつけの本屋から、何冊だか取りよせたことがある。夏目先生の虞美人草なども、その時その中に交っていたかと思う。が、中でもいちばん大部だったのは、樗牛全集の五冊だった。自分はそのころから非常な濫読家だったから、一週間の休暇の間に、それらの本を手に任せて読み飛ばした。もちろん樗牛全集の一巻、二巻、四巻などは、読みは読んでもむずかしくって、よく理窟がのみこめなかったのにちがいない。が、三巻や五巻などは、相当の興味をもって、しまいまで読み通すことができたように記憶する。
十回,清光绪三十二年(1906)群学社刊行。作者符霖,生平事迹不详。此书出版时标“哀情小说”。作者主旨言情,批评传统的“父母之命,媒妁之言”给青年男女造成爱情悲剧的罪过。小说作者把悲剧的原因归结到封建婚姻制度的束缚,以切肤之痛控诉其罪恶。这在当时是有一定积极意义的。对义和团运动,由于作者不理解,难免有诋毁之词,这也是当时普通文人常有的局限。在表现手法上,全书用第一人称叙事,令人觉得作者就是在写自己的一段不堪回首的痛苦经历,口气哀怨凄婉,造成了笼罩全书的悲剧气氛,比较感人。虽书中明确说《禽海石》小说是秦如华据自身经历写成的,但此亦小说家言,未可尽信,不能把小说人物秦如华和本书作者符霖之间画上等号。