お時儀 - 芥川龍之介
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お時儀

( 时事 )
作者:芥川龍之介 阅读:1177 喜欢:0 语言:日语

保吉やすきちは三十になったばかりである。その上あらゆる売文業者のように、目まぐるしい生活を営んでいる。だから「明日みょうにち」は考えても「昨日さくじつ」は滅多めったに考えない。しかし往来を歩いていたり、原稿用紙に向っていたり、電車に乗っていたりするあいだにふと過去の一情景をあざやかに思い浮べることがある。それは従来の経験によると、たいてい嗅覚きゅうかくの刺戟から聯想れんそうを生ずる結果らしい。そのまた嗅覚の刺戟なるものも都会に住んでいる悲しさには悪臭と呼ばれるにおいばかりである。たとえば汽車の煤煙の匂は何人なんびとぎたいと思うはずはない。けれどもあるお嬢さんの記憶、――五六年まえに顔を合せたあるお嬢さんの記憶などはあの匂を嗅ぎさえすれば、煙突からほとばしる火花のようにたちまちよみがえって来るのである。

このお嬢さんにったのはある避暑地の停車場ていしゃばである。あるいはもっと厳密に云えば、あの停車場のプラットフォオムである。当時その避暑地に住んでいた彼は、雨が降っても、風が吹いても、午前は八時発のくだり列車に乗り、午後は四時二十分着ののぼり列車を降りるのを常としていた。なぜまた毎日汽車に乗ったかと云えば、――そんなことは何でも差支えない。しかし毎日汽車になど乗れば、一ダズンくらいの顔馴染かおなじみはたちまちの内に出来てしまう。お嬢さんもそのうちの一人である。けれども午後には七草ななくさから三月の二十何日かまで、一度も遇ったと云う記憶はない。午前もお嬢さんの乗る汽車は保吉には縁のない上り列車である。

お嬢さんは十六か十七であろう。いつも銀鼠ぎんねずみの洋服に銀鼠の帽子をかぶっている。はむしろ低い方かも知れない。けれども見たところはすらりとしている。殊にあしは、――やはり銀鼠の靴下くつしたかかとの高い靴をはいた脚は鹿の脚のようにすらりとしている。顔は美人と云うほどではない。しかし、――保吉はまだ東西を論ぜず、近代の小説の女主人公じょしゅじんこうに無条件の美人を見たことはない。作者は女性の描写になると、たいてい「彼女は美人ではない。しかし……」とか何とかことわっている。あんずるに無条件の美人を認めるのは近代人の面目めんもくかかわるらしい。だから保吉もこのお嬢さんに「しかし」と云う条件を加えるのである。――念のためにもう一度繰り返すと、顔は美人と云うほどではない。しかしちょいと鼻の先の上った、愛敬あいきょうの多い円顔まるがおである。

お嬢さんはさわがしい人ごみの中にぼんやり立っていることがある。人ごみを離れたベンチの上に雑誌などを読んでいることがある。あるいはまた長いプラットフォオムのふちをぶらぶら歩いていることもある。

保吉はお嬢さんの姿を見ても、恋愛小説に書いてあるような動悸どうきなどの高ぶった覚えはない。ただやはり顔馴染みの鎮守府ちんじゅふ司令長官や売店の猫を見た時の通り、「いるな」と考えるばかりである。しかしとにかく顔馴染みに対する親しみだけはいだいていた。だから時たまプラットフォオムにお嬢さんの姿を見ないことがあると、何か失望に似たものを感じた。何か失望に似たものを、――それさえ痛切には感じたわけではない。保吉は現に売店の猫が二三日行くえをくらました時にも、全然変りのない寂しさを感じた。もし鎮守府司令長官も頓死とんしか何か遂げたとすれば、――この場合はいささか疑問かも知れない。が、まず猫ほどではないにしろ、勝手の違う気だけは起ったはずである。

ところが三月の二十何日か、生暖なまあたたかい曇天の午後のことである。保吉はその日も勤め先から四時二十分着の上り列車に乗った。何でもかすかな記憶によれば、調べ仕事に疲れていたせいか、汽車の中でもふだんのように本を読みなどはしなかったらしい。ただ窓べりによりかかりながら、春めいた山だのはたけだのを眺めていたように覚えている。いつか読んだ横文字の小説に平地を走る汽車の音を「Tratata tratata Tratata」と写し、鉄橋を渡る汽車の音を「Trararach trararach」と写したのがある。なるほどぼんやり耳を貸していると、ああ云う風にも聞えないことはない。――そんなことを考えたのも覚えている。

保吉は物憂ものうい三十分ののち、やっとあの避暑地の停車場ていしゃばへ降りた。プラットフォオムには少し前に着いた下り列車も止っている。彼は人ごみにまじりながら、ふとその汽車を降りる人を眺めた。すると――意外にもお嬢さんだった。保吉は前にも書いたように、午後にはまだこのお嬢さんと一度も顔を合せたことはない。それが今不意に目の前へ、日の光りをかした雲のような、あるいは猫柳ねこやなぎの花のような銀鼠ぎんねずみの姿を現したのである。彼は勿論「おや」と思った。お嬢さんも確かにその瞬間、保吉の顔を見たらしかった。と同時に保吉は思わずお嬢さんへお時儀じぎをしてしまった。

お時儀をされたお嬢さんはびっくりしたのに相違あるまい。が、どう云う顔をしたか、生憎あいにくもう今では忘れている。いや、当時もそんなことは見定みさだめる余裕を持たなかったのであろう。彼は「しまった」と思うが早いか、たちまち耳の火照ほてり出すのを感じた。けれどもこれだけは覚えている。――お嬢さんも彼に会釈えしゃくをした!

やっと停車場の外へ出た彼は彼自身のに憤りを感じた。なぜまたお時儀などをしてしまったのであろう? あのお時儀は全然反射的である。ぴかりと稲妻いなづまの光る途端にまたたきをするのも同じことである。すると意志の自由にはならない。意思の自由にならない行為は責任を負わずともいはずである。けれどもお嬢さんは何と思ったであろう? なるほどお嬢さんも会釈をした。しかしあれは驚いた拍子ひょうしにやはり反射的にしたのかも知れない。今ごろはずいぶん保吉を不良少年と思っていそうである。一そ「しまった」と思った時に無躾ぶしつけびてしまえばかった。そう云うことにも気づかなかったと云うのは………

保吉は下宿へ帰らずに、人影の見えない砂浜すなはまへ行った。これは珍らしいことではない。彼は一月五円の貸間と一食五十銭の弁当とにしみじみ世の中がいやになると、必ずこの砂の上へグラスゴオのパイプをふかしに来る。この日も曇天の海を見ながら、まずパイプへマッチの火を移した。今日きょうのことはもう仕方がない。けれどもまた明日あすになれば、必ずお嬢さんと顔を合せる。お嬢さんはその時どうするであろう? 彼を不良少年と思っていれば、一瞥いちべつを与えないのは当然である。しかし不良少年と思っていなければ、明日もまた今日のように彼のお時儀に答えるかも知れない。彼のお時儀に? 彼は――堀川保吉ほりかわやすきちはもう一度あのお嬢さんに恬然てんぜんとお時儀をする気であろうか? いや、お時儀をする気はない。けれども一度お時儀をした以上、何かの機会にお嬢さんも彼も会釈をし合うことはありそうである。もし会釈をし合うとすれば、……保吉はふとお嬢さんのまゆの美しかったことを思い出した。

爾来じらい七八年を経過した今日、その時の海の静かさだけは妙にあざやかに覚えている。保吉はこう云う海を前に、いつまでもただ茫然と火の消えたパイプをくわえていた。もっとも彼の考えはお嬢さんの上にばかりあったわけではない。たとえば近々きんきんとりかかるはずの小説のことも思い浮かべた。その小説の主人公は革命的精神に燃え立った、ある英吉利イギリス語の教師である。鯁骨こうこつの名の高い彼のくびはいかなる権威にも屈することを知らない。ただし前後にたった一度、ある顔馴染かおなじみのお嬢さんへうっかりお時儀をしてしまったことがある。お嬢さんは背は低い方かも知れない。けれども見たところはすらりとしている。殊に銀鼠の靴下のかかとの高い靴をはいた脚は――とにかく自然とお嬢さんのことを考え勝ちだったのは事実かも知れない。………

翌朝よくあさの八時五分まえである。保吉は人のこみ合ったプラットフォオムを歩いていた。彼の心はお嬢さんと出会った時の期待に張りつめている。出会わずにすましたい気もしないではない。が、出会わずにすませるのは不本意のことも確かである。云わば彼の心もちは強敵との試合を目前に控えた拳闘家けんとうかの気組みと変りはない。しかしそれよりも忘れられないのはお嬢さんと顔を合せた途端とたんに、何か常識を超越した、莫迦莫迦ばかばかしいことをしはしないかと云う、妙に病的な不安である。昔、ジァン・リシュパンは通りがかりのサラア・ベルナアルへ傍若無人ぼうじゃくぶじんの接吻をした。日本人に生れた保吉はまさか接吻はしないかも知れないけれどもいきなり舌を出すとか、あかんべいをするとかはしそうである。彼は内心ひやひやしながら、さがすように捜さないようにあたりの人々を見まわしていた。

するとたちまち彼の目は、悠々とこちらへ歩いて来るお嬢さんの姿を発見した。彼は宿命を迎えるように、まっすぐに歩みをつづけて行った。二人は見る見る接近した。十歩、五歩、三歩、――お嬢さんは今目の前に立った。保吉は頭をもたげたまま、まともにお嬢さんの顔を眺めた。お嬢さんもじっと彼の顔へ落着いた目を注いでいる。二人は顔を見合せたなり、何ごともなしに行き違おうとした。

ちょうどその刹那せつなだった。彼は突然お嬢さんの目に何か動揺に似たものを感じた。同時にまたほとんど体中からだじゅうにお時儀をしたい衝動を感じた。けれどもそれは懸け値なしに、一瞬のあいだの出来事だった。お嬢さんははっとした彼をうしろにしずしずともう通り過ぎた。日の光りをかした雲のように、あるいは花をつけた猫柳ねこやなぎのように。………

二十分ばかりたったのち、保吉は汽車に揺られながら、グラスゴオのパイプをくわえていた。お嬢さんは何も眉毛ばかり美しかったわけではない。目もまた涼しい黒瞳勝くろめがちだった。心もち上を向いた鼻も、……しかしこんなことを考えるのはやはり恋愛と云うのであろうか?――彼はその問にどう答えたか、これもまた記憶には残っていない。ただ保吉の覚えているのは、いつか彼をおそい出した、薄明るい憂鬱ゆううつばかりである。彼はパイプから立ち昇る一すじの煙を見守ったまま、しばらくはこの憂鬱の中にお嬢さんのことばかり考えつづけた。汽車は勿論そう云うあいだも半面に朝日の光りを浴びた山々のかいを走っている。「Tratata tratata tratata trararach」

(大正十二年九月)