一夕話 - 芥川龍之介
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一夕話

作者:芥川龍之介 阅读:1325 喜欢:1 语言:日语

「何しろこのごろは油断がならない。和田わださえ芸者を知っているんだから。」

藤井ふじいと云う弁護士は、老酒ラオチュさかずきしてから、大仰おおぎょうに一同の顔を見まわした。円卓テエブルのまわりを囲んでいるのは同じ学校の寄宿舎にいた、我々六人の中年者ちゅうねんものである。場所は日比谷ひびや陶陶亭とうとうていの二階、時は六月のある雨の夜、――勿論もちろん藤井のこういったのは、もうそろそろ我々の顔にも、酔色すいしょくの見え出した時分である。

「僕はそいつを見せつけられた時には、実際今昔こんじゃくの感に堪えなかったね。――」

藤井は面白そうに弁じ続けた。

「医科の和田といった日には、柔道の選手で、賄征伐まかないせいばつの大将で、リヴィングストンの崇拝家で、寒中かんちゅう一重物ひとえもので通した男で、――一言いちごんにいえば豪傑ごうけつだったじゃないか? それが君、芸者を知っているんだ。しかも柳橋やなぎばしえんという、――」

「君はこの頃河岸かしを変えたのかい?」

突然横槍よこやりを入れたのは、飯沼いいぬまという銀行の支店長だった。

「河岸を変えた? なぜ?」

「君がつれて行った時なんだろう、和田がその芸者にったというのは?」

「早まっちゃいけない。誰が和田なんぞをつれて行くもんか。――」

藤井は昂然こうぜんと眉を挙げた。

「あれは先月の幾日だったかな? 何でも月曜か火曜だったがね。久しぶりに和田と顔を合せると、浅草へ行こうというじゃないか? 浅草はあんまりぞっとしないが、親愛なる旧友のいう事だから、僕も素直に賛成してさ。昼間ぴるま六区ろっくへ出かけたんだ。――」

「すると活動写真の中にでもい合せたのか?」

今度はわたしが先くぐりをした。

「活動写真ならばまだいが、メリイ・ゴオ・ラウンドと来ているんだ。おまけに二人とも木馬の上へ、ちゃんとまたがっていたんだからな。今考えても莫迦莫迦ばかばかしい次第さ。しかしそれも僕の発議ほつぎじゃない。あんまり和田が乗りたがるから、おつき合いにちょいと乗って見たんだ。――だがあいつは楽じゃないぜ。野口のぐちのような胃弱は乗らないがい。」

「子供じゃあるまいし。木馬になんぞ乗るやつがあるもんか?」

野口という大学教授は、青黒い松花スンホアを頬張ったなり、さげすむような笑い方をした。が、藤井は無頓着むとんじゃくに、時々和田へ目をやっては、得々とくとくと話を続けて行った。

「和田の乗ったのは白い木馬、僕の乗ったのは赤い木馬なんだが、楽隊と一しょにまわり出された時には、どうなる事かと思ったね。尻は躍るし、目はまわるし、振り落されないだけが見っけものなんだ。が、その中でも目についたのは、欄干らんかんそとの見物の間に、芸者らしい女がまじっている。色の蒼白い、目のうるんだ、どこか妙な憂鬱な、――」

「それだけわかっていれば大丈夫だ。目がまわったも怪しいもんだぜ。」

飯沼はもう一度口を挟んだ。

「だからその中でもといっているじゃないか? 髪は勿論銀杏返いちょうがえし、なりは薄青いしまのセルに、何か更紗さらさの帯だったかと思う、とにかく花柳小説かりゅうしょうせつ挿絵さしえのような、楚々そそたる女が立っているんだ。するとその女が、――どうしたと思う? 僕の顔をちらりと見るなり、正に嫣然えんぜん一笑いっしょうしたんだ。おやと思ったがに合わない。こっちは木馬に乗っているんだから、たちまち女の前は通りすぎてしまう。誰だったかなと思う時には、もうわが赤い木馬の前へ、楽隊の連中が現れている。――」

我々は皆笑い出した。

「二度目もやはり同じ事さ。また女がにっこりする。と思うと見えなくなる。あとはただ前後左右に、木馬がねたり、馬車が躍ったり、しからずんば喇叭らっぱがぶかぶかいったり、太鼓たいこがどんどん鳴っているだけなんだ。――僕はつらつらそう思ったね。これは人生の象徴だ。我々は皆同じように実生活の木馬に乗せられているから、時たま『幸福』にめぐり遇っても、つかまえない内にすれ違ってしまう。もし『幸福』を掴まえる気ならば、一思いに木馬を飛び下りるがい。――」

「まさかほんとうに飛び下りはしまいな?」

からかうようにこういったのは、木村という電気会社の技師長だった。

冗談じょうだんいっちゃいけない。哲学は哲学、人生は人生さ。――所がそんな事を考えている内に、三度目になったと思い給え。その時ふと気がついて見ると、――これには僕も驚いたね。あの女が笑顔えがおを見せていたのは、残念ながら僕にじゃない。賄征伐まかないせいばつの大将、リヴィングストンの崇拝家、ETC. ETC. ……ドクタア和田長平わだりょうへいにだったんだ。」

「しかしまあ哲学通りに、飛び下りなかっただけ仕合せだったよ。」

無口な野口も冗談をいった。しかし藤井は相不変あいかわらず話を続けるのに熱中していた。

「和田のやつも女の前へ来ると、きっと嬉しそうに御時宜おじぎをしている。それがまたこう及び腰に、白い木馬にまたがったまま、ネクタイだけ前へぶらさげてね。――」

「嘘をつけ。」

和田もとうとう沈黙を破った。彼はさっきから苦笑くしょうをしては、老酒ラオチュばかりひっかけていたのである。

「何、嘘なんぞつくもんか。――が、その時はまだいんだ。いよいよメリイ・ゴオ・ラウンドを出たとなると、和田は僕も忘れたように、女とばかりしゃべっているじゃないか? 女も先生先生といっている。まらない役まわりは僕一人さ。――」

「なるほど、これは珍談だな。――おい、君、こうなればもう今夜の会費は、そっくり君に持ってもらうぜ。」

飯沼は大きい魚翅イウツウの鉢へ、銀のさじを突きこみながら、隣にいる和田をふり返った。

莫迦ばかな。あの女は友だちの囲いものなんだ。」

和田は両肘りょうひじをついたまま、ぶっきらぼうにいい放った。彼の顔は見渡した所、一座の誰よりも日に焼けている。目鼻立ちも甚だ都会じみていない。その上五分刈ごぶがりに刈りこんだ頭は、ほとんど岩石のように丈夫そうである。彼は昔ある対校試合に、左のひじくじきながら、五人までも敵を投げた事があった。――そういう往年の豪傑ごうけつぶりは、黒い背広せびろに縞のズボンという、当世流行のなりはしていても、どこかにありありと残っている。

「飯沼! 君の囲い者じゃないか?」

藤井は額越ひたいごしに相手を見ると、にやりとった人の微笑をらした。

「そうかも知れない。」

飯沼は冷然と受け流してから、もう一度和田をふり返った。

「誰だい、その友だちというのは?」

若槻わかつきという実業家だが、――この中でも誰か知っていはしないか? 慶応けいおうか何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。色の白い、優しい目をした、短いひげを生やしている、――そうさな、まあ一言いちごんにいえば、風流愛すべき好男子だろう。」

若槻峯太郎わかつきみねたろう俳号はいごう青蓋せいがいじゃないか?」

わたしは横合いから口をはさんだ。その若槻という実業家とは、わたしもつい四五日まえ、一しょに芝居を見ていたからである。

「そうだ。青蓋せいがい句集というのを出している、――あの男が小えんの檀那だんななんだ。いや、二月ふたつきほどまえまでは檀那だったんだ。今じゃ全然手を切っているが、――」

「へええ、じゃあの若槻という人は、――」

「僕の中学時代の同窓なんだ。」

「これはいよいよおだやかじゃない。」

藤井はまた陽気な声を出した。

「君は我々が知らないあいだに、その中学時代の同窓なるものと、花を折り柳にじ、――」

莫迦ばかをいえ。僕があの女に会ったのは、大学病院へやって来た時に、若槻にもちょいと頼まれていたから、便宜を図ってやっただけなんだ。蓄膿症ちくのうしょうか何かの手術だったが、――」

和田は老酒ラオチュをぐいとやってから、妙に考え深い目つきになった。

「しかしあの女は面白いやつだ。」

れたかね?」

木村は静かにひやかした。

「それはあるいは惚れたかも知れない。あるいはまたちっとも惚れなかったかも知れない。が、そんな事よりも話したいのは、あの女と若槻との関係なんだ。――」

和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁ゆうべんを振い出した。

「僕は藤井の話した通り、このあいだ偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたといて見ても、返事らしい返事は何もしない。ただ寂しそうに笑いながら、もともとわたしはあの人のように、風流人ふうりゅうじんじゃないんですというんだ。

「僕もその時は立入ってもかず、それなり別れてしまったんだが、つい昨日きのう、――昨日はひる過ぎは雨が降っていたろう。あの雨の最中さいちゅう若槻わかつきから、飯を食いに来ないかという手紙なんだ。ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気のいた六畳の書斎に、相不変あいかわらず悠々と読書をしている。僕はこの通り野蛮人やばんじんだから、風流の何たるかは全然知らない。しかし若槻の書斎へはいると、芸術的とか何とかいうのは、こういう暮しだろうという気がするんだ。まずとこにはいつ行っても、古い懸物かけものが懸っている。花も始終絶やした事はない。書物も和書の本箱のほかに、洋書の書棚も並べてある。おまけに華奢きゃしゃな机の側には、三味線しゃみせんも時々は出してあるんだ。その上そこにいる若槻自身も、どこか当世の浮世絵うきよえじみた、通人つうじんらしいなりをしている。昨日きのうも妙な着物を着ているから、それは何だねといて見ると、占城チャンパ[#ルビの「チャンパ」は底本では「チャンバ」]という物だと答えるじゃないか? 僕の友だち多しといえども、占城チャンパなぞという着物を着ているものは、若槻を除いては一人もあるまい。――まずあの男の暮しぶりといえば、万事こういった調子なんだ。

「僕はそのぜんを前に、若槻と献酬けんしゅうを重ねながら、小えんとのいきさつを聞かされたんだ。小えんにはほかに男がある。それはまあ格別かくべつ驚かずともい。が、その相手は何かと思えば、浪花節語なにわぶしかたりのしたなんだそうだ。君たちもこんな話を聞いたら、小えんのわらわずにはいられないだろう。僕も実際その時には、苦笑くしょうさえ出来ないくらいだった。

「君たちは勿論知らないが、小えんは若槻に三年この方、随分尽して貰っている。若槻は小えんの母親ばかりか、妹の面倒も見てやっていた。そのまた小えん自身にも、読み書きといわず芸事げいごとといわず、何でも好きな事を仕込ませていた。小えんはおどりも名を取っている。長唄ながうた柳橋やなぎばしでは指折りだそうだ。そのほか発句ほっくも出来るというし、千蔭流ちかげりゅうとかの仮名かなも上手だという。それも皆若槻のおかげなんだ。そういう消息を知っている僕は、君たちさえ笑止しょうしに思う以上、あきれ返らざるを得ないじゃないか?

「若槻は僕にこういうんだ。何、あの女と別れるくらいは、別に何とも思ってはいません。が、わたしは出来る限り、あの女の教育に尽して来ました。どうか何事にも理解の届いた、趣味の広い女に仕立ててやりたい、――そういう希望を持っていたのです。それだけに今度はがっかりしました。何も男をこしらえるのなら、浪花節語りには限らないものを。あんなに芸事には身を入れていても、根性のいやしさは直らないかと思うと、実際苦々にがにがしい気がするのです。………

若槻わかつきはまたこうもいうんだ。あの女はこの半年はんとしばかり、多少ヒステリックにもなっていたのでしょう。一時はほとんど毎日のように、今日限り三味線を持たないとかいっては、子供のように泣いていました。それがまたなぜだとたずねて見ると、わたしはあの女を好いていない、遊芸を習わせるのもそのためだなぞと、妙な理窟をいい出すのです。そんな時はわたしが何といっても、耳にかける気色けしきさえありません。ただもうわたしは薄情だと、そればかり口惜くやしそうに繰返すのです。もっとも発作ほっささえすんでしまえば、いつも笑い話になるのですが、………

「若槻はまたこうもいうんだ。何でも相手の浪花節語りは、始末に終えない乱暴者だそうです。前に馴染なじみだった鳥屋の女中に、男か何か出来た時には、その女中と立ち廻りの喧嘩をした上、大怪我おおけがをさせたというじゃありませんか? このほかにもまだあの男には、無理心中むりしんじゅうをしかけた事だの、師匠ししょうの娘と駈落かけおちをした事だの、いろいろ悪いうわさも聞いています。そんな男に引懸ひっかかるというのは一体どういう量見りょうけんなのでしょう。………

「僕はえんの不しだらには、あきれ返らざるを得ないと云った。しかし若槻の話を聞いている内に、だんだん僕を動かして来たのは、小えんに対する同情なんだ。なるほど若槻は檀那だんなとしては、当世まれに見る通人かも知れない。が、あの女と別れるくらいは、何でもありませんといっているじゃないか? たといそれは辞令じれいにしても、猛烈な執着しゅうじゃくはないに違いない。猛烈な、――たとえばその浪花節語りは、女の薄情を憎む余り、大怪我をさせたという事だろう。僕は小えんの身になって見れば、上品でも冷淡な若槻よりも、下品でも猛烈な浪花節語りに、打ち込むのが自然だと考えるんだ。小えんは諸芸を仕込ませるのも、若槻に愛のない証拠だといった。僕はこの言葉の中にも、ヒステリイばかりを見ようとはしない。小えんはやはり若槻とのあいだに、ギャップのある事を知っていたんだ。

「しかし僕も小えんのために、浪花節語りと出来た事を祝福しようとは思っていない。幸福になるか不幸になるか、それはどちらともいわれないだろう。――が、もし不幸になるとすれば、のろわるべきものは男じゃない。小えんをそこに至らしめた、通人つうじん若槻青蓋わかつきせいがいだと思う。若槻は――いや、当世の通人はいずれも個人として考えれば、愛すべき人間に相違あるまい。彼等は芭蕉ばしょうを理解している。レオ・トルストイを理解している。池大雅いけのたいがを理解している。武者小路実篤むしゃのこうじさねあつを理解している。カアル・マルクスを理解している。しかしそれが何になるんだ? 彼等は猛烈な恋愛を知らない。猛烈な創造の歓喜を知らない。猛烈な道徳的情熱を知らない。猛烈な、――およそこの地球を荘厳にすべき、猛烈な何物も知らずにいるんだ。そこに彼等の致命傷ちめいしょうもあれば、彼等の害毒もひそんでいると思う。害毒の一つは能動的に、他人をも通人に変らせてしまう。害毒の二つは反動的に、一層いっそう他人を俗にする事だ。小えんの如きはその例じゃないか? 昔からのどかわいているものは、泥水どろみずでも飲むときまっている。小えんも若槻に囲われていなければ、浪花節語りとは出来なかったかも知れない。

「もしまた幸福になるとすれば、――いや、あるいは若槻の代りに、浪花節語りを得た事だけでも、幸福はたしかに幸福だろう。さっき藤井がいったじゃないか? 我々は皆同じように、実生活の木馬に乗せられているから、時たま『幸福』にめぐり遇っても、つかまえない内にすれ違ってしまう。もし『幸福』を掴まえる気ならば、一思ひとおもいに木馬を飛び下りるがい。――いわば小えんも一思いに、実生活の木馬を飛び下りたんだ。この猛烈な歓喜や苦痛は、若槻如き通人の知る所じゃない。僕は人生の価値を思うと、百の若槻にはつばを吐いても、一の小えんを尊びたいんだ。

「君たちはそう思わないか?」

和田は酔眼すいがんを輝かせながら、声のない一座を見まわした。が、藤井はいつのまにか、円卓テエブルに首を垂らしたなり、気楽そうにぐっすりこんでいた。

(大正十一年六月)