一番気乗のする時 - 芥川龍之介
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一番気乗のする時

作者:芥川龍之介 阅读:1324 喜欢:6 语言:日语

僕は一体冬はすきだから十一月十二月皆好きだ。好きといふのは、東京にゐると十二月頃の自然もいいし、また町の容子ようすもいい。自然の方のいいといふのは、かういふ風に僕は郊外に住んでゐるから余計よけいそんな感じがするのだが、十一月のすゑから十二月の初めにかけて、夜おそく外からなんど帰つて来ると、かうなんともしれぬ物のにほひが立ちめてゐる。それは落葉おちばのにほひだか、霧のにほひだか、花の枯れるにほひだか、果実のくされるにほひだか、何んだかわからないが、まあいいにほひがするのだ。そして寝て起きるといてゐる。葉が落ち散つたあとの木の間がほがらかにあかるくなつてゐる。それに此処ここらは百舌鳥もずがくる。ひよどりがくる。たまに鶺鴒せきれいがくることもある。田端たばた音無川おとなしがはのあたりには冬になると何時いつ鶺鴒せきれいが来てゐる。それがこの庭までやつてくるのだ。夏のやうに白鷺しらさぎが空をかすめて飛ばないのは物足ものたりないけれども、それだけのつぐなひは十分あるやうな気がする。

町はだんだん暮近くなつてくると何処どこか物々しくなつてくる。ざわめいてくる。あすこが一寸ちよつと愉快だ。ざわめいて来て愉快になるといふことは、酸漿提灯ほほづきぢやうちんがついてゐたり楽隊がゐたりするのもにぎやかでいいけれども、僕には、それが賑かなだけにさういふ時は暗い寂しい町が余計よけい眼につくのがいい。たとへば須田町すだちやうの通りが非常に賑かだけれど、一寸ちよつと梶町かぢちやう青物市場あをものいちばの方へまがるとあすこは暗くて静かだ。さういふ処を何かの拍子ひやうしで歩いてゐると、「鍋焼なべやきだとか「火事」だとかいふ俳句の季題を思ひ出す。ことにくおしつまつて、もう門松かどまつがたつてゐるさういふ町を歩いてゐると、ちよつと久保田万太郎くぼたまんたらう君の小説のなかを歩いてゐるやうな気持でいい気持だ。

十二月は僕は何時いつでも東京にゐて、そのほかの場処といつたら京都きやうととか奈良ならとかいふはなはだ平凡な処しかしらないんだけども、京都へ初めてつた時は十二月で、その時分は、七条しちでうの停車場も今より小さかつたし、烏丸からすまるとほりだの四条しでうとほりだのがずつと今よりせまかつた。でさういふ古ぼけた京都を知つてゐるだけだが、その古ぼけた京都に滞在してゐるあひだに二三度時雨しぐれにあつたことをおぼえてゐる。こと下賀茂しもかもただすの森であつた時雨しぐれは、丁度ちやうど朝焼がしてゐるとすぐに時雨れて来たんで、甚だ風流な気がしたのを覚えてゐる。時雨といへば矢張やはり其時、奈良の春日かすがやしろで時雨にあひ、その時雨のれるのをまつあひだ神楽かぐらをあげたことがあつた。それは古風な大和琴やまとごとだのさうだのといふ楽器を鳴らして、はかまをはいた小さな――非常に小さな――巫女みこが舞ふのが、矢張やはり優美だつたといふ記憶がのこつてゐる。勿論其時分は春日かすがやしろも今のやうに修覆しうふくが出来なかつたし、全体がもつと古ぼけてきたなかつたから、それだけよかつたといふわけだ。さういふ京都とか奈良とかいふ処は度々ゆくが、冬といふとどうもその最初の時の記憶が一番あざやかなやうな気がする。

それから最近には鎌倉かまくらすまつて横須賀よこすかの学校へかよふやうになつたから、東京以外の十二月にも親しむことが出来たといふわけだ。その時分の鎌倉は避暑客のやうな種類の人間が少いだけでも非常にいい。ことに今時分の鎌倉にゐると、人間は日本人より西洋人の方が冬は高等であるやうな気がする。どうも日本人の貧弱な顔ぢや毛皮の外套ぐわいたうの襟へおとがひうづめても埋めえはしないやうな気がする。東清とうしん鉄道あたりの従業員は、日本人と露西亜ロシア人とで冬になるとことにエネルギイの差が目立つといふことをきいてゐるが、今頃の鎌倉を濶歩くわつぽしてゐる西洋人を見るとさうだらうと思ふ。

もつとも小説を書くうへに於ては、むしろ夏よりは十一月十二月もつと寒くなつても冬の方がいいやうだ。また書く上ばかりでなく、書くまでの段取を火鉢にあたりながら漫然と考へてゐるには今頃いまごろが一番いいやうだ。新年号の諸雑誌の原稿は大抵たいてい十一月一杯いつぱいまたは十二月のはじめへかかる。さういふものを書いてゐる時は、他の人は寒いだらうとかなんとかいつて気にしてくれるけれども、書き出してあぶらが乗れば煙草をむほかはほとんど火鉢なんぞを忘れてしまふ。それにその時分はふすまだの障子しやうじだのがたて切つてあるものだから、自分の思想や情緒とかいふものが、部屋の中から遁出にげだしてゆかないやうな安心した処があつてよく書ける。もつともよく書けるといつても、それは必ずしも作の出来栄えには比例しないのだから、勿論新年号の小説は何時いつも傑作が出来るといふわけにはゆかない。

(大正六年)