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或敵打の話

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大団円

甚太夫じんだゆう主従は宿を変えて、さらに兵衛ひょうえをつけ狙った。が、その四五日すると、甚太夫は突然真夜中から、烈しい吐瀉としゃを催し出した。喜三郎きさぶろうは心配の余り、すぐにも医者を迎えたかったが、病人は大事の洩れるのをおそれて、どうしてもそれを許さなかった。

甚太夫は枕に沈んだまま、買い薬を命に日を送った。しかし吐瀉は止まなかった。喜三郎はとうとう堪え兼ねて、一応医者の診脈しんみゃくを請うべく、ようやく病人を納得させた。そこで取りあえず旅籠はたごの主人に、かかりつけの医者を迎えて貰った。主人はすぐに人を走らせて、近くにを売っている、松木蘭袋まつきらんたいと云う医者を呼びにやった。

蘭袋は甚太夫の脈をとって見るまでもなく、痢病りびょうと云う見立てをくだした。しかしこの名医の薬を飲むようになってもやはり甚太夫の病はなおらなかった。喜三郎は看病のかたわら、ひたすら諸々もろもろの仏神に甚太夫の快方を祈願した。病人も夜長の枕元に薬をる煙をぎながら、多年の本望を遂げるまでは、どうかして生きていたいと念じていた。

蘭袋は向井霊蘭むかいれいらんの門に学んだ、神方しんぽうの名の高い人物であった。が、一方また豪傑肌ごうけつはだの所もあって、日夜さかずきに親みながらさらに黄白こうはくを意としなかった。「天雲あまぐもの上をかけるも谷水をわたるもつるのつとめなりけり」――こうみずから歌ったほど、彼の薬を請うものは、かみは一藩の老職から、しもは露命もつなぎ難い乞食こじき非人ひにんにまで及んでいた。

秋はますます深くなった。喜三郎は蘭袋の家へ薬を取りに行く途中、群を成した水鳥が、しばしば空を渡るのを見た。するとある日彼は蘭袋の家の玄関で、やはり薬を貰いに来ている一人の仲間ちゅうげんと落ち合った。それが恩地小左衛門おんちこざえもんの屋敷のものだと云う事は、蘭袋の内弟子うちでしと話している言葉にもおのずから明かであった。彼はその仲間が帰ってから、顔馴染かおなじみの内弟子に向って、「恩地殿のような武芸者も、病には勝てぬと見えますな。」と云った。「いえ、病人は恩地様ではありません。あそこに御出でになる御客人です。」――人の好さそうな内弟子は、無頓着にこう返事をした。

それ以来喜三郎は薬を貰いに行く度に、さりげなく兵衛の容子ようすを探った。ところがだんだん聞き出して見ると、兵衛はちょうど平太郎の命日頃から、甚太夫と同じ痢病のために、苦しんでいると云う事がわかった。して見れば兵衛が祥光院へ、あの日に限ってもうでなかったのも、その病のせいに違いなかった。甚太夫はこの話を聞くと、一層病苦に堪えられなくなった。もし兵衛が病死したら、勿論いくら打ちたくとも、かたきの打てる筈はなかった。と云って兵衛が生きたにせよ、彼自身が命をおとしたら、やはり永年の艱難は水泡に帰すのも同然であった。彼はついにまくらみながら、彼自身の快癒を祈ると共に、併せてかたき瀬沼兵衛せぬまひょうえの快癒も祈らざるを得なかった。

その翌日、甚太夫は急に思い立って、喜三郎に蘭袋を迎えにやった。蘭袋はその日も酒気を帯びて、早速彼の病床を見舞った。「先生、永々の御介抱、甚太夫かたじけなく存じ申す。」――彼は蘭袋の顔を見ると、とこの上に起直おきなおって、苦しそうにこう云った。「が、身ども息のある内に、先生を御見かけ申し、何分願いたい一儀がござる。御聞き届け下さりょうか。」蘭袋は快くうなずいた。すると甚太夫は途切とぎれ途切れに、彼が瀬沼兵衛をつけねらう敵打の仔細しさいを話し出した。彼の声はかすかであったが、言葉は長物語の間にも、さらに乱れる容子ようすがなかった。蘭袋は眉をひそめながら、熱心に耳を澄ませていた。が、やがて話が終ると、甚太夫はもうあえぎながら、「身ども今生こんじょうの思い出には、兵衛の容態ようだいうけたまわりとうござる。兵衛はまだ存命でござるか。」と云った。喜三郎はすでに泣いていた。蘭袋もこの言葉を聞いた時には、涙が抑えられないようであった。しかし彼は膝を進ませると、病人の耳へ口をつけるようにして、「御安心めされい。兵衛殿の臨終は、今朝こんちょうとら上刻じょうこくに、愚老確かに見届け申した。」と云った。甚太夫の顔には微笑が浮んだ。それと同時にやつれたほおへ、冷たく涙のあとが見えた。「兵衛――兵衛は冥加みょうがな奴でござる。」――甚太夫は口惜くちおしそうにつぶやいたまま、蘭袋に礼を云うつもりか、床の上へ乱れたかしらを垂れた。そうしてついに空しくなった。……

が、運命は飽くまでも、田岡甚太夫に刻薄こくはくであった。彼の病はおもりに重って、蘭袋らんたいの薬を貰ってから、まだ十日と経たない内に、今日か明日かと云う容態ようだいになった。彼はそう云う苦痛の中にも、執念しゅうね敵打かたきうちの望を忘れなかった。喜三郎は彼の呻吟しんぎんの中に、しばしば八幡大菩薩はちまんだいぼさつと云う言葉がかすかに洩れるのを聞いた。殊にある夜は喜三郎が、例のごとく薬を勧めると、甚太夫はじっと彼を見て、「喜三郎。」と弱い声を出した。それからまたしばらくして、「おれは命が惜しいわ。」と云った。喜三郎は畳へ手をついたまま、顔をもたげる事さえ出来なかった。

寛文かんぶん十年陰暦いんれき十月の末、喜三郎は独り蘭袋に辞して、故郷熊本へ帰る旅程にのぼった。彼の振分ふりわけの行李こうりの中には、求馬もとめ左近さこん甚太夫じんだゆうの三人の遺髪がはいっていた。

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