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河童

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十三

僕らはトックの家へ駆けつけました。トックは右の手にピストルを握り、頭の皿から血を出したまま、高山植物の鉢植はちうえの中に仰向あおむけになって倒れていました。そのまたそばにはめすの河童が一匹、トックの胸に顔をうずめ、大声をあげて泣いていました。僕は雌の河童を抱き起こしながら、(いったい僕はぬらぬらする河童の皮膚に手を触れることをあまり好んではいないのですが。)「どうしたのです?」と尋ねました。

「どうしたのだか、わかりません。ただ何か書いていたと思うと、いきなりピストルで頭を打ったのです。ああ、わたしはどうしましょう? qur-r-r-r-r, qur-r-r-r-r」(これは河童の泣き声です。)

裁判官のペップは相変わらず、新しい巻煙草まきたばこに火をつけながら、資本家のゲエルに返事をしていました。すると僕らを驚かせたのは音楽家のクラバックのおお声です。クラバックは詩稿を握ったまま、だれにともなしに呼びかけました。

裁判官のペップは巡査の代わりに大勢の河童かっぱを押し出したのち、トックの家の戸をしめてしまいました。部屋へやの中はそのせいか急にひっそりなったものです。僕らはこういう静かさの中に――高山植物の花の香に交じったトックの血のにおいの中に後始末あとしまつのことなどを相談しました。しかしあの哲学者のマッグだけはトックの死骸しがいをながめたまま、ぼんやり何か考えています。僕はマッグの肩をたたき、「何を考えているのです?」と尋ねました。

薬草の花はにおえる谷へ。」

岩むらはこごしく、やま水は清く、

哲学者のマッグは弁解するようにこうひとごとをもらしながら、机の上の紙をとり上げました。僕らは皆くびをのばし、(もっとも僕だけは例外です。)幅の広いマッグの肩越しに一枚の紙をのぞきこみました。

僕はいまだに泣き声を絶たないめす河童かっぱに同情しましたから、そっと肩をかかえるようにし、部屋へやすみ長椅子ながいすへつれていきました。そこには二歳か三歳かの河童が一匹、何も知らずに笑っているのです。僕は雌の河童の代わりに子どもの河童をあやしてやりました。するといつか僕の目にも涙のたまるのを感じました。僕が河童の国に住んでいるうちに涙というものをこぼしたのは前にもあとにもこの時だけです。

マッグは多少はずかしそうにこう小声でつけ加えました。

クラバックは細い目をかがやかせたまま、ちょっとマッグの手を握ると、いきなり戸口へ飛んでいきました。もちろんもうこの時には隣近所の河童が大勢、トックの家の戸口に集まり、珍しそうに家の中をのぞいているのです。しかしクラバックはこの河童たちを遮二無二しゃにむに左右へ押しのけるが早いか、ひらりと自動車へ飛び乗りました。同時にまた自動車は爆音を立ててたちまちどこかへ行ってしまいました。

やはり少しも騒がないマッグは髪を逆立さかだてたクラバックにトックの詩稿を渡しました。クラバックはあたりには目もやらずに熱心にその詩稿を読み出しました。しかもマッグの言葉にはほとんど返事さえしないのです。

そこへ偶然自動車を乗りつけたのはあの音楽家のクラバックです。クラバックはこういう光景を見ると、しばらく戸口にたたずんでいました。が、僕らの前へ歩み寄ると、怒鳴どなりつけるようにマッグに話しかけました。

「詩?」

「親友? トックはいつも孤独だったのです。……娑婆界を隔つる谷へ、……ただトックは不幸にも、……岩むらはこごしく……」

「河童の生活というものをね。」

「河童の生活がどうなるのです?」

「我々河童はなんと言っても、河童の生活をまっとうするためには、……」

「何か書いていたということですが。」

「不幸にも?」

「やま水は清く、……あなたがたは幸福です。……岩むらはこごしく。……」

「もう駄目だめです。トック君は元来胃病でしたから、それだけでも憂鬱ゆううつになりやすかったのです。」

「なにしろトック君はわがままだったからね。」

「なにしろあとのことも考えないのですから。」

「それはトックの遺言状ゆいごんじょうですか?」

「しめた! すばらしい葬送曲ができるぞ。」

「しかしこういうわがままの河童といっしょになった家族は気の毒ですね。」

「しかしあなたはトック君とはやはり親友のひとりだったのでしょう?」

「これはゲエテの『ミニヨンの歌』の剽窃ひょうせつですよ。するとトック君の自殺したのは詩人としても疲れていたのですね。」

「こら、こら、そうのぞいてはいかん。」

「いや、最後に書いていた詩です。」

「いざ、立ちてゆかん。娑婆界しゃばかいを隔つる谷へ。

「いざ、立ちて、……僕もまたいつ死ぬかわかりません。……娑婆界しゃばかいを隔つる谷へ。……」

「あなたはトック君の死をどう思いますか?」

 マッグは僕らをふり返りながら、微苦笑といっしょにこう言いました。

硝子ガラス会社の社長のゲエルは悲しそうに頭を振りながら、裁判官のペップにこう言いました。しかしペップは何も言わずに金口きんぐち巻煙草まきたばこに火をつけていました。すると今までひざまずいて、トックの創口きずぐちなどを調べていたチャックはいかにも医者らしい態度をしたまま、僕ら五人に宣言しました。(実はひとりと四匹しひきとです。)

「とにかく我々河童以外の何ものかの力を信ずることですね。」

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十三