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河童

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僕はこのラップという河童にバッグにも劣らぬ世話になりました。が、その中でも忘れられないのはトックという河童に紹介されたことです。トックは河童仲間の詩人です。詩人が髪を長くしていることは我々人間と変わりません。僕は時々トックのうちへ退屈しのぎに遊びにゆきました。トックはいつも狭い部屋へやに高山植物の鉢植はちうえを並べ、詩を書いたり煙草たばこをのんだり、いかにも気楽そうに暮らしていました。そのまた部屋のすみにはめすの河童が一匹、(トックは自由恋愛家ですから、細君というものは持たないのです。)編み物か何かしていました。トックは僕の顔を見ると、いつも微笑してこう言うのです。(もっとも河童の微笑するのはあまりいいものではありません。少なくとも僕は最初のうちはむしろ無気味に感じたものです。)

「やあ、よく来たね。まあ、その椅子いすにかけたまえ。」

僕はもちろん qua(これは河童の使う言葉では「しかり」という意味を現わすのです。)と答えました。

僕はある月のいい晩、詩人のトックとひじを組んだまま、超人倶楽部から帰ってきました。トックはいつになく沈みこんでひとことも口をきかずにいました。そのうちに僕らはかげのさした、小さい窓の前を通りかかりました。そのまた窓の向こうには夫婦らしい雌雄めすおすの河童が二匹、三匹の子どもの河童といっしょに晩餐ばんさんのテエブルに向かっているのです。するとトックはため息をしながら、突然こう僕に話しかけました。

トックはよく河童の生活だの河童の芸術だのの話をしました。トックの信ずるところによれば、当たり前の河童の生活ぐらい、莫迦ばかげているものはありません。親子夫婦兄弟などというのはことごとく互いに苦しめ合うことを唯一の楽しみにして暮らしているのです。ことに家族制度というものは莫迦げている以上にも莫迦げているのです。トックはある時窓の外を指さし、「見たまえ。あの莫迦げさ加減を!」と吐き出すように言いました。窓の外の往来にはまだ年の若い河童が一匹、両親らしい河童をはじめ、七八匹の雌雄めすおすの河童をくびのまわりへぶら下げながら、息も絶え絶えに歩いていました。しかし僕は年の若い河童の犠牲的精神に感心しましたから、かえってその健気けなげさをほめ立てました。

トックは昂然こうぜんと言い放ちました。こういうトックは芸術の上にも独特な考えを持っています。トックの信ずるところによれば、芸術は何ものの支配をも受けない、芸術のための芸術である、従って芸術家たるものは何よりも先に善悪をぜっした超人でなければならぬというのです。もっともこれは必ずしもトック一匹の意見ではありません。トックの仲間の詩人たちはたいてい同意見を持っているようです。現に僕はトックといっしょにたびたび超人倶楽部クラブへ遊びにゆきました。超人倶楽部に集まってくるのは詩人、小説家、戯曲家、批評家、画家、音楽家、彫刻家、芸術上の素人しろうと等です。しかしいずれも超人です。彼らは電燈の明るいサロンにいつも快活に話し合っていました。のみならず時には得々とくとくと彼らの超人ぶりを示し合っていました。たとえばある彫刻家などは大きい鬼羊歯おにしだ鉢植はちうえの間に年の若い河童かっぱをつかまえながら、しきりに男色だんしょくをもてあそんでいました。またあるめすの小説家などはテエブルの上に立ち上がったなり、アブサントを六十本飲んで見せました。もっともこれは六十本目にテエブルの下へころげ落ちるが早いか、たちまち往生してしまいましたが。

けれどもトックは月明りの下にじっと腕を組んだまま、あの小さい窓の向こうを、――平和な五匹の河童たちの晩餐のテエブルを見守っていました。それからしばらくしてこう答えました。

「僕は超人的恋愛家だと思っているがね、ああいう家庭の容子ようすを見ると、やはりうらやましさを感じるんだよ。」

「僕か? 僕は超人(直訳すれば超河童です。)だ。」

「ふん、君はこの国でも市民になる資格を持っている。……時に君は社会主義者かね?」

「では百人の凡人のために甘んじてひとりの天才を犠牲にすることも顧みないはずだ。」

「では君は何主義者だ? だれかトック君の信条は無政府主義だと言っていたが、……」

「しかしそれはどう考えても、矛盾しているとは思わないかね?」

「あすこにある玉子焼きはなんと言っても、恋愛などよりも衛生的だからね。」

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