奇怪な再会在线阅读

奇怪な再会

Txt下载

移动设备扫码阅读

十七

「それだけならばまだいが、――」

Kはさらに話し続けた。

Kが見せた古写真には、寂しい支那服の女が一人、白犬と一しょに映っていた。

彼女はしばらくはうっとりと、きらびやかな燈火ともしびを眺めていた。が、やがてその光に、彼女自身の姿を見ると、悲しそうに二三度かしらを振った。

座敷の暗いのを思い出したお蓮は、不思議そうにあたりを見廻した。するといつか天井からは、火をともした瑠璃燈るりとうが一つ、彼女の真上に吊下つりさがっていた。

ふとかしらもたげたお蓮は、もう一度驚きの声をらした。見ると小犬のいた所には、横になった支那人が一人、四角な枕へひじをのせながら、悠々と鴉片あへんくゆらせている! 迫った額、長い睫毛まつげ、それから左の目尻めじり黒子ほくろ。――すべてが金に違いなかった。のみならず彼はお蓮を見ると、やはり煙管きせるくわえたまま、昔の通り涼しい眼に、ちらりと微笑を浮べたではないか?

お蓮はいえへ帰って来ると、白い子犬を抱いたなり、二階の寝室へのぼって行った。そうして真暗な座敷の中へ、そっとこの憐れな動物を放した。犬は小さな尾を振りながら、嬉しそうにそこらを歩き廻った。それは以前飼っていた時、彼女の寝台ねだいから石畳の上へ、飛び出したのと同じ歩きぶりだった。

「私は昔の蕙蓮けいれんじゃない。今はお蓮と云う日本人にほんじんだもの。きんさんも会いに来ない筈だ。けれども金さんさえ来てくれれば、――」

「御覧。東京はもうあの通り、どこを見ても森ばかりだよ。」

「まあ、綺麗だ事。まるで昔に返ったようだねえ。」

「それから一日か二日すると、お蓮――本名は孟蕙蓮もうけいれんは、もうこのK脳病院の患者かんじゃの一人になっていたんだ。何でも日清戦争中は、威海衛いかいえいのある妓館ぎかんとかに、客を取っていた女だそうだが、――何、どんな女だった? 待ち給え。ここに写真があるから。」

「そこへ雪のような小犬が一匹、偶然人ごみを抜けて来ると、おれんはいきなり両手を伸ばして、その白犬をき上げたそうだ。そうして何を云うかと思えば、『お前も来てくれたのかい? 随分ここまでは遠かったろう。何しろ途中には山もあれば、大きな海もあるんだからね。ほんとうにお前に別れてから、一日も泣かずにいた事はないよ。お前のかわりに飼った犬には、この間死なれてしまうしさ。』なぞと、夢のような事をしゃべり出すんだ。が、小犬は人懐ひとなつこいのか、きもしなければみつきもしない。ただ鼻だけ鳴らしては、お蓮の手やほおめ廻すんだ。

「こうなると見てはいられないから、牧野まきのはとうとう顔を出した。が、お蓮は何と云っても、きんさんがここへ来るまでは、決してうちへは帰らないと云う。その内に縁日の事だから、すぐにまわりへは人だかりが出来る。中には『やあ、別嬪べっぴんの気違いだ』と、大きな声を出すやつさえあるんだ。しかし犬好きなお蓮には、久しぶりに犬をいたのが、少しは気休めになったんだろう。ややしばらく押し問答をしたのち、ともかくも牧野の云う通り一応はうちへ帰る事に、やっと話が片附いたんだ。が、いよいよ帰るとなっても、野次馬やじうまは容易に退くもんじゃない。お蓮もまたどうかすると、弥勒寺橋みろくじばしの方へ引っ返そうとする。それをなだめたりすかしたりしながら、松井町まついちょううちへつれて来た時には、さすがに牧野も外套がいとうの下が、すっかり汗になっていたそうだ。……」

「おや、――」

成程なるほど二階の亜字欄あじらんの外には、見慣ない樹木が枝を張った上に、刺繍ぬいとりの模様にありそうな鳥が、何羽も気軽そうにさえずっている、――そんな景色を眺めながら、お蓮は懐しい金の側に、一夜中いちやじゅう恍惚こうこつと坐っていた。………

「この病院へ来た当座は、誰が何と云った所が、決して支那服を脱がなかったもんだ。おまけにその犬が側にいないと、金さん金さんとわめき立てるじゃないか? 考えれば牧野も可哀そうな男さ。蕙蓮けいれんめかけにしたと云っても、帝国軍人の片破かたわれたるものが、戦争後すぐに敵国人を内地へつれこもうと云うんだから、人知れない苦労が多かったろう。――え、金はどうした? そんな事はくだけ野暮だよ。僕は犬が死んだのさえ、病気かどうかと疑っているんだ。」

(大正九年十二月)

7.86%
十七