杜子春

六

その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇（たたず）んでいるのでした。霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、――すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。

「どうだな。おれの弟子になったところが、とても仙人にはなれはすまい」

鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、

片目眇（すがめ）の老人は微笑を含みながら言いました。

杜子春はまだ眼に涙を浮べたまま、思わず老人の手を握りました。

杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子が罩（こも）っていました。

「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです」

「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。――お前はもう仙人になりたいという望（のぞみ）も持っていまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈（はず）だ。ではお前はこれから後、何になったら好（い）いと思うな」

「もしお前が黙っていたら――」と鉄冠子は急に厳（おごそか）な顔になって、じっと杜子春を見つめました。

「なれません。なれませんが、しかし私（わたし）はなれなかったことも、反（かえ）って嬉しい気がするのです」

「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇（あ）わないから」

「いくら仙人になれたところが、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を受けている父母を見ては、黙っている訳には行きません」

「おお、幸（さいわい）、今思い出したが、おれは泰山（たいざん）の南の麓（ふもと）に一軒の家を持っている。その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住まうが好い。今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう」と、さも愉快そうにつけ加えました。