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杜子春

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二人を乗せた青竹は、間もなく峨眉山へ舞いさがりました。

そこは深い谷に臨んだ、幅の広い一枚岩の上でしたが、よくよく高い所だと見えて、中空なかぞらに垂れた北斗の星が、茶碗ちゃわん程の大きさに光っていました。元より人跡じんせきの絶えた山ですから、あたりはしんと静まり返って、やっと耳にはいるものは、うしろの絶壁にえている、曲りくねった一株の松が、こうこうと夜風に鳴る音だけです。

虎と蛇とは、一つ餌食えじきねらって、互にすきでもうかがうのか、暫くは睨合いのていでしたが、やがてどちらが先ともなく、一時に杜子春に飛びかかりました。が虎のきばまれるか、蛇の舌にまれるか、杜子春の命はまたたく内に、なくなってしまうと思った時、虎と蛇とは霧の如く、夜風と共に消えせて、後には唯、絶壁の松が、さっきの通りこうこうと枝を鳴らしているばかりなのです。杜子春はほっと一息しながら、今度はどんなことが起るかと、心待ちに待っていました。

老人は杜子春に別れを告げると、又あの竹杖に跨って、夜目にも削ったような山々の空へ、一文字に消えてしまいました。

神将は戟を高く挙げて、向うの山の空を招きました。その途端に闇がさっと裂けると、驚いたことには無数の神兵が、雲の如く空に充満みちみちて、それが皆やりや刀をきらめかせながら、今にもここへ一なだれに攻め寄せようとしているのです。

神将はこうわめくが早いか、三叉の戟をひらめかせて、一突きに杜子春を突き殺しました。そうして峨眉山もどよむ程、からからと高く笑いながら、どこともなく消えてしまいました。勿論この時はもう無数の神兵も、吹き渡る夜風の音と一しょに、夢のように消え失せた後だったのです。

杜子春は思わず耳を抑えて、一枚岩の上へひれ伏しました。が、すぐに眼を開いて見ると、空は以前の通り晴れ渡って、向うにそびえた山々の上にも、茶碗ほどの北斗の星が、やはりきらきら輝いています。して見れば今の大あらしも、あの虎や白蛇と同じように、鉄冠子の留守をつけこんだ、魔性の悪戯いたずらに違いありません。杜子春はようやく安心して、額の冷汗ひやあせぬぐいながら、又岩の上に坐り直しました。

杜子春は勿論黙っていました。

杜子春はたった一人、岩の上に坐ったまま、しずかに星を眺めていました。するとかれこれ半時はんときばかり経って、深山の夜気が肌寒く薄い着物にとおり出した頃、突然空中に声があって、

杜子春はしかし平然と、眉毛まゆげも動かさずに坐っていました。

二人がこの岩の上に来ると、鉄冠子は杜子春を絶壁の下に坐らせて、

ところが又暫くすると、やはり同じ声が響いて、

と、どこから登って来たか、爛々らんらんと眼を光らせたとらが一匹、忽然こつぜんと岩の上におどり上って、杜子春の姿をにらみながら、一声高くたけりました。のみならずそれと同時に、頭の上の松の枝が、はげしくざわざわ揺れたと思うと、うしろの絶壁の頂からは、四斗樽しとだる程の白蛇はくだが一匹、炎のような舌を吐いて、見る見る近くへ下りて来るのです。

すると一陣の風が吹き起って、墨のような黒雲が一面にあたりをとざすや否や、うす紫の稲妻がやにわに闇を二つに裂いて、すさまじくらいが鳴り出しました。いや、雷ばかりではありません。それと一しょにたきのような雨も、いきなりどうどうと降り出したのです。杜子春はこの天変のなかに、恐れもなく坐っていました。風の音、雨のしぶき、それから絶え間ない稲妻の光、――暫くはさすがの峨眉山も、くつがえるかと思う位でしたが、その内に耳をもつんざく程、大きな雷鳴がとどろいたと思うと、空にうず巻いた黒雲の中から、まっ赤な一本の火柱が、杜子春の頭へ落ちかかりました。

しかし杜子春は老人の言葉通り、黙然もくねんと口をつぐんでいました。

しかし杜子春は仙人のおしえ通り、何とも返事をしずにいました。

この景色を見た杜子春は、思わずあっと叫びそうにしましたが、すぐに又鉄冠子の言葉を思い出して、一生懸命に黙っていました。神将は彼が恐れないのを見ると、おこったの怒らないのではありません。

が、そのため息がまだ消えない内に、今度は彼の坐っている前へ、金のよろい着下きくだした、身のたけ三丈もあろうという、おごそかな神将が現れました。神将は手に三叉みつまたほこを持っていましたが、いきなりその戟の切先きっさきを杜子春のむなもとへ向けながら、眼をいからせて叱りつけるのを聞けば、

「返事をしないと立ちどころに、命はないものと覚悟しろ」と、いかめしくおどしつけるのです。

「返事をしないか。――しないな。好し。しなければ、しないで勝手にしろ。その代りおれの眷属けんぞくたちが、その方をずたずたにってしまうぞ」

「大丈夫です。決して声なぞは出しません。命がなくなっても、黙っています」

「そこにいるのは何者だ」と、叱りつけるではありませんか。

「そうか。それを聞いて、おれも安心した。ではおれは行って来るから」

「こら、その方は一体何物だ。この峨眉山という山は、天地開闢かいびゃくの昔から、おれが住居すまいをしている所だぞ。それもはばからずたった一人、ここへ足を踏み入れるとは、よもや唯の人間ではあるまい。さあ命が惜しかったら、一刻も早く返答しろ」と言うのです。

「この剛情者め。どうしても返事をしなければ、約束通り命はとってやるぞ」

「おれはこれから天上へ行って、西王母せいおうぼに御眼にかかって来るから、お前はその間ここに坐って、おれの帰るのを待っているがい。多分おれがいなくなると、いろいろな魔性ましょうが現れて、お前をたぶらかそうとするだろうが、たといどんなことが起ろうとも、決して声を出すのではないぞ。もし一言ひとことでも口をいたら、お前は到底仙人にはなれないものだと覚悟をしろ。いか。天地が裂けても、黙っているのだぞ」と言いました。

北斗の星は又寒そうに、一枚岩の上を照らし始めました。絶壁の松も前に変らず、こうこうと枝を鳴らせています。が、杜子春はとうに息が絶えて、仰向あおむけにそこへ倒れていました。

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