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十二 小夜時雨

鶺鴒や藪鶯の來る頃にも植込のかげには縞の股引はいた藪蚊の潛むかはり、池の水をば書齋の窓ぎはへと小流のやうに引入れる風流も何の譯はなく、眞菰花さく夏の夕は簾に雨なす螢を眺め、秋は机の頰杖に葦の葉のそよぐ響居ながらにして水鄉のさびしさを知る根岸の閑居。主人倉山南巢は早くも初老の年を越えてより朝夕眺暮らす庭中の草木にも唯呆るゝは月日のたつ事の早さである。

夕立は珠を轉ばす蓮の葉忽ち破るゝと見れば耳立つ風の響葦を戰がせて、葉雞頭より菊の秋、時雨に楓散盡せば早や冬至梅の蕾數へる年の暮。老樹をいたはる寒肥料かんごゑに鼻を蔽ふかはり、大寒の頃は南天藪柑子の實雪中に花より美しく、夜半煎茶煑つめて冬籠樂しむ書棚の上水仙福壽草の花いつか凋めば早くも彼岸となつてまづ菊の根分、草の種蒔、庭好む人の一日はわけても暮れやすく、百花の開落くわいらく送迎おくりむかへていそがしきまなこしばし新樹の梢に休ますれば軈て雨降る每に庭暗く、梅の實熟して落初める朝は夜合ねぶの葉眠る夕となり、柘榴の花燃え凌霄の花地に落る炎天の日盛も、夜ふけては露結ぶ水草のかげに早くも一筋二筋絲のやうなる蟲の聲。

近處に三味線の音は元より珍しいと云ふではない。南巢が不審に思つたのは三味線の曲である。仇つぽい女の聲で薗八節らしいものを語つてゐたからである。聲曲の嗜ある南巢は丸窓の戶を明けて見て更に驚いた。今まで空家だとのみ思込んでゐた隣の寮に灯影が見え、哀れ深い薗八の一段鳥部山はそこから時雨そぼ降る庭越しに分けてもしめやかな音〆を聞かせてゐるのであつた。

窓の外なる枯荷かれはすにばら〴〵ツと音する夜の雨。南巢は取りちらした書物を片づけ机のまはりの紙きれを始末してもう寢やうかと銀のべの長煙管に煙草一服する折から、雨の響に何心もなく耳傾くる途端、ついぞ聞いた事のない三味線のの聞えるらしいのに、更に耳をそばだてた。

然し養母が築地へ引移つてから二人の交際は次第に疎くなつた。一糸は道が遠いので亡父の舊邸へ來る事も殆ど稀に、又南巢は年々文學演劇の興味に乏しくなつて、朝夕隣の古庭を垣間見するのも獨り窃に昔なつかしい思ひに耽らうが爲で、今は別に若手の役者に逢つて話をしたいと云ふ氣も出なくなつた。

然し翌る朝。雨後の空一段鮮に晴れ渡つてしめつた土と苔の生えた鱗葺の軒からは盛に蒸發氣ゆげの立昇る小春日和、南巢は梅の根本や立石の裾に支那水仙の球を植ゑてゐたその姿をば、今度は向から垣間見かいまみて、垣根越しに瀨川一糸が、

春夏秋冬はまことに俳諧の歳時記一息に讀み下すに異ならず、今年もまた去年の藪鶯いつか植込の奧に笹啼きわたり、池のみぎはに見馴れし鶺鴒の長き尾振り步く頃となつた。南巢は風俗人情日に變り行く世の中なるをこれは每年々々時節をたがへず我が家の庭に訪れ來る小鳥のなつかしさ。そこらの枯枝伐除く花鋏の響にさへ心しつゝ植込の間をくゞりくゞりいつか隣と地境の垣根際へ出る。見ればところ〴〵烏瓜の下つた建仁寺垣の破れ目から隣の庭は一面に日のあたつた明さに、泉水をひかへた母家おもやの緣先までもよく見通されるのであつた。

妻のお千代は俄に安心した顏付、「いけませんよ。もうおどかしても駄目で御座います。あなたよりも私の方がよく知つてゐるんですから。」

南巢は日頃臆病なお千代が忽ちいつもと違つた平氣な樣子に合點が行かず、「お前、知つてゐるのか。あの幽靈を。」

南巢は劇壇の野心を全く去つてしまつたものゝ猶新聞社との關係から時折劇評だけは書かなければならないので、たま〳〵一糸の出てゐる芝居へ行當る時、樂屋の部屋をたづねて久振咄もしたい、それとなく隣の寮の處分をも聞いて見たい。折好くば一步進んで、同じ人出に渡すとしても、成らう事なら幾分か物の分つた人に賣拂ふがよい。兎に角あの古庭の松、あの柴折門は父が生前そつと人知れず手入れまでした位のものだからと、懇意づくに忠吿もしてやりたいと思ふのであつたが、又考直していやいやそんな餘計な差出口をしたとて何の役に立たう。近頃は歷とした華族方でも、仙臺の伊逹樣を始め、さして困りもせぬのに御家代々の寶物を惜し氣もなく賣飛して、お金にする事が流行る世の中だからと其のまゝ默して、唯朝夕の垣間見にのみ、今日は新しい買手が來はせまいか、明日は池の松が取拂はれはせまいかと心を惱しながら月日を過してゐるのであつた。

南巢はこの地境へ步みて隣の家をば植込越しに垣間見する時、母屋のつくり、柴折門、池にのぞんだ松の枝振、人情本の繪に見る通りの有樣にいつも心を奪はれしたゝか藪蚊に頰をさゝれ始めて我に返るを常とする。隣は元吉原妓樓の寮で今は久しく空家になつてゐるのであるが、南巢の家は三代程前から引つゞき此方の古家に住んでゐる事とて、主人は自然に子供の折から年寄つた人逹の話や何かを聞き傳へ近隣一帶の事情には精通してゐる。現に南巢はまだ母のふところに抱かれてゐた時分であつた。御維新前から引つゞいた隣の寮で或年大雪の晩久しく出養生してゐた華魁が死んだ事をば子供ながら聞き知つて何となく悲しい氣がした事をばよく覺えてゐる。されば今も猶一株の松の老木、古池のほとりから緣先近くまで見事に枝をのばしてゐるのを見ると、南巢は幾歲になつても浦里や三千歲の淨瑠璃をば單に作者の綴つた狂言綺語だと云ひ捨てゝしまう氣にはなれない。また世の風俗人情がいかほど西洋らしく變つて來ても、短夜にきく鐘の聲、秋の夜に見る銀河の流れ風土固有の天然草木に變りなき間は男女が義理人情の底には今も猶淨瑠璃できくやうな昔のまゝなる哀愁があらねばならぬと思つてゐる。南巢はかゝる性情と併せて其境遇からもおのづと將來文墨の人たるべく生れて來たのであつた。曾祖父は醫を業とした傍國學に通じ、祖父もまた同じく醫の業をついだ傍ら狂歌師として其の名を知られた。で父の秀庵が家督をついだ頃には既に多少の恒產もあり三代もつゞいた醫者として世が世ならば家門いよ〳〵榮えべき筈のところ、維新となつて漢法醫はすつかりすたつてしまつた處から、父は自然々々に醫者をよすともなく止してしまつて、日頃道樂に習ひ覺えた篆刻をばいつともなく專門の業とするやうになり、其名の秀庵を秀齋と改めた。秀齋は又詩を賦し書にも拙くなかつた處から、次第に朝野の紳士と交遊し一時東都の翰墨場裏に其名を知られたのである。それやこれやで、醫者をしてゐる時よりも案外に收入が多く、別に蓄財の道を講ずるといふ程の苦心もなく、いつか子孫をして長く世路の艱難を知らしめざる程の財產をつくつて幸福に世を去つた。其の時南巢は丁度二十五歲で旣に馬琴風の小說一二篇を新聞に投書してゐた。父なき後は其の知古中に新聞社の社長や主筆になつてゐるものも尠くなかつたので以來南巢は操觚の人となつたのである。然し南巢は紅葉眉山等硯友社の一派にもさしたる關係なく、又透谷秋骨孤蝶等の新文學も知らず、逍遙不倒等前期の早稻田派とも全く交遊する機會なく、唯先祖代々住み古した根岸の家の土藏にしまつてある和漢の書籍と江戶時代の随筆雜著の類から獨り感興を得て、或時は近松、或時は西鶴、或時は京傳三馬の形式に傚ひ、飽まで戲作者たる傳來の卑下した精神の下に、丁寧沈着に飽く事なく二十幾年物語の筆を把つて來たのであつた。然し時勢はいよ〳〵變じて、殊に大正改元以來、文學繪畫の傾向演劇俗曲の趨勢は日常一般の風俗と共に生來あまり物に熱中せぬ南巢をも流石に憤慨せしむべき事が多くなつて來たので、彼は始めてこれでは成らぬと氣がついたらしく、婦女童幼を悅ばす續物の執筆に一生を終へゞきではない、丁度晩年の京傳や種彦のなしたやうに、舊時の風俗容儀什器の考證硏究に心を傾け、小說の戲作は新聞社と書肆に對する從來の關係上唯その責任をすますだけの事にしてしまつた。

南巢の父秀齋は菊如の歿する數年前既に亡き人の數に入つたのであるが、隣家との交際は南巢の代になつて更に親密の度を加へた。南巢は夙に劇評家としても其の名を知られてゐたので、菊如なき後其の養子一糸は每日のやうに南巢の家に遊びに來る。南巢もその頃は内々劇壇に野心があつたので大に之を歡迎したのであつた。

其の時緣側の方で、「にいさん、何處どこにゐるの。」と呼ぶ聲がした。

二人は飛石づたひに軈て植込の中へくゞり入つた。お千代は雪洞の光を片袖に蔽ひかくして息をこらしたが、薗八の一段がふと途絕えた後は唯だ緣側の障子に薄く灯影の殘るばかり、寮は寂々として話聲も笑聲も何にも聞えないのであつた。

さうかうする中住む人なき隣の庭は年と共にます〳〵森閑として落葉のみ堆高うづたかく、夏秋の刈込時になつてもついぞ鋏の音のした事なく、秋は百舌鳥冬は鴇の聲のみ氣たゝましく聞えるばかり、丁度南巢が子供の折恐る〳〵父の後について步いて見た時と全く變りがないやうになつた。南巢は怠らず我が家の庭の手入をしながら朝な夕なこのさま垣間見かいまみて、大方おほかた瀨川の家では養母を始め當主の一糸も妓樓の古い寮なんぞには何の興味も持たぬ處から、立ち腐され同樣に買手のつき次第賣拂ふ氣に相違ないと想像した。

かくの如き愛惜の情は獨り我家のみならず、垣を越えて隣の庭にまで及ぼしてゐるのである。隣りは吉原の妓樓が潰れた後久しく空家になつたまゝ誰も買手が無かつた。すると誰が云出すともなくこゝで死んだ華魁が雪女郞になつて化けて出るとか、或は狐狸がわるさをするとか色々の風說が立つていよ〳〵買手がつかなくなる。然し昔から隣合になつた倉山の家では女子供を初として誰も不思議がるものはない。南巢の父秀齋老人は月のよい晩なぞ、我が家の庭を步み盡して、垣根の破れから構はず隣の空庭に入込み池の廻りを徘徊しながら、少時不識月。呼作白玉盤。又疑瑤臺鏡。飛在白雲端。なぞと大きな聲で詩を吟ずる。依賴された篆刻の催促を受け返事に困るやうな時には、父はいつもそつと我家を拔出して隣の庭へ隱れてしまふ。すると取次の女中や細君が挨拶に困つて家中をさがした末、これもいつか隣りへと入り込む始末。父は遂に池のほとりなる松の大木をばあの儘長く手入せずに捨てゝ置いては折角の枝振もだいなしになつて、此末誰が買取るにしても勿體ないと自分の庭へ植木屋の來る時、仕事のついでに其の古葉をふるはせるやら、又暴風雨あらしで柴折門が倒れかゝつたのを、あれは今時の職人にはいかほど金を出しても出來ぬ仕事だと、捨て置くに忍びず、内所ないしよで修繕をしたりしてゐたが、やがて座敷の雨戶を明けて内へ上り込み、昔華魁がこゝで病を養ひ文をかき香を焚いてゐたかと思へば氣のせいか寂しい中に何となく艷しい心持のする家造やづくりだと、獨で悅び我家から酒など運ばせて獨酌する事さへ度々で、買手のない妓樓の寮はまるで秀齋翁の別莊も同樣の有樣になつてしまつた。然し化物屋敷だといふ風說は相變らず傳へられてゐたが、倉山の家へ出入するものは主人に導かれて一度ならず隣の空家へ連れられて行く處から、いつか馴れて怪まず、兎角する中にさう云ふ來客の中から是非にと望む買手さへ現はれるやうになつた。それは瀨川菊如といふ歌舞伎役者であつた。卽ち今の瀨川一糸の養父で、鐵筆の大家なる倉山秀齋先生とも交遊のあつた程故、役者に似氣なく文筆の嗜み淺からず、妓樓の寮を住居として家業の憂さを歌俳諧さては茶の湯の風流に慰め、長閑にその晩年を送盡した。菊如の歿後、後添ひの妻は年も大分ちがつてゐたので、出端のいゝ下町に住ひたいと云つて一周忌をすましてから軈て築地へ引越した。寮はこゝに再び元の空家になつたが、然し瀨川の家では別に賣拂ふ譯でもなく植木屋一人を番人にして春や秋折々遊びに來る別莊にしてゐた。

かくて今、南巢の身に取つて根岸の古家と古庭は何物にも換へがたい寶物となつた。近隣は追々に開けて吳竹の根岸らしい趣は全くなくなるにつけ、南巢はわが家の既に處々蟲の喰つた緣側も、こゝには天明の昔、曾祖父が池邊の梅花を眺めて國風を吟じ、繼いで祖父は傾きかゝつたこの土庇にさす仲秋の月を見て狂歌を咏じたかと思へば、たとへ如何程無駄な經費を要しても、又いか程住ひにくいにしても此の古家と古庭とは昔のまゝに保存して置きたい心持になる。出入の大工は折々の雨漏其の他の修繕に來る度、いつそお建て替へになつた方が長い中にはお德になりますと云ふのであるが、南巢は唯笑ふのみで三年程前に土臺どだいの根つぎをした時も殆ど自分が大工になつたやうに目を放さず監督したのであつた。されば庭中の一木一草も皆これ祖先の詩興を動した形見とて、土藏の中の書籍什器調度の類と同じく尊い寶物として、植木屋の心なき鋏に切り折られる事を恐れて主人自ら春秋の手入を怠らないのである。

お千代は全くの素人しろうとであるが、然し薗八河東一中萩江節のやうなものに掛けてはなまなかの藝者よりもずつとしつかりしてゐる。それは一時非常に豪奢な暮しをした文人畫の大家何某先生の家に生れ小さい時から畫家文人役者藝人衆との應接に馴らされてゐたので、倉山の家にとついでからもうかれこれ二十年に近く、子供も二人あつて年は三十五といふのに銀杏返に結つて買物にでも行く折には今だに時々藝者に見ちがへられる。氣性もそのやうに若々しく物に頓着しないく鷹揚な處が、夫南巢の極内氣な性質と相反して却てそれが琴瑟相和する所以となつてゐる。

あまりの不思議に南巢はこの時ばかりは眞實隣の屋敷には幽靈が出るのかも知れぬといふやうな心持になつた。淸元か長唄ならば如何に寂しい時雨の夜でもさういふ氣のする氣遣はないのであるが、淨瑠璃の中でも一番陰氣な哀ツぽい聲調で夢かうつゝのやうに心中物のみ語つて聞かせる薗八節。どうしてもあの寮で死んだ遊女の亡靈が浮ばれぬまゝに今宵時雨の夜深よふけ娑婆の恨を人知れず訴へるものとしか思はれない。

「藝者衆でせうか、それとも何處どこかのお妾さんでせうか。」

「聞えますよ。そんな大きな聲でお笑ひなすつちや。」

「聞えましたか。それぢやもう神妙に申上げてしまひませう。」

「知つてますとも。あなた、まだ御覽なさらないの。」

「是非拜見したいね。」

「實は昨夜しみ〴〵身につまされました。いゝ音〆でしたな。」

「子供はもう寢たらうな。」

「大分小降りになつたやうだ。雪洞をつけてくれ。一ツのぞいて來やう。」

「先生々々。相變らずお丹精ですね。」と呼びかけた。南巢は土まみれの手に冠つてゐた古帽子を取りながら、聲する方に進み、

「何です。」

「久振り、おはなしにらつしやい。家内もしよつちうお噂をしてゐます。お構ひ申しませんからお二人連れで、…………。」と南巢は少し聲をひそめ、

「まア、御苦勞ですねえ。」と云つたが、お千代は直樣立つて緣側の押入から雪洞を取出して灯をつけた。

「まだ見ない。」

「さつぱり掛けちがつてお目にかゝりませんでしたな。いつから此方こつちにお居でなんです。ちつとも知りませんでした。」

「さうねえ。二十四五位でせうか。若く見えるけれどもつと取つてゐるかも知れません。下ぶくれの色の淺黑い、あなたなんぞが御覽になつたらきつとおめになりますよ。それア仇ツぽい意氣な年增です。」云ひながら耳を傾けて、「聲もさびのあるいゝ聲ですわねえ。彈語ひきがたりでせうか。」

「さうさ。うまい事を考へたな。濱村屋もこの頃は大變な人氣だつて云ふからね。はゝゝゝゝは。」

「さうか。ぢやお前も一所に來ないか。提灯持は先だよ。」

「かわいさうに、まだ蟋蟀が大分死なずに鳴いてゐるな。お千代、そつちは通れない。柘榴ざくろの下はいつでも水溜りだ。そつちの百日紅の下を拔けるがいゝ。」

「お聞きよ。そら、お隣りの空屋敷で薗八を語つてゐるぢやないか。」

「お千代。成程怪しいな。」

「お千代、お前どうして、そんなに委しい事を知つてゐるんだい。のぞきに行つたのか。」

「えゝ、とうにせりました。」

「いゝえ。ちやんと知つてゐる譯がありますの。たゞぢや敎へません。」と笑つたが、やがて座をすゝめて、今日の夕方表へ買物に行つた歸りがけ、うしろから馳けて來た二臺の車がふと隣の門前で梶棒を卸したので、不思議な事もあるものだと何心なく立止つて振返ると、やがて幌の中から瀨川一糸とつゞいて藝者風の意氣な年增の下りるのを見た。「一番ようござんすわ。内所ないしよで別莊へ連れて來れば誰にも知れなくつて…………ほゝゝほ。」

「いよ〳〵幽靈だよ…………。」

「いやですよ。あなた。」

「いえ、昨日から一寸遊びがてら宿りに來たんで、まだ御挨拶にも伺ひません。」

「あなた。お茶がはいりました。」と靜に書齋の襖を明ける妻の聲に南巢は振返つて突如だしぬけに、

「あなた、好鹽梅いゝあんばいんでますよ。」と庭下駄はいて先づ沓脫石くつぬぎの上にり立つたお千代は、雪洞持つ片手を差翳さしかざして足下を照しながら、「何だか芝居のお腰元見たやうですね。ほゝゝほ。」

燈火あかりをつけて夜庭へ出るのは何となくいゝものさ。差詰めわしの役は源氏十二段の御曹子とでも云ふ處だな。しかし、夫婦揃つて隣の垣間見と來ちやア、とんだ岡燒沙汰だ。はゝゝゝゝは。」

「先生後でゆつくりおはなししませう。實はちつと御意見も伺つて見たい事があるんですよ。」と瀨川はそのまゝ垣根際を離れて、「何だい。こゝにゐるよ。」と云ひながら聲する方へ步いて行つた。

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