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腕くらべ

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はしがき

おのれ志いまだ定らざりし二十の頃よりふと戯れに小說といふもの書きはじめいつか身のたつきとなして數ればこゝに十八年の歳月をすごしけり。あゝ十八年曾我兄弟は辛苦をなめて十八年親の敵を打つて名を千載に傳へおのれはいたづらなる筆をなめて十八年世の憎しみを受け人のそしりをのみ招ぎけり十八年が同じ月日も用ゐかたによりて變るためしはもろこしに柳下惠といへる賢者は飴のあまきを嘗めて老ひたる親を養はんと申しけるを盜跖とよぶ盜人は人の家の戶に塗り音せぬやうに引あけて忍入らんといひけるとぞ。さはさりながら敵をねらふ兄弟も男と生れしからにはそつと人知れず大磯の濡れ事ばかりは免れず今も昔も男と女客と妓女とのいきさつ此のみ寔に千古不易の人情とや申すべき。それは扨て置きおのれ今年の夏より秋にかけて宿痾俄にあらたまり霜夜の蟲をも待たで露の命のいとゞあやうく思はれければ十八年がこの歲月わが拙き文市に出る度每に購ひ給ひける方々へいさゝか御禮のしるしまで新に一本をつゞりて笑覽に供せんものと思ひ立ちける折からこの小說腕くらべの一作幸雜誌文明にはわづかに草稿の一部を掲げしのみなれば急ぎ訂正改作してその全篇を印刷する事とはなしぬ。然れどもこれとて未尙全く完結に及べるものにもあらざればいよ〳〵その後篇とも稱すべきもの幸ひにしてまた來ん春まで命保ち得たらんにはやがて書きつぐべき折もやあらんまづそれまでは讀切のもの同樣偏に御愛讀を冀ふとしかいふ

大正六年冬至の夜 作者識

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はしがき