きりしとほろ上人伝在线阅读

きりしとほろ上人伝

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二 俄大名のこと

さるほどに「れぷろぼす」は、難なく「あんちおきや」の城裡じやうりに参つたが、田舎ゐなかの山里とはこと変り、この「あんちおきや」の都と申すは、この頃あめが下に並びない繁華の土地がらゆゑ、山男がちまたへはいるや否や、見物の男女なんによおびただしうむらがつて、はては通行することも出来まじいと思はれた。されば「れぷろぼす」もとんと行かうず方角を失うて、人波に腰をまれながら、とある大名小路の辻に立ちすくんでしまうたに、折よくそこへ来かかつたは、みかど御輦ぎよれんをとりまいた、侍たちの行列ぢや。見物の群集ぐんじゆはこれに先を追はれて、山男を一人残いたまま、見る見る四方へ遠のいてしまうた。ぢやによつて「れぷろぼす」は、大象の足にまがはうずしたたかな手を大地について、御輦の前に頭を下げながら、

「これは『れぷろぼす』と申す山男でござるが、唯今『あんちおきや』の帝は、天下無双の大将と承り、御奉公申さうずとて、はるばるこれまでまかり上つた。」と申し入れた。これよりさき、帝の同勢も、「れぷろぼす」の姿にきもをけして、先手は既にやり薙刀なぎなたさやをも払はうずけしきであつたが、この殊勝なことばを聞いて、異心もあるまじいものと思ひつらう、とりあへず行列をそこに止めて、供頭ともがしらの口からその趣をしかじかと帝へ奏聞そうもんした。帝はこれをきこし召されて、

やがて味方も整へば、帝は、「れぷろぼす」をまつさきに、貝金かひがね陣太鼓の音も勇しう、国ざかひの野原に繰り出された。かくと見た敵の軍勢は、元より望むところの合戦ぢやによつて、なじかは寸刻もためらはう。野原をおほうた旗差物が、にはかに波立つたと見てあれば、一度にどつとときをつくつて、今にも懸け合はさうずけしきに見えた。この時「あんちおきや」の人数の中より、一人悠々と進みいたは、別人でもない「れぷろぼす」ぢや。山男がこの日ので立ちは、水牛のかぶとに南蛮鉄のよろひ着下きおろいて、刃渡り七尺の大薙刀おほなぎなたみじかにおつとつたれば、さながら城の天主に魂が宿つて、大地も狭しと揺ぎいだいた如くでおぢやる。さるほどに「れぷろぼす」は両軍の唯中に立ちはだかると、その大薙刀をさしかざいて、はるかに敵勢を招きながら、いかづちのやうな声でよばはつたは、

ぢやによつて帝は御悦び斜ならず、目でたく凱歌のうちいくさをめぐらされたが、やがて「れぷろぼす」には大名の位を加へられ、その上諸臣にも一々勝利の宴を賜つて、ねんごろに勲功をねぎらはれた。その勝利の宴を賜つた夜のことと思召おぼしめされい。当時国々の形儀かたぎとあつて、その夜も高名かうみやうな琵琶法師が、大燭台の火の下に節面白うげんを調じて、今昔いまむかしの合戦のありさまを、手にとる如く物語つた。この時「れぷろぼす」は、かねての大願を成就したことでおぢやれば、よだれも垂れようずばかり笑み傾いて、余念もなく珍陀ちんたの酒をみかはいてあつた所に、ふと酔うた眼にもとまつたは、錦の幔幕まんまくを張り渡いた正面の御座にわせられるみかどの異な御ふるまひぢや。何故と申せば、検校けんげうのうたふ物語の中に、悪魔ぢやぼと云ふ言葉がおぢやると思へば、帝はあわただしう御手をあげて、必ず十字のしるしを切らせられた。その御ふるまひがしからずものものしげに見えたれば、「れぷろぼす」は同席の侍に、

さてこれより「れぷろぼす」は、漆紋うるしもん麻裃あさがみしもに朱鞘の長刀なががたなを横たへて、朝夕「あんちおきや」の帝の御所を守護する役者の身となつたが、さいはひここに功名手がらをあらはさうず時節が到来したと申すは、ほどなく隣国の大軍がこの都を攻めとらうと、一度に押し寄せて参つたことぢや。元来この隣国の大将は、獅子王をも手打ちにすると聞えた、万夫不当ばんぷふたうの剛の者でおぢやれば、「あんちおきや」の帝とても、なほざりの合戦はなるまじい。ぢやによつて今度の先手さきては、今まゐりながら「れぷろぼす」に仰せつけられ、帝は御自おんみづから本陣に御輦ぎよれんをすすめて、号令をつかさどられることとなつた。この采配を承つた「れぷろぼす」が、悦び身にあまりて、足の踏みども覚えなんだは、毛頭無理もおぢやるまい。

「遠からんものは音にも聞け、近くばよつて目にも見よ。これは『あんちおきや』の帝が陣中に、さるものありと知られたる『れぷろぼす』と申す剛の者ぢや。かたじけなくも今日は先手の大将を承り、ここに軍をいだいたれば、われと思はうずるものどもは、近う寄つて勝負せよやつ。」と申した。その武者ぶりの凄じさは、昔「ぺりして」の豪傑に「ごりあて」と聞えたが、鱗綴うろことぢの大鎧にあかがねほこひつさげて、百万の大軍を叱陀しつたしたにも、劣るまじいと見えたれば、さすが隣国の精兵たちも、しばしがほどはなりを静めて、出で合うずものもおりなかつた。ぢやによつて敵の大将も、この山男を討たいでは、かなふまじいと思ひつらう。美々しい物の具に三尺の太刀をぬきかざいて、竜馬りゆうめに泡をませながら、これも大音に名乗りをあげて、まつしぐらに「れぷろぼす」へ打つてかかつた。なれどもこなたはものともせいで、大薙刀をとりのべながら、二太刀三太刀あしらうたが、やがて得物をからりと捨てて、猿臂ゑんぴをのばいたと見るほどに、早くも敵の大将を鞍壺くらつぼからひきぬいて、目もはるかな大空へ、つぶての如く投げ飛ばいた。その敵の大将がきりきりと宙に舞ひながら、味方の陣中へどうと落ちて、乱離骨灰らりこつぱひになつたのと、「あんちおきや」の同勢が鯨波ときの声を轟かいて、帝の御輦ぎよれんを中にとりこめ、雪崩なだれの如く攻めかかつたのとが、かんはつをも入れまじい、殆ど同時の働きぢや。されば隣国の軍勢は、一たまりもなく浮き足立つて、武具馬具のたぐひをなげ捨てながら、四分五裂に落ちせてしまうた。まことや「あんちおきや」の帝がこの日の大勝利は、味方の手にとつた兜首かぶとくびの数ばかりも、一年の日数よりは多かつたと申すことでおぢやる。

「総じて悪魔ぢやぼと申すものは、あめが下の人間をもたなごころにのせてもてあそぶ、大力量のものでおぢやる。ぢやによつて帝も、悪魔ぢやぼ障碍しやうげを払はうずと思召され、再三十字の印を切つて、御身を守らせ給ふのぢや。」と申した。「れぷろぼす」はこれを聞いて、迂論うろんげに又問ひ返したは、

「何として帝は、あのやうに十字の印を切らせられるぞ。」と、卒爾そつじながら尋ねて見た所がその侍の答へたは、

「なれど今『あんちおきや』の帝は、あめが下に並びない大剛の大将と承つた。されば悪魔ぢやぼも帝の御身には、一指をだに加へまじい。」と申したが、侍は首をふつて、

「それがしが帝に随身し奉つたは、天下無双の強者つはものは帝ぢやと承つた故でおぢやる。しかるにその帝さへ、悪魔ぢやぼには腰を曲げられるとあるなれば、それがしはこれよりまかり出でて、悪魔ぢやぼの臣下と相成らうず。」とわめきながら、ただちに珍陀の盃をなげうつて、立ち上らうと致いたれば、一座の侍はさらいでも、「れぷろぼす」が今度の功名をねたましう思うて居つたによつて、

「すは、山男が謀叛むほんするわ。」と異口同音にののしり騒いで、やにはに四方八方からからめとらうと競ひ立つた。もとより「れぷろぼす」も日頃ならば、さうなくこの侍だちに組みとめられう筈もあるまじい。なれどもその夜は珍陀のゑひに前後も不覚のていぢやによつて、しばしがほどこそ多勢を相手に、組んづほぐれつ、み合うても居つたが、やがて足をふみすべらいて、思はずどうとまろんだれば、えたりやおうと侍だちは、いやが上にも折り重つて、怒り狂ふ「れぷろぼす」を高手小手にくくり上げた。帝もことのていたらくを始終残らず御覧ごらうぜられ、

「かほどの大男のことなれば、一定いちぢやう武勇も人に超えつらう。召し抱へてとらせい。」と、仰せられたれば、格別の詮議とあつて、すぐさま同勢の内へ加へられた。「れぷろぼす」の悦びは申すまでもあるまじい。ぢやによつて帝の行列の後から、三十人の力士もえくまじい長櫃ながびつ十棹とさをの宰領を承つて、ほど近い御所の門まで、鼻たかだかと御供仕つた。まことこの時の「れぷろぼす」が、山ほどな長櫃を肩にかけて、行列の人馬を目の下に見下しながら、大手をふつてまかり通つた異形いぎやう奇体の姿こそ、目ざましいものでおぢやつたらう。

「いや、いや、帝も、悪魔ぢやぼほどの御威勢はおぢやるまい。」と答へた。山男はこの答を聞くや否や、大いに憤つて申したは、

「恩をあだで返すにつくいやつめ。匇々そうそう土の牢へ投げ入れい。」と、大いに逆鱗げきりんあつたによつて、あはれや「れぷろぼす」はその夜の内に、見るもいぶせい地の底の牢舎へ、禁獄せられる身の上となつた。さてこの「あんちおきや」の牢内にとらはれとなつた「れぷろぼす」が、その後如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々は、まづ次のくだりを読ませられい。

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