きりしとほろ上人伝在线阅读

きりしとほろ上人伝

Txt下载

移动设备扫码阅读

一 山ずまひのこと

遠い昔のことでおぢやる。「しりあ」の国の山奥に、「れぷろぼす」と申す山男がおぢやつた。その頃「れぷろぼす」ほどな大男は、御主おんあるじの日輪の照らさせ給ふあめが下はひろしと云へ、絶えて一人もおりなかつたと申す。まづ身の丈は三丈あまりもおぢやらうか。葡萄蔓えびかづらかとも見ゆる髪の中には、いたいけな四十雀しじふからが何羽とも知れず巣食うて居つた。まいて手足はさながら深山みやまの松檜にまがうて、足音は七つの谷々にもこだまするばかりでおぢやる。さればその日のかてあさらうにも、鹿熊なんどのたぐひをとりひしぐは、指の先の一ひねりぢや。又は折ふし海べに下り立つて、すなどらうと思ふ時も、海松房みるぶさほどなひげの垂れたおとがひをひたと砂につけて、ある程の水を一吸ひ吸へば、たひかつを尾鰭おびれをふるうて、ざはざはと口へ流れこんだ。ぢやによつて沖を通る廻船さへ、時ならぬ潮のさしひきに漂はされて、水夫かこ楫取かんどりあわてふためく事もおぢやつたと申し伝へた。

なれど「れぷろぼす」は、性得しやうとく心根こころねのやさしいものでおぢやれば、山ずまひのそま猟夫かりうどは元より、往来の旅人にも害を加へたと申す事はおりない。かへつてそまりあぐんだ樹は推し倒し、猟夫かりうどの追ひ失うた毛物けものはとつておさへ、旅人の負ひなやんだ荷は肩にかけて、なにかと親切をつくいたれば、遠近をちこちの山里でもこの山男を憎まうずものは、誰一人おりなかつた。中にもとある一村では、羊飼のわらんべが行き方知れずになつた折から、夜さりそのわらんべの親が家の引き窓を推し開くものがあつたれば、驚きまどうて上を見たに、ほどな「れぷろぼす」のたなごころが、よく眠入ねいつたわらんべをかいのせて、星空の下から悠々と下りて来たこともおぢやると申す。何と山男にも似合ふまじい、殊勝な心映えではおぢやるまいか。

されば山賤やまがつたちも「れぷろぼす」に出合へば、餅や酒などをふるまうて、へだてなく語らふことも度々おぢやつた。さるほどにある日のこと、そまの一むれが樹を伐らうずとて、檜山ひやまふかくわけ入つたに、この山男がのさのさと熊笹の奥から現れたれば、もてなし心に落葉をいて、徳利の酒を暖めてとらせた。そのしづくほどな徳利の酒さへ、「れぷろぼす」は大きによろこんだけしきで、頭の中に巣食うた四十雀にも、杣たちのみ残いた飯をばらまいてとらせながら、大あぐらをかいて申したは、

「なれどここに一つ、難儀なことがおぢやる。それがしは日頃山ずまひのみ致いて居れば、どの殿の旗下はたもとに立つて、合戦をつかまつらうやら、とんと分別を致さうやうもござない。就いては当今天下無双の強者つはものと申すは、いづくの国の大将でござらうぞ。誰にもあれそれがしは、その殿の馬前にせ参じて、忠節をつくさうずる。」と問うたれば、

「それがしも人間と生れたれば、あつぱれ功名手がらをも致いて、末は大名ともならうずる。」と云へば、杣たちも打ち興じて、

「さればその事でおぢやる。まづわれらが量見にては、今あめが下に『あんちおきや』のみかどほど、武勇に富んだ大将もおぢやるまい。」と答へた。山男はそれを聞いて、ななめならず悦びながら、

「さらばすぐさま、打ち立たうず。」とて、小山のやうな身をおこいたが、ここに不思議がおぢやつたと申すは、頭の中に巣食うた四十雀しじふからが、一時にけたたましい羽音を残いて、空に網を張つた森のこずゑへ、ひなも余さず飛び立つてしまうた事ぢや。それが斜に枝をのばいた檜のうらに上つたれば、とんとその樹は四十雀が実のつたやうぢやとも申さうず。「れぷろぼす」はこの四十雀のふるまひを、いぶかしげな眼で眺めて居つたが、やがて又初一念を思ひ起いた顔色で、足もとにつどうたそまたちにねんごろな別をつげてから、再び森の熊笹を踏み開いて、元来たやうにのしのしと、山奥へ独りんでしまうた。

道理ことわりかな。おぬしほどの力量があれば、城の二つ三つも攻め落さうは、片手業かたてわざにも足るまじい。」と云うた。その時「れぷろぼす」が、ちともの案ずるていで申すやうは、

されば「れぷろぼす」が大名にならうず願望がことは、間もなく遠近をちこちの山里にも知れ渡つたが、ほど経て又かやうなうはさが、風のたよりに伝はつて参つた。と申すは国ざかひの湖で、大ぜいの漁夫れふしたちが泥に吸はれた大船をひきなづんで居つた所に、怪しげな山男がどこからか現れて、その船の帆柱をむずとつかんだと見てあれば、苦もなく岸へひきよせて、一同の驚き呆れるひまに、早くも姿をかくしたと云ふ噂ぢや。ぢやによつて「れぷろぼす」を見知つたほどの山賤やまがつたちは、皆この情ぶかい山男が、いよいよ「しりや」の国中から退散したことを悟つたれば、西空に屏風びやうぶを立てまはした山々の峰を仰ぐ毎に、限りない名残りが惜しまれて、おのづからため息がもれたと申す。まいてあの羊飼のわらんべなどは、夕日が山かげに沈まうず時は、かならず村はづれの一本杉にたかだかとよぢのぼつて、下につどうた羊のむれも忘れたやうに、「れぷろぼす」恋しや、山を越えてどち行つたと、かなしげな声で呼びつづけた。さてその後「れぷろぼす」が、如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々はまづ次のくだりを読ませられい。

15.85%
一 山ずまひのこと