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彼 第二

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僕等はかね工面くめんをしてはカッフェやお茶屋へ出入した。彼は僕よりも三割がたおすの特性を具えていた。ある粉雪こなゆきの烈しいよる、僕等はカッフェ・パウリスタの隅のテエブルに坐っていた。その頃のカッフェ・パウリスタは中央にグラノフォンが一台あり、白銅はくどうを一つ入れさえすれば音楽の聞かれる設備になっていた。そのもグラノフォンは僕等の話にほとんど伴奏を絶ったことはなかった。

「ちょっとあの給仕に通訳してくれ給え。――誰でも五銭出す度に僕はきっと十銭出すから、グラノフォンの鳴るのをやめさせてくれって。」

彼は突然口調くちょうを変え Brother と僕に声をかけた。

彼は妙な表情をした。それはちょうど雄鶏おんどりくびの羽根を逆立さかだてるのに似たものだった。

彼はほとんど叱りつけるように僕の言葉を中断した。

僕等はちょうど京橋きょうばし擬宝珠ぎぼしの前にたたずんでいた。人気ひとけのない夜更よふけの大根河岸だいこんがしには雪のつもった枯れ柳が一株、黒ぐろとよどんだ掘割りの水へ枝を垂らしているばかりだった。

僕等はいつか教文館きょうぶんかんの飾り窓の前へ通りかかった。なか硝子ガラスに雪のつもった、電燈の明るい飾り窓の中にはタンクや毒瓦斯どくガスの写真版を始め、戦争ものが何冊も並んでいた。僕等は腕を組んだまま、ちょっとこの飾り窓の前に立ち止まった。

僕は彼を引きずるようにし、粉雪こなゆきのふる往来へ出ることにした。しかし何か興奮した気もちは僕にも全然ないわけではなかった。僕等は腕を組みながら、傘もささずに歩いて行った。

グラノフォンはちょうどこの時に仕合せとぱったり音をってしまった。が、たちまち鳥打帽とりうちぼうをかぶった、学生らしい男が一人、白銅はくどうを入れに立って行った。すると彼は腰をもたげるが早いか、ダムなんとか言いながら、クルウェットスタンドを投げつけようとした。

「僕はもう帰る。」

「僕はこう云う雪の晩などはどこまでも歩いてきたくなるんだ。どこまでも足の続くかぎりは……」

「僕はきのう本国の政府へ従軍したいと云う電報を打ったんだよ。」

「ロマンティックなのがどこが悪い? 歩いて行きたいと思いながら、歩いて行かないのは意気地いくじなしばかりだ。凍死とうししてもなんでも歩いて見ろ。……」

「ロオランなどに何がわかる? 僕等は戦争の amidst にいるんだ。」

「よせよ。そんな莫迦ばかなことをするのは。」

「まだなんとも返事は来ない。」

「ふむ、僕等には above じゃない。」

「どこかこの近所へ沈んで行けよ。」

「そんなことは頼まれないよ。第一他人の聞きたがっている音楽をぜにずくでやめさせるのは悪趣味あくしゅみじゃないか?」

「それは余りロマンティックだ。」

「それで?」

「それじゃ他人の聞きたがらない音楽をかねずくで聞かせるのも悪趣味だよ。」

「そうか? じゃ僕は……」

「じゃなぜ歩いてかないんだ? 僕などはどこまでも歩いて行きたくなれば、どこまでも歩いて行くことにしている。」

「Above the War――Romain Rolland……」

日本にほんだね、とにかくこう云う景色は。」

独逸ドイツに対する彼の敵意は勿論僕には痛切ではなかった。従って僕は彼の言葉に多少の反感の起るのを感じた。同時にまたよいめて来るのも感じた。

彼は僕と別れる前にしみじみこんなことを言ったものだった。

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