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彼はかれこれ半年はんとしのち、ある海岸へ転地することになった。それは転地とは云うものの、大抵は病院に暮らすものだった。僕は学校の冬休みを利用し、はるばる彼を尋ねて行った。彼の病室は日当りの悪い、かぜの通る二階だった。彼はベッドに腰かけたまま、不相変あいかわらず元気に笑いなどした。が、文芸や社会科学のことはほとんど一言ひとことも話さなかった。

「僕はあの棕櫚しゅろの木を見る度に妙に同情したくなるんだがね。そら、あの上の葉っぱが動いているだろう。――」

僕等は夕飯ゆうはんをすませたのち、ちょうど風の落ちたのを幸い、海岸へ散歩に出かけることにした。太陽はとうに沈んでいた。しかしまだあたりは明るかった。僕等は低い松のえた砂丘さきゅうの斜面に腰をおろし、海雀うみすずめの二三羽飛んでいるのを見ながら、いろいろのことを話し合った。

僕は彼の言葉の通り、弘法麦こうぼうむぎれになった砂の中へ片手を差しこんで見た。するとそこには太陽の熱がまだかすかに残っていた。

僕はもう一度一生懸命に沈み勝ちな話を引き戻した。

僕はこう云う対話のうちにだんだん息苦いきぐるしさを感じ出した。

「読みつづける気にはならなかったの?」

「動いているね。何をくよくよ海べの棕櫚はさ。……」

「何、すぐにつめたくなってしまう。」

「不愉快なやつだね。」

「ジァン・クリストフは読んだかい?」

「どうもあれは旺盛おうせいすぎてね。」

「どうして?」

「どうしてってこともないけれども。……」

「それでもうおしまいだよ。」

「それから?」

「この砂はこんなにつめたいだろう。けれどもずっと手を入れて見給え。」

「このあいだKが見舞いに来たってね。」

「うん、ちょっと気味が悪いね。夜になってもやっぱりあたたかいかしら。」

「ああ、日帰りでやって来たよ。生体解剖せいたいかいぼうの話や何かして行ったっけ。」

「ああ、少し読んだけれども、……」

なんだつまらない。」

棕櫚しゅろの木はつい硝子ガラス窓の外に木末こずえの葉を吹かせていた。その葉はまた全体もらぎながら、こまかにけた葉の先々をほとんど神経的にふるわせていた。それは実際近代的なもの哀れを帯びたものに違いなかった。が、僕はこの病室にたった一人している彼のことを考え、出来るだけ陽気に返事をした。

僕はなぜかはっきりとこう云う対話を覚えている。それから僕等の半町ほど向うに黒ぐろとなごんでいた太平洋も。……

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