彼在线阅读

Txt下载

移动设备扫码阅读

彼は中学を卒業してから、一高いちこうの試験を受けることにした。が、生憎あいにく落第らくだいした。彼があの印刷屋の二階に間借まがりをはじめたのはそれからである。同時にまたマルクスやエンゲルスの本に熱中しはじめたのもそれからである。僕は勿論社会科学になんの知識も持っていなかった。が、資本だの搾取さくしゅだのと云う言葉にある尊敬――と云うよりもある恐怖きょうふを感じていた。彼はその恐怖を利用し、度たび僕を論難した。ヴェルレエン、ラムボオ、ヴオドレエル、――それ等の詩人は当時の僕には偶像ぐうぞう以上の偶像だった。が、彼にはハッシッシュや鴉片あへんの製造者にほかならなかった。

僕等の議論は今になって見ると、ほとんど議論にはならないものだった。しかし僕等は本気ほんきになって互に反駁はんばくを加え合っていた。ただ僕等の友だちの一人、――Kと云う医科の生徒だけはいつも僕等を冷評れいひょうしていた。

Kは僕等を見比べながら、にやにや笑ってこう言ったりした。僕は勿論内心では洲崎へでも何でもきたかった。けれども彼は超然ちょうぜんと(それは実際「超然」と云うほかには形容の出来ない態度だった。)ゴルデン・バットをくわえたまま、Kの言葉に取り合わなかった。のみならず時々は先手せんてを打ってKの鋒先ほこさきくじきなどした。

彼は翌年の七月には岡山おかやま六高ろっこうへ入学した。それからかれこれ半年はんとしばかりは最も彼には幸福だったのであろう。彼は絶えず手紙を書いては彼の近状を報告してよこした。(その手紙はいつも彼の読んだ社会科学の本の名を列記していた。)しかし彼のいないことは多少僕にはものらなかった。僕はKと会う度に必ず彼のうわさをした。Kも、――Kは彼に友情よりもほとんど科学的興味に近いある興味を感じていた。

「革命とはつまり社会的なメンスツラチオンと云うことだね。……」

「そんな議論にむきになっているよりも僕と一しょに洲崎すさきへでも来いよ。」

「あいつはどう考えても、永遠に子供でいるやつだね。しかしああ云う美少年の癖に少しもホモ・エロティッシュな気を起させないだろう。あれは一体どう云うわけかしら?」

Kは寄宿舎の硝子ガラス窓をうしろに真面目まじめにこんなことを尋ねたりした、敷島しきしまの煙を一つずつ器用に輪にしてはき出しながら。

16.58%