三
彼は中学を卒業してから、一高の試験を受けることにした。が、生憎落第した。彼があの印刷屋の二階に間借りをはじめたのはそれからである。同時にまたマルクスやエンゲルスの本に熱中しはじめたのもそれからである。僕は勿論社会科学に何の知識も持っていなかった。が、資本だの搾取だのと云う言葉にある尊敬――と云うよりもある恐怖を感じていた。彼はその恐怖を利用し、度たび僕を論難した。ヴェルレエン、ラムボオ、ヴオドレエル、――それ等の詩人は当時の僕には偶像以上の偶像だった。が、彼にはハッシッシュや鴉片の製造者にほかならなかった。
僕等の議論は今になって見ると、ほとんど議論にはならないものだった。しかし僕等は本気になって互に反駁を加え合っていた。ただ僕等の友だちの一人、――Kと云う医科の生徒だけはいつも僕等を冷評していた。
Kは僕等を見比べながら、にやにや笑ってこう言ったりした。僕は勿論内心では洲崎へでも何でも行きたかった。けれども彼は超然と(それは実際「超然」と云うほかには形容の出来ない態度だった。)ゴルデン・バットを銜えたまま、Kの言葉に取り合わなかった。のみならず時々は先手を打ってKの鋒先を挫きなどした。
彼は翌年の七月には岡山の六高へ入学した。それからかれこれ半年ばかりは最も彼には幸福だったのであろう。彼は絶えず手紙を書いては彼の近状を報告してよこした。(その手紙はいつも彼の読んだ社会科学の本の名を列記していた。)しかし彼のいないことは多少僕にはもの足らなかった。僕はKと会う度に必ず彼の噂をした。Kも、――Kは彼に友情よりもほとんど科学的興味に近いある興味を感じていた。
「革命とはつまり社会的なメンスツラチオンと云うことだね。……」
「そんな議論にむきになっているよりも僕と一しょに洲崎へでも来いよ。」
「あいつはどう考えても、永遠に子供でいるやつだね。しかしああ云う美少年の癖に少しもホモ・エロティッシュな気を起させないだろう。あれは一体どう云う訣かしら?」
Kは寄宿舎の硝子窓を後ろに真面目にこんなことを尋ねたりした、敷島の煙を一つずつ器用に輪にしては吐き出しながら。