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彼は本郷の叔父さんの家から僕と同じ本所ほんじょの第三中学校へかよっていた。彼が叔父さんの家にいたのは両親のいなかったためである。両親のいなかったためと云っても、母だけは死んではいなかったらしい。彼は父よりもこの母に、――このどこへか再縁さいえんした母に少年らしい情熱を感じていた。彼は確かある年の秋、僕の顔を見るが早いか、どもるように僕に話しかけた。

「僕はこの頃僕の妹が(妹が一人あったことはぼんやり覚えているんだがね。)えんづいた先を聞いて来たんだよ。今度の日曜にでも行って見ないか?」

彼は何かにぶつかるように一生懸命に話しかけていた。が、彼の妹は時々赤児をあやしながら、愛想あいそい応対をするだけだった。僕は番茶のしぶのついた五郎八茶碗ごろはちぢゃわんを手にしたまま、勝手口の外をふさいだ煉瓦塀れんがべいこけを眺めていた。同時にまたちぐはぐな彼等の話にある寂しさを感じていた。

彼の妹は不相変あいかわらず赤児に乳房を含ませたまま、しとやかに僕等に挨拶あいさつした。

実際その家の窓の下には古机が一つ据えてあった。古机の上には何冊かの本も、――講談本などもっていたであろう。しかし僕の記憶には生憎あいにく本のことは残っていない。ただ僕は筆立ての中に孔雀くじゃくの羽根が二本ばかりあざやかにしてあったのを覚えている。

僕等はもう日の暮に近い本所の町を歩いて行った。彼も始めて顔を合せた彼の妹の心もちに失望しているのに違いなかった。が、僕等は言い合せたように少しもその気もちを口にしなかった。彼は、――僕はいまだに覚えている。彼はただ道に沿うた建仁寺垣けんにんじがきに指をれながら、こんなことを僕に言っただけだった。

僕は早速さっそく彼と一しょに亀井戸かめいどに近い場末ばすえの町へ行った。彼の妹の縁づいた先は存外ぞんがい見つけるのにひまどらなかった。それは床屋とこやの裏になった棟割むねわ長屋ながやの一軒だった。主人は近所の工場こうじょうか何かへつとめに行った留守るすだったと見え、造作ぞうさくの悪い家の中には赤児あかご乳房ちぶさを含ませた細君、――彼の妹のほかに人かげはなかった。彼の妹は妹と云っても、彼よりもずっと大人おとなじみていた。のみならず切れの長い目尻めじりのほかはほとんど彼に似ていなかった。

「どんな本を?」

「どんな人って……やっぱり本を読むのが好きなんですよ。」

「その子供は今年ことし生れたの?」

「じゃまた遊びに来る。兄さんによろしく。」

「さようですか? では皆さんによろしく。どうもお下駄げたも直しませんで。」

「いいえ、去年。」

「いいえ、一昨年おととしの三月ですよ。」

講談本こうだんぼんや何かですけれども。」

にいさんはどんな人?」

結婚したのも去年だろう?」

「こうやってずんずん歩いていると、妙に指がふるえるもんだね。まるでエレキでもかかって来るようだ。」

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