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薤露行

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五舟

かぶとに巻ける絹の色に、槍突き合わす敵の目もむべし。ランスロットはその日の試合に、二十余人の騎士をたおして、引き挙ぐる間際まぎわに始めてわが名をなのる。驚く人のめぬを、ラヴェンと共にらちを出でたり。行く末は勿論もちろんアストラットじゃ」と三日過ぎてアストラットに帰れるラヴェンは父と妹に物語る。

「ランスロット?」と父は驚きのまゆを張る。女は「あな」とのみ髪にす花の色をふるわす。

重ね上げたる空想は、また崩れる。児戯に積む小石の塔をかえす時の如くに崩れる。崩れたるあとのわれに帰りて見れば、ランスロットはあらぬ。気を狂いてカメロットの遠きに走れる人の、わがそばにあるべき所謂いわれはなし。離るるとも、ちかいさえかわらずば、千里を繋ぐつなもあろう。ランスロットとわれは何を誓える? エレーンの眼には涙があふれる。

読み終りたるギニヴィアは、腰をのして舟の中なるエレーンの額――透きとおるエレーンの額に、ふるえたる唇をつけつつ「美くしき少女!」という。同時に一滴の熱き涙はエレーンの冷たき頬の上に落つる。

衰えは春野焼く火と小さき胸をかして、うれいは衣に堪えぬ玉骨ぎょっこつ寸々すんずんに削る。今までは長き命とのみ思えり。よしやいつまでもとむさぼる願はなくとも、死ぬという事は夢にさえ見しためしあらず、つかの春と思いあたれる今日となりて、つらつら世を観ずれば、日に開くつぼみの中にもうらみはあり。まるく照る明月のあすをと問わば淋しからん。エレーンは死ぬより外の浮世に用なき人である。

花に戯むるるちょうのひるがえるを見れば、春にうれいありとは天下を挙げて知らぬ。去れど冷やかに日落ちて、月さえやみに隠るるよいを思え。――ふる露のしげきを思え。――薄き翼のいかばかり薄きかを思え。――広き野の草の陰に、琴のつめほどちいさきものの潜むを思え。――畳む羽に置く露の重きに過ぎて、夢さえ苦しかるべし。果知らぬ原の底に、あるに甲斐かいなき身を縮めて、誘う風にも砕くる危うきを恐るるはさびしかろう。エレーンは長くは持たぬ。

舟はカメロットの水門に横付けに流れて、はたと留まる。白鳥の影は波に沈んで、岸高くそばだてる楼閣の黒く水に映るのが物凄ものすごい。水門は左右に開けて、石階の上にはアーサーとギニヴィアを前に、城中の男女なんにょことごとく集まる。

舟は杳然ようぜんとして何処いずくともなく去る。美しき亡骸なきがらと、美しききぬと、美しき花と、人とも見えぬ一個の翁とを載せて去る。翁は物をもいわぬ。ただ静かなる波の中に長き櫂をくぐらせては、くぐらす。木に彫る人をむちうってたしめたるか、櫂を動かす腕のほかにはきたる所なきが如くに見ゆる。

空は打ち返したる綿を厚く敷けるが如く重い。流をはさむ左右の柳は、一本ごとに緑りをこめて濛々もうもうと烟る。娑婆しゃば冥府めいふさかいに立ちて迷える人のあらば、その人の霊を並べたるがこの気色けしきである。に似たる少女おとめの、舟に乗りて他界へ行くを、立ちならんで送るのでもあろう。

王はおごそかなる声にて「何者ぞ」と問う。櫂の手を休めたる老人はおうしの如く口を開かぬ。ギニヴィアはつと石階をくだりて、乱るる百合の花の中より、エレーンの右の手に握るふみを取り上げて何事と封を切る。

涙の中にまた思い返す。ランスロットこそ誓わざれ。一人誓えるわれの渝るべくもあらず。二人の中に成り立つをのみ誓とはいわじ。われとわが心にちぎるも誓にはれず。この誓だに破らずばと思い詰める。エレーンの頬の色はせる。

死ぬ事の恐しきにあらず、死したる後にランスロットに逢いがたきを恐るる。去れどこの世にての逢いがたきに比ぶれば、未来に逢うのかえってやすきかとも思う。罌粟けし散るをしとのみ眺むべからず、散ればこそまた咲く夏もあり。エレーンは食を断った。

書き終りたる文字は怪しげに乱れて定かならず。年寄の手のふるえたるは、おいのためともかなしみのためとも知れず。

悲しき声はまた水を渡りて、「……うつくしき……恋、色や……うつろう」と細き糸ふって波うたせたる時の如くに人々の耳を貫く。

女またいう。「息絶えて、身の暖かなるうち、右の手にこのふみを握らせ給え。手も足も冷え尽したる後、ありとある美しききぬにわれを着飾り給え。隙間すきまなく黒き布しき詰めたる小船こぶねの中にわれを載せ給え。山に野に白き薔薇ばら、白き百合ゆりを採り尽して舟に投げ入れ給え。――舟は流し給え」

古き江にさざなみさえ死して、風吹く事を知らぬ顔に平かである。舟は今緑りむる陰を離れて中流にづる。かいあやつるはただ一人、白き髪の白きひげおきなと見ゆ。ゆるくく水は、物憂げに動いて、一櫂ごとに鉛の如き光りを放つ。舟は波に浮ぶ睡蓮すいれんの睡れる中に、音もせず乗り入りては乗り越して行く。うてな傾けて舟を通したるあとには、かろく波足と共にしばらく揺れて花の姿は常のしずけさに帰る。押し分けられた葉の再び浮き上る表には、時ならぬ露が珠を走らす。

今はこれまでの命と思い詰めたるとき、エレーンは父と兄とを枕辺に招きて「わがためにランスロットへのふみかきて玉われ」という。父は筆と紙を取り出でて、死なんとする人の言の葉を一々に書き付ける。

シャロットを過ぐる時、いずくともなく悲しき声が、左の岸より古き水の寂寞じゃくまくを破って、動かぬ波の上に響く。「うつせみの世を、……うつつ……に住めば……」絶えたる音はあとを引いて、引きたるはまたしばらくに絶えんとす。聞くものは死せるエレーンと、ともに坐る翁のみ。翁は耳さえ借さぬ。ただ長き櫂をくぐらせてはくぐらする。思うにつんぼなるべし。

エレーンは盾を眺めている。ランスロットの預けた盾を眺め暮している。その盾には丈高き女の前に、一人の騎士がひざまずいて、愛と信とを誓える模様が描かれている。騎士の鎧は銀、女の衣は炎の色に燃えて、は黒に近き紺を敷く。赤き女のギニヴィアなりとは憐れなるエレーンの夢にだも知る由がない。

エレーンは盾の女を己れと見立てて、跪まずけるをランスロットと思う折さえある。かくあれと念ずる思いの、いつか心のうちを抜け出でて、かくの通りと盾の表にあらわれるのであろう。かくありて後と、あらぬいしずえを一度び築ける上には、そら事を重ねて、そのそら事の未来さえも想像せねばやまぬ。

エレーンのしかばねすべての屍のうちにて最も美しい。涼しき顔を、雲と乱るる黄金こがねの髪にうずめて、笑える如くよこたわる。肉に付着するあらゆる肉の不浄をぬぐい去って、霊その物の面影を口鼻こうびの間に示せるは朗かにもまた極めて清い。苦しみも、憂いも、恨みも、憤りも――世にいまわしきもののあとなければ土に帰る人とは見えず。

と見れば雪よりも白き白鳥が、収めたる翼に、波を裂いて王者の如く悠然ゆうぜんと水を練り行く。長きくびの高くしたるに、気高き姿はあたりを払って、恐るるもののありとしも見えず。うねる流を傍目わきめもふらず、へさきに立って舟を導く。舟はいずくまでもと、鳥のに裂けたる波の合わぬしたがう。両岸の柳は青い。

かくしてエレーンは眼を眠る。眠りたる眼は開くなし。父と兄とは唯々いいとして遺言のごとく、憐れなる少女おとめ亡骸なきがらを舟に運ぶ。

「追い付ける時は既に遅くあった。乗る馬の息の、やみ押し分けて白く立ち上るを、いやがうえにむちうって長き路を一散にけ通す。黒きもののそれかとも見ゆる影が、二丁ばかり先に現われたる時、われは肺を逆しまにしてランスロットと呼ぶ。黒きものは聞かざる真似まねして行く。かすかに聞えたるはくつわの音か。怪しきは差して急げる様もなきに容易たやすくは追い付かれず。ようやくの事あいだ一丁ほどにせまりたる時、黒きものは夜の中に織り込まれたる如く、ふっと消える。合点がてん行かぬわれはますます追う。シャロットの入口に渡したる石橋に、蹄も砕けよと乗り懸けしと思えば、馬は何物にかつまずきて前足を折る。るわれはたてがみをさかにいて前にのめる。かつと打つは石の上と心得しに、われより先にたおれたる人のよろいの袖なり」

「追い付いてか」と父と妹は声をそろえて問う。

「薬を掘り、草を煮るは隠士の常なり。ランスロットをよみがえしてか」と父は話し半ばに我句を投げ入るる。

「深き創か」と女は片唾かたずを呑んで、懸念の眼をみはる。

「橋のたもとの柳のうちに、人住むとしも見えぬ庵室あんしつあるを、試みに敲けば、世をのがれたる隠士のきょなり。幸いと冷たき人をかつぎ入るる。かぶとを脱げば眼さえ氷りて……」

「左へ切ればここまで十マイルじゃ」と老人が物知り顔にいう。

「右? 右はシャロットへの本街道、十五哩は確かにあろう」これも老人の説明である。

「倒れたるはランスロットか」と妹はたまゆるほどの声に、椅子のはじを握る。椅子の足は折れたるにあらず。

「二十余人の敵と渡り合えるうち、何者かのやりを受け損じてか、よろいの胴を二寸さがりて、左のまたきずを負う……」

「ランスロットは馬のかしらを右へ立て直す」

「よみ返しはしたれ。よみにある人とえらぶ所はあらず。われに帰りたるランスロットはまことのわれに帰りたるにあらず。魔に襲われて夢に物いう人の如く、あらぬ事のみ口走る。あるときは罪々と叫び、あるときは王妃――ギニヴィア――シャロットという。隠士が心を込むる草のかおりも、煮えたるかしらには一点の涼気を吹かず。……」

「そのシャロットのかたへ――あとより呼ぶわれを顧みもせでくつわを鳴らして去る。やむなくてわれも従う。不思議なるはわが馬を振り向けんとしたる時、前足を躍らしてあやしくもいななける事なり。嘶く声のはて知らぬ夏野に、末広に消えて、馬の足掻あがきの常の如く、わが手綱たづなの思うままに運びし時は、ランスロットの影は、と共にかすかなる奥に消えたり。――われは鞍をたたいて追う」

「いずこと知らば尋ぬる便りもあらん。茫々ぼうぼうと吹く夏野の風の限りは知らず。西東日の通う境はきわめがたければ、ひとり帰り来ぬ。――隠士はいう、やまい怠らで去る。かの人の身は危うし。狂いて走るかたはカメロットなるべしと。うつつのうちに口走れる言葉にてそれと察せしと見ゆれど、われはしかと、さは思わず」と語り終ってさかずきに盛る苦き酒を一息に飲み干してにじの如き気を吹く。妹は立ってわが室に入る。

「あぶなきはわが上ならず。われより先に倒れたるランスロットの事なり……」

「あぶない!」と老人は眼の前の事の如くに叫ぶ。

くらに堪えぬほどにはあらず。夏の日の暮れがたきに暮れて、あおゆうべを草深き原のみ行けば、馬のひづめは露にれたり。――二人は一言ひとことわさぬ。ランスロットの何の思案に沈めるかは知らず、われは昼の試合のまたあるまじき派手やかさをしのぶ。風渡るこずえもなければ馬のくつの地を鳴らす音のみ高し。――路は分れて二筋となる」

のがれしか」と父は聞き、「いずこへ」と妹はきく。

枕辺まくらべにわれあらば」と少女おとめは思う。

あめしたに慕える人は君ひとりなり。君一人のために死ぬるわれを憐れと思え。陽炎かげろう燃ゆる黒髪の、長き乱れの土となるとも、胸に彫るランスロットの名は、星変る後の世までも消えじ。愛の炎に染めたる文字の、土水どすいの因果を受くることわりなしと思えば。まつげに宿る露のたまに、写ると見れば砕けたる、君の面影のもろくもあるかな。わが命もしかく脆きを、涙あらばそそげ。基督キリストも知る、死ぬるまで清き乙女おとめなり」

一夜いちやのちたぎりたる脳の漸く平らぎて、静かなる昔の影のちらちらと心に映る頃、ランスロットはわれに去れという。心許さぬ隠士は去るなという。とかくして二日を経たり。三日目の朝、われと隠士のねむり覚めて、病む人の顔色の、今朝けさ如何いかがあらんと臥所ふしどうかがえば――らず。つるぎの先にて古壁に刻み残せる句には罪はわれを追いわれは罪を追うとある」

十三人の騎士は目と目を見合せた。

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五舟