七月の空に怪しき雲の峯かとばかり聳立つ紐育の高い建物、虹よりも大きく天空に橫はるブルツクリンの大橋、水の眞中に直立する自由の女神像―――此の年月見馴れ見馴れた一灣の光景は次第〳〵に空と波との間に隱れて行く………と、船はやがて綠深いスタトン、アイランドの岸に添ひサンデーフツクの瀨戶口から今や
飽ずにかう云ふ景色を見送りながら、小い木造の停車場四五箇所も通り過すと、やがて自分の下るべき村の停車場に到着する。板敷のプラツトフオームに降りると直ぐ、往來の兩側には、向合せに獨逸人の居酒屋が二軒、其の前には何時も濱邊の宿屋から案内の乗合馬車が出張して居る。で、この近所は人家も稍建て込んで居て、荒物屋、八百屋、肉屋、靴屋なぞ、村中の日用品を賣捌く小店も見え、赤子や子供の叫ぶ聲、女房逹の罵る聲も聞えるが、此處から一本道を右なり左へなりと、繁つた楓の並木の下を二三町も行くと、兩側ともに曾て斧を入れた事もないらしい雜木林や、野の花の美しく、靑草の茫々と生茂つた岡があつて、其の蔭にちらばらと汚れた板葺の屋根が見えるばかり。四邊一面絕え間もなく囀る小鳥の歌につれて、折々犬の吠る聲鷄の鳴く聲が遠く遠くの方へと反響する。
話はいつか日本の婦人の生活流行結婚の事などに移つて居たので、自分は極く無頓着に、ロザリン孃は米國婦人の例として矢張獨身論者ではあるまいかと質問して見た。
自分は驚いて四五間此方に立止る。其れとも知らぬ女は家の外から若い甲高な聲で、ホ、ホ―――と冗談らしく呼び掛けると、何事にも禮式のない無造作な處が米國生活の特徴で、内からは女房が大聲で―――
自分は軈て彼女に問返されるまゝ、此度は自分の主義を述べる事になつた。然しそれは主義主張意見なぞ云ふよりは全で夢か
自分は覺えず立止ると彼の女は夢に物云ふ如く――Beautiful night, isn't it? I love to watch the lights on the sea. と云つたが、自分の耳にはこの語が非常に快い韻を踏んだ詩のやうに聞きなされた。
自分は裏手の檞の森に面した二階の一室を借り、午前の中だけはこの年月シカゴや、ワシントン、セントルイスなど、米國の彼方此方を通過ぎた折々、取集めた儘にしてあつた
自分は群れ集る蚊をも忘れて久しい間草の上に佇んだ末は、遂に腰まで下してぢツと岡の上なる家の方を眺めて居た。
自分は結婚を非常に厭み恐れると答へた。此れは凡ての現實に絕望して居るからである。現實は自分の大敵である。自分は戀を欲するが、其の戀の成就するよりは寧ろ失敗せん事を願つて居る。戀は成ると共に烟の如く消えて了ふものである。されば得がたい戀失へる戀によつて、自分は一生涯をばまことの戀の夢に明してしまひたい―――此れが自分の望みである。ロザリン孃よ。レオナルド、ダ、ヴインチとジオコンダの物語を御存じかと自分は尋ねた。
自分は白狀するが實際西洋の女が好きである。自分は西洋の女と、英語であれ、フランス語であれ、西洋の言語で、西洋の空の下、西洋の水のほとりに、
自分は甲板の
自分は次の日、目を覺ますと前夜の事がどうしても夢であるやうな氣がしてならなかつた。現實にあつた事としては餘りに詩的である。餘りに美し過ぎる。同時に自分の生涯にはもう二度とあのやうな美しい事は起るまいと妙に
自分は小山の頂から
自分は初めて空想から覺め早足に岡を越えて、曲りくねつた草徑をわが家の方へと辿つて行つたが、すると突然四五間先に動いて行く眞白な物の影を見た、………小作な女の後姿である。夏の夜の空の明り星の輝き螢の火に自分はその女が蚊を追ふために折々日本製の
自分はハツとばかり耳を澄したが、するとピアノの
自分はこの度は躊躇はず――ロメオが忍會ふ夜に聞いた「夜の鶯」であらう。Nightingale と云ふやうな夜に歌ふ小鳥は亞米利加には居ないと聞いて居たが現在あの優しい
自分が下宿した家と云ふのは更でも靜な此の本道から、凸凹した小山を超えて遂には遙か彼方の海邊へと通じて居る曲りくねつた小路のほとりに立つてゐる緣側附の二階家である。
然し宿の
然し初めて宿の妻から紹介された時には、自分は夢にも此樣ことにならうとは思つて居なかつた―――いや單に懇意な友逹になり得やうとも思はなかつた位である。何故なれば自分は此の年月の經驗で、米國の婦人とは如何しても自分の趣味に適するやうな談話をする事が出來ない。彼女等は極端な藝術論や激しい人生問題の話相手とするには餘に快活で餘に思想が健全過るので自分は折々新しい場所で新しい婦人に紹介されても、其後は單に語學の練習と人情觀察の目的以外には、決して純粹の座談笑語の愉快は期待しない事にして居るのであつた。
浮洲の陰には日頃内海の隱な上にも潮の流の猶急ならぬを幸ひ、近村の釣船や小形のヤツトや
此年の夏の初め果樹園に林檎の花の散盡した頃であつた。自分は此の四年間米國社會の見たい處調べたい處も、先づ大槪は見步いたので、此の秋の末頃には國許から歐洲渡航の旅費の屆くまで、紐育市中の暑さを避ける爲め灣口に橫はるスタトン、アイランドの濱邊に引移つたのであつた。
歌はもういくら待つて居ても、二度聞える望はない。木蔭を洩れる窓の灯が不意と消えた、かと見れば、二聲ばかり犬の吠る聲、つづいて垣根の小門をばカタリと開る音がした。
最早や島中の他の勝地妙景を探り步く望みも餘裕もなくなつた。自分は每日同じ處に佇んで同じ入江と浮洲ばかりを飽ずに打眺めるのであつたが、やがて四邊は次第に暗くなつて最後に殘る彼の眞白な
成程、細くて高い笛のやうな優しい聲が一度途切れて又續いた。
思返すと日本を去つたのは四年前。亞米利加は今わが第二の故郷となつた。忘れられぬ事、懷しい事の數ある中にも、殊更忘れ兼ねるのは昨夜別れた
屋形船のやうな楕圓形の平い大きな渡船で海を橫ぎり、彼方の岸に逹すると直ぐ汽車で三十分ばかりの
實際、この國に育つたロザリンもさだかには鳥の名を知らなかつたのだ。二人は別に異論もなく、「ロメオの聽いた鳥」と云ふ事にしてしまひ、さて改めてもう一聲なり二聲なり、其の鳴く聲を聽かうとしたが、早や何處へやら飛び去つてしまつたらしい。
宿の妻は餘に話が高尚なのと又一ツには此の國の習慣として、若いもの同士の談話が興に入ると見れば、母親でも敎師でも成りたけ其の興味の妨げをせぬやうにと、座をはづすが常とて、何かの物音を幸ひに裏手の鷄小屋の方へと出て行つた。
宿の妻が裏の井戸から冷い水をコツプに入れて再び座に戾つたので、自分もロザリンも云合したやうに話を他に轉じたが、間もなく機會を見てロザリンは時間を訊きながら椅子から立つた。夜は早や十一時を過ぎたと云ふ事である。
家族と共に晚餐を濟すと丁度七時半頃である。自分は杖を片手に何時も家の前の灌木と雜草の間を通ずる小徑を辿り、小高い岡を超えて海邊の方へと下りて行く。と、波打際一帶は
女の姿は一度草徑の曲る處で、其の背丈よりも高い雜草の中に隱れたが、同時に何か口の中で歌ふ歌が聞えて、遂に其の行き盡した處は意外にも自分の泊つて居る家の前であつた。
多分氣候の所爲であつたらう。螢の火は常よりも蒼く輝き、星の光もまた明に、野草の
唯さへ靜な島の夜は小夜ふけて餘りに靜な爲めか。或は
名殘、未練、執着――嗚呼こんな無慙な堪難い
* * * *
午飯の時に宿の妻が問ひもせぬのに、いろ〳〵とロザリンの事を話してくれた。父親は元英吉利の商人で一度家族をつれて亞米利加へ來た後、ロザリンをば宗敎學校の寄宿舎に預けて更に南亞弗利加のケープタウンへ赴き、其の地でかなりの財產を作つて七八年前に歸つて來た。そして今の處に別莊を構へて隱居して了つたので、ロザリンは全く親の手を放れて育つたも同樣、その爲か極く氣の勝つた淋しい性質らしく、今日まで此れと云つて親しい友逹も作らず、又何につけ物事をば兩親はじめ誰にも相談なぞする事はなく、何時も〳〵己れ獨りきりで決斷分別をつけ、然も別に淋しい顏付悲しい樣子なぞ見せた事もないと云ふ事である。
劇場の舞臺ならぬ現實の生活に此のやうな美しい
何と答へやう。自分は唯頷付いたなり
亞米利加の山も水もいよ〳〵此の瞬間が一生の見納めではあるまいか。一度去つては又いつの日いづれの時、再遊の機會に接し得やう。
云切つたその言葉には英語に特有の强い調子が含まれて居ると共に、成程動しがたい英人の決斷が宿つて居るらしく聞えたが、然し自分にはロザリンの弱々しい小作りの姿を見ると、其の語調の强烈なるだけ深く何とも知れぬ一味の悲哀を感ずるのであつた。夏とは云ひながら餘りに美しく靜な夜の所爲であつたかも知れぬ。
主人は五十ばかりの頭髮の赤い小男で、この島の鐵道會社に彼れ此れ二十年近くも雇はれ、每朝汽車で本局の事務所へ通つて居る。亞米利加人としては割合に口數をきかぬ靜かな男であつたが、自分が或人の周旋で下宿する約束を濟し、初めて市中から引越して來た時には、まるで十年會はなかつた親類を迎へるやうな調子で、
ロザリンも默つて何れかと云へば早足に步みながら次第に坂道を上つて行つた。やがて高く生茂る草の上に彼の女が家の屋根が見えるあたりまで來ると二人の前には忽ち大空が一際廣く打廣がり、眞暗な海上瀨戶内の彼方此方には燈臺の火が幾個となく數へられ、又遠く大西洋の出口サンデーフツクの方に當つては終夜危險なる内海一帶の航路を照すサーチライトが望まれた。自分の後と直ぐ目の下には村の夏木立が眞黑に橫はつて居る。
スタトン、アイランドと云へば一夏を紐育に滯在して居た人は誰も知つて居やう。サウスビーチだのミツドランドビーチだのと其處彼處に海邊の見世物場涼み場
すると彼の女は「一般」と云ふ平凡な例の中に數入れられたのを、非常に憤慨したらしい樣子で、一寸、ドラマチツクな手振をなし、「私は決して獨身主義ではない、けれども屹度獨身で了らなければならないと思つて居る。それも決して消極的の結果ではないから絕望した悲慘な憂鬱なフランスの
さればその夜、初對面のロザリンに對しても例によつて例の如く、若い婦人に對する若い男の禮儀として、嫌ひなオートモビルの話でも、又は
この島に引移つてから丁度一週間目の夜の事である。自分は例の如く黃昏の浮洲を眺め飽した後、家の方へ歸行くとも心付かず、足の導くがまゝに元と來た草徑を辿つて岡の麓まで來た。
この女こそ彼の歌の主、この女こそ自分が今忘れやうとしても忘れられぬロザリンである。
あゝ六月の夏の夜。何たる空想夢現の世界であらう。日增しの暑さに四邊は
食事を濟すと、自分は例の通り櫻の木蔭に赴き讀み掛けたマラルメの散文詩を開いたが、すると其の興味に引入れられるまゝ、次第に昨夜の事も、世の中の事も、自分の身の上も、皆も忘れてしまつて、芝生の上に橫はる木の影道の上に落る
自分は逢ひたいやうな又逢ひたくないやうな、極めて朦朧とした考で、いつもの草徑を步んで行つたが、まだ小山の頂まで逹せぬ中烟のやうに暮れかゝる野草の蔭から、―――Hallow! here I am!―――と云ふ
で、其の夜も晚くまで話をして、昨夜の如く夜道をば提灯を片手に、再び名の知れぬ夜の鳥の囀る聲を聞き、彼女が家の垣根際まで見送つて行つたが、また其の次の日の午前には
何しろ、狹い村の事、道は多からず、散步する時間も大抵はきまつて居るので、その後は殆ど每日のやうに、自分は一日の中、何處かで一度、顏を見ぬ事はないやうになつたのである。その結果として或日二日ばかり雨が降通して何處へも出られず、從つてロザリンの姿を見る事の出來ない場合に遭遇したが、すると、自分は寂しくて寂しくて、燈下に唯一人田舎家の屋根を打つ雨の音をば聞澄して居るには忍びないやうな心地になつた。―――尤もこれは紐育に居た三年間、靜な雨の音なぞ聞いた事が無かつた所爲でもあらうが―――遂に自分は每晚夜寢る時には、窓から空の星を仰ぎ見て、どうか明日も散步に出られるやうな好い天氣になるやうにと、心ひそかに念ずるのであつた。
今となつては却て此の月の光が恨である。月の光さへなくば、夜の鳥、蟲の聲、草の薰、木の葉の
自分はこの島の靑葉が黃く、また紅くなりをはらぬ中、いづれアメリカを去らねばなるまいと云ふ事は、前から已にロザリンには打明けて居た。又、或時には自分は此四年が間アメリカの生活をした紀念に、せめては長く手紙のやりとりをするやうなブロンドの友逹が欲いものだ………と云へば、ロザリンも笑つて讀みにくいルーズベルト新式の
然し夏の夜は若いものが唯遊んで暮さうと云ふには、餘りに美し過ぎた。月は糸の樣な其の頃から一夜も
自分はどうしても自分の意思をば弱いものであつたとは云ひたくない。最後まで自分はロザリンを愛する事は出來ぬ、縱へ心の底はどうあつても、それをば若い娘に打明けべきでは無い、と意識して居たからである。
丁度十五夜の滿月をば夜半過ぎまで眺め明し、亞米利加では月の面に人の顏があるとロザリンが云へば、日本では兎が立つて居るのだと答へて、その何れが正しいかと他愛もない議論をした、其の翌日の事、自分は意外にも早く故郷からの音信に接し、秋を待つ間もなくこの二週間以内には是非とも歐羅巴に向はねばならぬ事情に立ち至つた―――其の事情をも自分は殆ど何の躊躇もする事なく鳥渡紐育の市中へでも遊びに行くやうに、極く簡單に無造作に打明けて了つた。
するとロザリンも同じく左程に驚いた樣子もせず、行先はフランスかイタリヤか、何日頃に出發するかなど質問して、宿の夫婦ととも〴〵客間で平日通りに雜談して居たでは無いか。
然し十時を過ぎた後、每夜の如く自分は彼の女を送つて外へ出ると、今宵は卽ち
半時間あまりも、夜露に衣服の重くなるまでも、二人は何の語もなく相抱いたまゝ月中に
二人は遂に常識の人であつたのかも知れない。亞米利加と云ふ周圍の力が知らず識らず
船は早くも大西洋を
遠く離れゝば離れるほど彼の女の面影はあり〳〵と目に浮ぶ。彼の女は稍黑みを帶びた
突然上甲板の方に人の騷ぐ聲が聞える。ル、アーブル港の燈火が見え始めたのだと云ふ。
Allons enfants de la patrie
Le jour de gloire est arrivé
と歌ふ「マルセイヱーズ」が聞え出した。自分は遂にフランスに着したのだ。
然しこの止みがたき心の痛みを如何にしやう。自分は思ひ出すともなくミユツセがモザルトの樂譜に合せて作つた一詩―――
Rappelle-toi, lorsque les destinées
M'auront de toi pour jamais séparé
....................
....................
Songe à mon triste amour, songe à
l'adieu suprême!
....................
Tant que mon cœur battra,
Toujours il te dira:
Rappelle-toi.
「思ひ出よ。もし運命の
心の中に口ずさみながら初めて見るフランスの山に自分は敬意を表する爲めにと、一
Rappelle-toi, quand sous la froide terre
Mon cœur brisé pour toujours dormira;
Rappelle-toi, quand la fleur solitaire
Sur mon tombeau doucement s'ouvrira.
Tu ne me verra plus; mais mon âme immortelle
Reviendra près de toi comme une sœur fidèle.
Ecoute dans la nuit,
Une voix qui gémit:
Rappelle-toi.
「思ひ出でよ。冷き土に
(明治四十年七月)