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あめりか物語

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六月の夜の夢

放浪さすらひの此の身を今北亞米利加の地より歐羅巴の彼岸に運去らうとする佛蘭西の汽船ブルタンユ號は、定めの時間にハドソン河口の波止場を離れた。

七月の空に怪しき雲の峯かとばかり聳立つ紐育の高い建物、虹よりも大きく天空に橫はるブルツクリンの大橋、水の眞中に直立する自由の女神像―――此の年月見馴れ見馴れた一灣の光景は次第〳〵に空と波との間に隱れて行く………と、船はやがて綠深いスタトン、アイランドの岸に添ひサンデーフツクの瀨戶口から今や渺茫べうばうたる大西洋の海原に浮び出やうとして居る………

飽ずにかう云ふ景色を見送りながら、小い木造の停車場四五箇所も通り過すと、やがて自分の下るべき村の停車場に到着する。板敷のプラツトフオームに降りると直ぐ、往來の兩側には、向合せに獨逸人の居酒屋が二軒、其の前には何時も濱邊の宿屋から案内の乗合馬車が出張して居る。で、この近所は人家も稍建て込んで居て、荒物屋、八百屋、肉屋、靴屋なぞ、村中の日用品を賣捌く小店も見え、赤子や子供の叫ぶ聲、女房逹の罵る聲も聞えるが、此處から一本道を右なり左へなりと、繁つた楓の並木の下を二三町も行くと、兩側ともに曾て斧を入れた事もないらしい雜木林や、野の花の美しく、靑草の茫々と生茂つた岡があつて、其の蔭にちらばらと汚れた板葺の屋根が見えるばかり。四邊一面絕え間もなく囀る小鳥の歌につれて、折々犬の吠る聲鷄の鳴く聲が遠く遠くの方へと反響する。

話はいつか日本の婦人の生活流行結婚の事などに移つて居たので、自分は極く無頓着に、ロザリン孃は米國婦人の例として矢張獨身論者ではあるまいかと質問して見た。

自分は驚いて四五間此方に立止る。其れとも知らぬ女は家の外から若い甲高な聲で、ホ、ホ―――と冗談らしく呼び掛けると、何事にも禮式のない無造作な處が米國生活の特徴で、内からは女房が大聲で―――Comeカム inイン―――と叫んだ。然し女は室内なかへは入らずハニーサツクルの蔓草咲き匂ふ緣側の上口に腰を下した。

自分は軈て彼女に問返されるまゝ、此度は自分の主義を述べる事になつた。然しそれは主義主張意見なぞ云ふよりは全で夢か囈言うはことのやうな空想であらう――自分の胸には夢より外に何物もない。

自分は覺えず立止ると彼の女は夢に物云ふ如く――Beautiful night, isn't it? I love to watch the lights on the sea. と云つたが、自分の耳にはこの語が非常に快い韻を踏んだ詩のやうに聞きなされた。

自分は裏手の檞の森に面した二階の一室を借り、午前の中だけはこの年月シカゴや、ワシントン、セントルイスなど、米國の彼方此方を通過ぎた折々、取集めた儘にしてあつた種々さま〴〵の目錄やら書類やら其樣ものゝ整理をした後、午後は緣先の櫻の木蔭で海の方から小山越に吹いて來る涼風を浴びながら、讀書と午睡に移り行く日影のやがて散步すべき夕方になるのを待つのであつた。

自分は群れ集る蚊をも忘れて久しい間草の上に佇んだ末は、遂に腰まで下してぢツと岡の上なる家の方を眺めて居た。

自分は結婚を非常に厭み恐れると答へた。此れは凡ての現實に絕望して居るからである。現實は自分の大敵である。自分は戀を欲するが、其の戀の成就するよりは寧ろ失敗せん事を願つて居る。戀は成ると共に烟の如く消えて了ふものである。されば得がたい戀失へる戀によつて、自分は一生涯をばまことの戀の夢に明してしまひたい―――此れが自分の望みである。ロザリン孃よ。レオナルド、ダ、ヴインチとジオコンダの物語を御存じかと自分は尋ねた。

自分は白狀するが實際西洋の女が好きである。自分は西洋の女と、英語であれ、フランス語であれ、西洋の言語で、西洋の空の下、西洋の水のほとりに、希臘ギリシヤ以來の西洋の藝術を論ずる事が何よりも好きである。つまり自分が妙に米國の婦人を解釋して了つたのも最初あまりに豫期する事の多かつた結果に外ならぬのであらう。

自分は甲板の欄杆てすりに身を倚せかけ、名殘は盡きぬスタトン、アイランドの濱邊の森なり、村の屋根なりと、今一度見納めに見て置きたいものと焦り立つた。彼の島の濱邊に自分は船に上る昨日の夜半まで、まだ過ぎ去らぬ今年の夏の一ケ月あまりを暮して居たのである。然るを七月午前の烈しい炎暑は鉛色した水蒸氣に海をも空をも罩め盡し、森や人家と共にかの小高い丘陵をかをも雲か霞のやうに模糊もことさせてゐる。

自分は次の日、目を覺ますと前夜の事がどうしても夢であるやうな氣がしてならなかつた。現實にあつた事としては餘りに詩的である。餘りに美し過ぎる。同時に自分の生涯にはもう二度とあのやうな美しい事は起るまいと妙に果敢はかない氣もした。

自分は小山の頂からほん﹅﹅の五六步下りかけた道の右側にある彼の女の家まで送つて行き、廣い芝生ローンと花園を圍んだ垣根越に輕い握手と共に good night の一語。かくして其の夜は別れて歸つたのであつた。

自分は初めて空想から覺め早足に岡を越えて、曲りくねつた草徑をわが家の方へと辿つて行つたが、すると突然四五間先に動いて行く眞白な物の影を見た、………小作な女の後姿である。夏の夜の空の明り星の輝き螢の火に自分はその女が蚊を追ふために折々日本製の團扇うちはを動かす細い手先と、眞白な衣服につれて白い布の半靴まで、薄暗いながらにはつきりと見分ける事が出來た。幽暗朦朧の中には却て微細なものゝ見分けられる事がある。

自分はハツとばかり耳を澄したが、するとピアノの調しらべは露の雫の落ちて消ゆるが如く消え失せ、歌も亦ほんの一節、つれ〴〵の餘に低唱したものと見えて、途絕えたなり、後は元の明く蕭然しめやかな夏の夜であつた。蟲の聲ばかり、蛙の聲ばかり。

自分はこの度は躊躇はず――ロメオが忍會ふ夜に聞いた「夜の鶯」であらう。Nightingale と云ふやうな夜に歌ふ小鳥は亞米利加には居ないと聞いて居たが現在あの優しい鳴音なくねはどうしても詩に歌はれた其れに違ひは無い。と斷定した。

自分が下宿した家と云ふのは更でも靜な此の本道から、凸凹した小山を超えて遂には遙か彼方の海邊へと通じて居る曲りくねつた小路のほとりに立つてゐる緣側附の二階家である。前方まへには高い雜草や灌木が風も通さぬ樣に繁つた藪をなし、後一帶はこんもりとしたオークの林で圍はれて居る。緣先には屋根を蔽ふ櫻の老木が二本、少し離れた芝生の上には此れも二株、大きな林檎の樹が低く枝を廣げて居る。

然し宿の主人あるじは村人の催すポカと云ふ骨牌かるたの會にと、宵の口に出て行つたなり未だ歸つて來ない。家中に男は自分一人の事とて義務としても、彼の女を其の家まで送つて行くべき場合である。自分は宿の妻が點してくれた小な提灯ランターンを片手に輕くロザリンの腕をたすけて、かの海邊にと通ずる草徑を辿つて行く。

然し初めて宿の妻から紹介された時には、自分は夢にも此樣ことにならうとは思つて居なかつた―――いや單に懇意な友逹になり得やうとも思はなかつた位である。何故なれば自分は此の年月の經驗で、米國の婦人とは如何しても自分の趣味に適するやうな談話をする事が出來ない。彼女等は極端な藝術論や激しい人生問題の話相手とするには餘に快活で餘に思想が健全過るので自分は折々新しい場所で新しい婦人に紹介されても、其後は單に語學の練習と人情觀察の目的以外には、決して純粹の座談笑語の愉快は期待しない事にして居るのであつた。

浮洲の陰には日頃内海の隱な上にも潮の流の猶急ならぬを幸ひ、近村の釣船や小形のヤツトや自動船モトーボートなぞが幾艘となく繫がれてゐる。それ等の舟は何れも眞白に塗り立てゝあるので丁度公園の池に白鳥スワンの浮いて居るやう。日の落ちた黃昏の頃には夕照ゆふやけ紅色くれなゐと暮れ行く水の靑さとが、この浮洲一帶の綠の色と相對して形容の出來ない美しい色彩を示すのである。

此年の夏の初め果樹園に林檎の花の散盡した頃であつた。自分は此の四年間米國社會の見たい處調べたい處も、先づ大槪は見步いたので、此の秋の末頃には國許から歐洲渡航の旅費の屆くまで、紐育市中の暑さを避ける爲め灣口に橫はるスタトン、アイランドの濱邊に引移つたのであつた。

歌はもういくら待つて居ても、二度聞える望はない。木蔭を洩れる窓の灯が不意と消えた、かと見れば、二聲ばかり犬の吠る聲、つづいて垣根の小門をばカタリと開る音がした。

最早や島中の他の勝地妙景を探り步く望みも餘裕もなくなつた。自分は每日同じ處に佇んで同じ入江と浮洲ばかりを飽ずに打眺めるのであつたが、やがて四邊は次第に暗くなつて最後に殘る彼の眞白な小舟ボートの色さへ、黑ずむ水と共に見えなくなると、亞米利加の黃昏は消え去る事早く、何時の程にか靜で明い六月の夏の夜となる…。

成程、細くて高い笛のやうな優しい聲が一度途切れて又續いた。

思返すと日本を去つたのは四年前。亞米利加は今わが第二の故郷となつた。忘れられぬ事、懷しい事の數ある中にも、殊更忘れ兼ねるのは昨夜別れた少女をとめの事である、愛らしいロザリンが事である。

屋形船のやうな楕圓形の平い大きな渡船で海を橫ぎり、彼方の岸に逹すると直ぐ汽車で三十分ばかりの距離みちのりである。日頃靑いものを見る事の出来ぬ紐育の市中から、突然この島に上ると四邊の空氣の香しさ、野の色の美しさに、人は只だ夢かとばかり驚くであらう。殊更に自分を驚喜せしめたのは、米國の田園と云つても例の大陸的の漠とした單調な景色にあぐみ果てゝ居た曉、この島の景色が全く其の反對で、如何にも小さく愛らしく、そして變化に富んで居る事であつた。汽車道を境にして片側には小い林や小流のある靑い野を越して一帶に靜な内海が見え、片側には綠の濃い雜木林を戴いた小山が高く低く起伏して居る樣子、何となく逗子鎌倉あたりの景色を思出させる樣な處がある、かと思へば又平地一帶を眼のとゞく限り、黃白くわうはくの野菊が咲き亂れて居る繪のやうな牧場や、よし、蘆、がま﹅﹅河骨かうほねなぞさま〴〵な水草の萋々せい〳〵と繁茂して居る氣味の惡い沼地なぞもある。

實際、この國に育つたロザリンもさだかには鳥の名を知らなかつたのだ。二人は別に異論もなく、「ロメオの聽いた鳥」と云ふ事にしてしまひ、さて改めてもう一聲なり二聲なり、其の鳴く聲を聽かうとしたが、早や何處へやら飛び去つてしまつたらしい。

宿の妻は餘に話が高尚なのと又一ツには此の國の習慣として、若いもの同士の談話が興に入ると見れば、母親でも敎師でも成りたけ其の興味の妨げをせぬやうにと、座をはづすが常とて、何かの物音を幸ひに裏手の鷄小屋の方へと出て行つた。

宿の妻が裏の井戸から冷い水をコツプに入れて再び座に戾つたので、自分もロザリンも云合したやうに話を他に轉じたが、間もなく機會を見てロザリンは時間を訊きながら椅子から立つた。夜は早や十一時を過ぎたと云ふ事である。

家族と共に晚餐を濟すと丁度七時半頃である。自分は杖を片手に何時も家の前の灌木と雜草の間を通ずる小徑を辿り、小高い岡を超えて海邊の方へと下りて行く。と、波打際一帶はけた牧場で紐育本州の海岸のやうに怒濤の激する岩や石なぞは一ツもない。そして沼か澤のやうによしの繁つて居る一條の長い浮洲うきすが濃い藍色の海原に突出て居る。この浮洲の輪廓はいかにも柔かく曲線のゆるやかな事は最初一目見た時自分は何と云ふ譯もなく歡樂の夢に疲れた裸美人の物懶ものうげに橫はつて居るやうだと思つた。

女の姿は一度草徑の曲る處で、其の背丈よりも高い雜草の中に隱れたが、同時に何か口の中で歌ふ歌が聞えて、遂に其の行き盡した處は意外にも自分の泊つて居る家の前であつた。

多分氣候の所爲であつたらう。螢の火は常よりも蒼く輝き、星の光もまた明に、野草のかをりも一際高く匂ひ渡るので、自分は日頃よりも一倍深く、あゝ此れこそ眞個ほんとうの愉快な夏の夜だ。地上には花の枯萎む冬も嵐も死も失望も何にもなく、身は魂と共に唯夏と云ふ感覺の快味に醉ふばかりだと感じた………同時に自分は兎か狐のやうに、四邊を蔽ふ雜草の中に寢られるだけ安樂に眠つてしまひたいやうな氣が起り、杖にすがつて今更の如く星降る空を遠く打仰ぐ………其の時突然前なる小山の上の一軒家からピアノの音につれて若い女の歌ふ聲が聞えた………。

唯さへ靜な島の夜は小夜ふけて餘りに靜な爲めか。或は驟雨ゆふだちの來るやうに木の葉や草の葉の折々妙に物凄く打戰うちそよぐ所爲か。或は蟲の聲蛙の聲の云ふに云はれず鮮に星降る空に反響して天地には今や全く自分とロザリンと此の二人しか覺めて居らぬと云ふ意識の餘に强く心を打つが爲か。自分は何とも知れぬ心の亂れをば理由もなく相手に悟られまいと焦り立つて居た。で、片手に提げた提灯の火が凸凹した足許を照す光に、自分はもしや顏を見られはせぬかと、それとなしに空のみ仰ぎながら步いて行つたのである。

名殘、未練、執着――嗚呼こんな無慙な堪難い苦悶くるしみが又とあらうか。只さへ心弱いこの身のましてや一人旅、もしや今夜にも悲しい月の光の靜に船窓を照しでもしたなら、自分は狂亂して水に身を投ずるかも知れぬ………。泣きたい時には泣くより外にしやうはない。悲しい時にはその悲しみを語るがせめての心遣りであらう。自分は大西洋上、波に搖れながら筆を執る………。

* * * *

午飯の時に宿の妻が問ひもせぬのに、いろ〳〵とロザリンの事を話してくれた。父親は元英吉利の商人で一度家族をつれて亞米利加へ來た後、ロザリンをば宗敎學校の寄宿舎に預けて更に南亞弗利加のケープタウンへ赴き、其の地でかなりの財產を作つて七八年前に歸つて來た。そして今の處に別莊を構へて隱居して了つたので、ロザリンは全く親の手を放れて育つたも同樣、その爲か極く氣の勝つた淋しい性質らしく、今日まで此れと云つて親しい友逹も作らず、又何につけ物事をば兩親はじめ誰にも相談なぞする事はなく、何時も〳〵己れ獨りきりで決斷分別をつけ、然も別に淋しい顏付悲しい樣子なぞ見せた事もないと云ふ事である。

劇場の舞臺ならぬ現實の生活に此のやうな美しい役目ロールが又とあらうか。自分はアメリカに來た後とても夜の道花の陰をば若い女と步いた事は幾度もあるが、今夜に限つて如何したものか、最初はじめての經驗の如くに無暗と心が亂れて來てならなかつた。

何と答へやう。自分は唯頷付いたなりかうべを垂れたが其の時彼女はあわたゞしく自分の袖を引いて―――鳥が鳴いて居る。何だらう、駒鳥ぢやないか知らと云ふ。

亞米利加の山も水もいよ〳〵此の瞬間が一生の見納めではあるまいか。一度去つては又いつの日いづれの時、再遊の機會に接し得やう。

云切つたその言葉には英語に特有の强い調子が含まれて居ると共に、成程動しがたい英人の決斷が宿つて居るらしく聞えたが、然し自分にはロザリンの弱々しい小作りの姿を見ると、其の語調の强烈なるだけ深く何とも知れぬ一味の悲哀を感ずるのであつた。夏とは云ひながら餘りに美しく靜な夜の所爲であつたかも知れぬ。

主人は五十ばかりの頭髮の赤い小男で、この島の鐵道會社に彼れ此れ二十年近くも雇はれ、每朝汽車で本局の事務所へ通つて居る。亞米利加人としては割合に口數をきかぬ靜かな男であつたが、自分が或人の周旋で下宿する約束を濟し、初めて市中から引越して來た時には、まるで十年會はなかつた親類を迎へるやうな調子で、容貌きりやうの惡い齒の汚い其の妻と共に家内は殘らず裏の菜園から鳥小屋までも案内し、スポートと呼ぶ飼犬までを自分に紹介してくれるやら、此の島スタトン、アイランド全體の地理を說明するやら、さて最後には客間に飾つてある二十年ほども以前のウエブスター大辭書を取出して來て、英語で分らぬ事があつたら此の字引を使ふがよいと注意してくれた。

ロザリンも默つて何れかと云へば早足に步みながら次第に坂道を上つて行つた。やがて高く生茂る草の上に彼の女が家の屋根が見えるあたりまで來ると二人の前には忽ち大空が一際廣く打廣がり、眞暗な海上瀨戶内の彼方此方には燈臺の火が幾個となく數へられ、又遠く大西洋の出口サンデーフツクの方に當つては終夜危險なる内海一帶の航路を照すサーチライトが望まれた。自分の後と直ぐ目の下には村の夏木立が眞黑に橫はつて居る。

スタトン、アイランドと云へば一夏を紐育に滯在して居た人は誰も知つて居やう。サウスビーチだのミツドランドビーチだのと其處彼處に海邊の見世物場涼み場遊泳場およぎばなどのある島で。然し自分が靜養すべく選んだ處は(同じ島の中ではありながら)土曜日曜位に市中から極く釣好きの連中が來るばかり、其の他のものは恐く其の地名さへも知らない位な極く邊鄙な不便な海邊の一小村であつた。

すると彼の女は「一般」と云ふ平凡な例の中に數入れられたのを、非常に憤慨したらしい樣子で、一寸、ドラマチツクな手振をなし、「私は決して獨身主義ではない、けれども屹度獨身で了らなければならないと思つて居る。それも決して消極的の結果ではないから絕望した悲慘な憂鬱なフランスの寡婦やもめのやうなものにもならず、さうかと云つて米國の褊狹へんけふな冷酷な老孃オールドメイドにもなりはしない。私はアメリカの敎育は受けたが五歲の年まではイギリスに育つて、兩親とも昔から純粹のイギリス人です。イギリス人はたふれるまでも笑つて戰う。だからもしや一生獨身で暮すやうな事になつても、私は死ぬまで此の通り何時までも此の通りのお轉婆娘でせう。」

さればその夜、初對面のロザリンに對しても例によつて例の如く、若い婦人に對する若い男の禮儀として、嫌ひなオートモビルの話でも、又は敎會チヤーチの話でも、何でもして見るつもりで居た。處が劈頭第一に、自分はオペラが好きか何うかと云ふ意外な質問に會ひ、つゞいてプツチニの「マダム、バターフライ」の事、今年四五年目で再び米國の樂壇を狂氣せしめたマダム、メルバが事、其れから今年の春初めて亞米利加で演奏されたストラウスの「シンフホニヤ、ドメスチカ」の事など、意外な上にも意外な問題に宛ら百年の知己を得たやうな心地で、殆ど嬉し淚が溢れて來さうであつた。

この島に引移つてから丁度一週間目の夜の事である。自分は例の如く黃昏の浮洲を眺め飽した後、家の方へ歸行くとも心付かず、足の導くがまゝに元と來た草徑を辿つて岡の麓まで來た。

この女こそ彼の歌の主、この女こそ自分が今忘れやうとしても忘れられぬロザリンである。

あゝ六月の夏の夜。何たる空想夢現の世界であらう。日增しの暑さに四邊はおびたゞしい蚊であるが、同時に野一面森一面、無數の螢が雨のやうに亂れ飛ぶ。夕潮が生茂る葦の根に啜泣く。水楊や楓の葉が夜風に私語さゝやく。蟋蟀こほろぎかはづの歌の絕えざる中に何とも知れぬ小鳥が鳴く。空氣は一夜の中に伸びたいだけ伸びやうとする野草の香に滿ちて居る。自分は放浪の身のよしや一度は詩人と云ふ詩人が夢に見る瑞西スヰスの夏伊太利亞の春の夜に逢ふ事があるとしても、然しこのスタトン、アイランドの夏の夜の樣ばかりは如何なる時とても忘れる事は出來まいと思つた。何故なれば自分は今眠れる海を前にし、憩へる林を後にし、高き野草の中に半身を埋め、無限の大空に無數の星を打仰ぎ、諸有る自然の私語を盜み聽き、殊には蒼然として物凄じい螢の火の雨を見遣つて居ると、此の身は何時ともなく冬の來るべき北亞米利加の大陸に居るやうな心地はせず、所謂デカダンス派の詩人の歌う夢のさと「東のオリアン」の空の下にでも彷徨ふやうな一種の强い神祕と恍惚とに打れるからである………。

食事を濟すと、自分は例の通り櫻の木蔭に赴き讀み掛けたマラルメの散文詩を開いたが、すると其の興味に引入れられるまゝ、次第に昨夜の事も、世の中の事も、自分の身の上も、皆も忘れてしまつて、芝生の上に橫はる木の影道の上に落るまばゆい日の光のみ目に映じて、あゝ夏は美しいと思ふばかりであつた。夕方になつていざ散步の折、自分は初めて今宵かの浮洲を見に行くには一本道の是非にもロザリンの家の前を行き過るのだと心付いた位である。

自分は逢ひたいやうな又逢ひたくないやうな、極めて朦朧とした考で、いつもの草徑を步んで行つたが、まだ小山の頂まで逹せぬ中烟のやうに暮れかゝる野草の蔭から、―――Hallow! here I am!―――と云ふ雲雀ひばりの樣なロザリンの聲を聞き付けた。彼の女は今宵も(自分にとは明かに云はなかつたが)自分の宿の妻を訪ねに行く處だと話した。

で、其の夜も晚くまで話をして、昨夜の如く夜道をば提灯を片手に、再び名の知れぬ夜の鳥の囀る聲を聞き、彼女が家の垣根際まで見送つて行つたが、また其の次の日の午前にははからずも村の本道で、彼の女が郵便局へ行くとやら云ふ途中に出會ひ、そのさしかざす日傘の下に步調あしなみを揃へて步いた。

何しろ、狹い村の事、道は多からず、散步する時間も大抵はきまつて居るので、その後は殆ど每日のやうに、自分は一日の中、何處かで一度、顏を見ぬ事はないやうになつたのである。その結果として或日二日ばかり雨が降通して何處へも出られず、從つてロザリンの姿を見る事の出來ない場合に遭遇したが、すると、自分は寂しくて寂しくて、燈下に唯一人田舎家の屋根を打つ雨の音をば聞澄して居るには忍びないやうな心地になつた。―――尤もこれは紐育に居た三年間、靜な雨の音なぞ聞いた事が無かつた所爲でもあらうが―――遂に自分は每晚夜寢る時には、窓から空の星を仰ぎ見て、どうか明日も散步に出られるやうな好い天氣になるやうにと、心ひそかに念ずるのであつた。

ひでりの夏は自分の願つた通り、時々日の中に驟雨ゆふだちの降過ぎるだけで每日の天氣つゞき。殊に夜は月が出るやうになつた。自分はこの年、この夏ほど每夜正しく新月の一夜一夜に大きくなつて行くのを見定めた事はない。

今となつては却て此の月の光が恨である。月の光さへなくば、夜の鳥、蟲の聲、草の薰、木の葉のさゝめきに、夏六月の夜は如何に美しくとも、自分は………ロザリンは………二人はかくも輕々しく互のくちをば接するには至らなかつたであらう。

自分はこの島の靑葉が黃く、また紅くなりをはらぬ中、いづれアメリカを去らねばなるまいと云ふ事は、前から已にロザリンには打明けて居た。又、或時には自分は此四年が間アメリカの生活をした紀念に、せめては長く手紙のやりとりをするやうなブロンドの友逹が欲いものだ………と云へば、ロザリンも笑つて讀みにくいルーズベルト新式の綴字スペリングで手紙を書いて送らうと答へた位であつた。されば二人は唯だ愉快に此の美しい夏の夜を遊んで暮さうと、初めから明かに互の地位境遇を知り拔いて居た筈である。

然し夏の夜は若いものが唯遊んで暮さうと云ふには、餘りに美し過ぎた。月は糸の樣な其の頃から一夜もかゝさず靜な其の光に二人が語る肩を照し、自然々々知らぬ間に、われ等が魂を遠い〳〵夢のさとにとおびき入れて了つたのである。

自分はどうしても自分の意思をば弱いものであつたとは云ひたくない。最後まで自分はロザリンを愛する事は出來ぬ、縱へ心の底はどうあつても、それをば若い娘に打明けべきでは無い、と意識して居たからである。

丁度十五夜の滿月をば夜半過ぎまで眺め明し、亞米利加では月の面に人の顏があるとロザリンが云へば、日本では兎が立つて居るのだと答へて、その何れが正しいかと他愛もない議論をした、其の翌日の事、自分は意外にも早く故郷からの音信に接し、秋を待つ間もなくこの二週間以内には是非とも歐羅巴に向はねばならぬ事情に立ち至つた―――其の事情をも自分は殆ど何の躊躇もする事なく鳥渡紐育の市中へでも遊びに行くやうに、極く簡單に無造作に打明けて了つた。

するとロザリンも同じく左程に驚いた樣子もせず、行先はフランスかイタリヤか、何日頃に出發するかなど質問して、宿の夫婦ととも〴〵客間で平日通りに雜談して居たでは無いか。

然し十時を過ぎた後、每夜の如く自分は彼の女を送つて外へ出ると、今宵は卽ち十六夜いざよひの昨日にも勝る月の光。夜每眺め飽す身にも餘りの美しさに、二人は何とも言交す語さへなく草徑を岡の近くまで步いて來たが、其の時自分は忽然何とも知れぬ悲しさが身に浸み渡つて來るやうな氣がした。ハツと心を取直さうとする刹那、ロザリンは道傍の石に躓いたらしく突如自分の方に倚り掛つた………自分は驚いて其の手を取ると彼の女は其のまゝひし﹅﹅とばかり自分の胸の上に顏を押當てゝ了つた。

半時間あまりも、夜露に衣服の重くなるまでも、二人は何の語もなく相抱いたまゝ月中に立竦たちすくんで居たのである。實際何とも云ひ出す言葉はない。二人とも何程戀しいと思つた處で、自分は旅人、彼の女は親も家もある娘、永く幸福の夢に醉ふ事の出來ぬ事情は已に云はずかたらず知り合うて居たからで。さればこの上に申出づべき事は唯二つあるのみである。自分は故郷の關係をすつかり斷つてしまつて獨力で生活の道を永遠に此の國に求めやうか。或はロザリンをして兩親の家と此れまで育つた亞米利加の國土を出奔せしめるか。此の二つだけである。然し自分は如何に切なくとも、到底そこまでは進んで云ひ出し兼る。ロザリンとても亦男の身に戀の爲め浮世の凡てを打捨てゝくれよとは、如何して云ひ切れやう。

二人は遂に常識の人であつたのかも知れない。亞米利加と云ふ周圍の力が知らず識らずく爲しめたのであらうか。或は吾々の戀が未だそれまでに至らなかつたのであらうか。否、自分等二人の戀は命を捨てたロメオやパウロやジユリヱツトやフランチエスカの其れにも劣らぬものと信じて疑はない。二人は今此處で一度別れては何日又逢ふか分らぬ身と知りながら―――一瞬間の美しい夢は一生の淚、互に生殘つて永遠とこしへに失へる戀を歌はんが爲め、其の次の日からは每日の午後をば村はずれの人なき森に深い接吻を交したのであつたものを………。

船は早くも大西洋を橫斷よこぎり盡して程なくフランスのル、アーブル港に着くと云ふ事だ。今朝方アイルランドの山が見えたと人が話して居る。もう、長く筆を執つて居る暇はない。僅か一週間と云ふ日數の中に我が身は今如何に遠く彼の女から離れてしまつたのであらう。

遠く離れゝば離れるほど彼の女の面影はあり〳〵と目に浮ぶ。彼の女は稍黑みを帶びた金髮ブロンドであつた。西洋人には稀に見らるゝ程長く濃い其の金髮をば、何時も無造作に束ね、額に垂れる後毛をば絕えず指先で搔上げる樣子の如何にも情味が深い。並んで立つと丁度自分のおとがひほどしかない―――アメリカの女としては極く小作りの方であつたけれど、然し肉付がよいのと、何時も極端に直立の姿勢を取つて居るので、どうかすると非常に丈け高く、大きく見える事もあつた。湖水みづうみの樣な靑く深い眼と、細くて稍尖つた其の容貌おもざしは、熱心に話でもする折には、どうしても神經の過敏を示すだけ、ぢツと沈着おちついて居る時には、云ふに云はれない威嚴と强くて勇しい憂鬱を現す。―――卽ち明い鮮な輪廓の繪にもしたいやうな妖艶な南歐の美人とは全く反對で、何處か銳い處に一種の悲哀があり、その悲哀の中に女性特有の優しさが含まれて居る北方アングロサキソン人種に能く見られる類型タイプの一であつた………。

突然上甲板の方に人の騷ぐ聲が聞える。ル、アーブル港の燈火が見え始めたのだと云ふ。船室へやの外の廊下をば―――Nousヌー voilàボアラ enアン Franceフランス―――(佛蘭西に着いたぞ。)と云つて駈けて行くものがある。甲板の方では男や女が一緖になつて、

Allons enfants de la patrie
Le jour de gloire est arrivé

と歌ふ「マルセイヱーズ」が聞え出した。自分は遂にフランスに着したのだ。

然しこの止みがたき心の痛みを如何にしやう。自分は思ひ出すともなくミユツセがモザルトの樂譜に合せて作つた一詩―――

Rappelle-toi, lorsque les destinées
M'auront de toi pour jamais séparé
....................
....................
Songe à mon triste amour, songe à
l'adieu suprême!
....................
Tant que mon cœur battra,
Toujours il te dira:
Rappelle-toi.

「思ひ出よ。もし運命の永遠とこしへに、我を君より分ちなば、我が悲しき戀を思ひ出でよ。別れし折を思ひ出でよ。心の響消えざらば、とこしへに心は君に語るべし、思ひ出でよ思ひ出でよと。」

心の中に口ずさみながら初めて見るフランスの山に自分は敬意を表する爲めにと、一あし一步甲板の方に步いて行つた。

Rappelle-toi, quand sous la froide terre
Mon cœur brisé pour toujours dormira;
Rappelle-toi, quand la fleur solitaire
Sur mon tombeau doucement s'ouvrira.
Tu ne me verra plus; mais mon âme immortelle
Reviendra près de toi comme une sœur fidèle.
Ecoute dans la nuit,
Une voix qui gémit:
Rappelle-toi.

「思ひ出でよ。冷き土に永遠とこしへに、わが破れし心眠りなば、思ひ出でよ。淋しき花のおもむろに、わが墳墓おくつきに開きなば、君は再びわれを見じ。されど朽ちせぬわがたまは、親しきいもが如くに、君がかたへに返り來ん。心澄して夜に聞け。さゝやく聲あり、思ひ出でよと。」

(明治四十年七月)

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六月の夜の夢