ちやいなたうんの記
何うかすると、私は單に晴渡つた靑空の色を見た丈けでも自分ながら可笑しい程無量の幸福を感ずる事があるが、その反動としては何の理由何の原因もないのに、忽如として闇の樣な絕望に打沈む事がある。
たとへば薄寒い雨の夕暮なぞ、ふと壁越に聞える人の話聲、猫の鳴く聲なぞが耳につくと、もう齒を喰ひ縛つて泣き度いやうな心地になり、突如、錐で心臟を突破つて自殺がして見たくなつたり、或は此の身をば何とも云へぬ恐しい惡德墮落の淵に投捨て見たいやうな、さま〴〵な暗黑極る空想に惱される。
鏡に向つて夜の化粧をして居た女は、覺えずアツと叫んで兩手に顏を蔽ひ、其の儘寢床の上に突伏した。乞食老婆は氣味惡く「ヒヽヽヽヽ」と笑つてよろ〳〵と女の室から廊下へ出て來たので、戶口から内の樣子を覗いて居た私も、急に物恐しくなつて、慌忙てゝ其の場を逃げ去つた事がある。
見れば、ペンキ塗の戶口には、「李」だとか、「羅」だとか云ふ苗字やら、其の他緣起を祝ふ種々な漢字を筆太に書いた朱唐紙がベタベタ張付けてあり、中では猿の叫ぶやうな支那語が聞える。が、然らざる戶口には、蝶結びにしたリボンなぞを目標にして、べつたり白粉を塗立てた米國の女が、廊下に響く跫音を聞付けさへすれば、扉を半開に、聞覺えの支那語か日本語で、吾々を呼び止める。
裏長屋の中には、此れ等、惡の女王、罪の妃、腐敗の姬のその外に、明い日の照る處には生息し得ず、罪と惡の日蔽の下に、漸と其の安息地を見出して居るものは、猶二三に止まらぬ。
街は彼方に高架鐵道の線路の見える表通りから這入つて、家續きに迂曲して二條に分れ、再び元の表通りへと出て居る誠に狹い一區劃ではあるが、初めて入つた人の眼には、凸凹した狹い敷石道の迂曲する工合が、行先き知れず、如何にも氣味惡く見えるに違ひない。家屋は皆な米國風の煉瓦造りであるが、立並ぶ料理屋、雜貨店、靑物店など、その戶口每に下げてある種々の金看板、提灯、燈籠、朱唐紙の張札が、出入や高低の亂れた家並の汚なさと古さと共に、暗然たる調和をなし、全體の光景をば誠に能く憂鬱に支那化さして居る。
空地を行盡すと扉のない戶口がある。這入れば直樣狹い階段で、折々啖唾の吐き捨てあるのを、恐る〳〵上つて行くと、一階每に狹い廊下の古びた壁には、薄暗い瓦斯の裸火が點いて居て、米國中他の場所では夢にも嗅げぬ煮込の豚汁や玉葱の臭氣、線香や阿片の香氣が著しく鼻を打つ。
私はいつも地下鐵道に乗つて、ブルツクリン大橋へ出る手前の小い停車場に下る、と、この四邊は問屋だの倉庫續きの土地の事で日中の騷ぎが濟んだ後は人一人通らず、辻々の街頭の光に照されて漸く闇を逃れて居る夜の空には、窓も屋根もない箱の樣な建物が高く立つて居るばかり。中部ブロードウヱーの賑かな夜ばかりを見た人の眼には、紐育中にも此樣淋しい處があるかと驚かれるであらう。路傍には貨物を取出した空箱が山をなし、馬を引放した荷馬車が幾輛となく置捨てゝある。其の間を行盡すと其處がもう貧民窟の一部たる伊太利亞の移民街で、左手にベンチの並んで居る廣い空地を望み、右手は屋根の歪んだ小家續き、凸凹した敷石道を步み、だらだら坂を上れば、忽ちプンと厭な臭氣のする處、乃ちチヤイナタウンの本通りに出たのである。
私が夜晚く忍び行く所はこの建物―――其の内部は蜂の巢のやうに分れて居る裏長屋である。
然し要するに、此れはチヤイナタウンの表面に過ぎぬ。一度料理屋なり商店なり、其れ等の建物の間を潜つて裏へ拔けると、何れも石を敷いた狹い空地を取圍んで、四五階造りの建物が、其の窓々には汚い洗濯物を下げた儘、塀の如くに突立つて居る。
此處へ這入込むには厭でも前なる狹い空地を通過ぎねばならぬ。空地の敷石の上には四方の窓から投捨てた紙屑や襤褸片が蛇のやうに足へ纏付くのみか、片隅に板圍ひのしてある共同便所からは、流れ出す汚水が、時によると飛越し切れぬ程池をなして居る事さへあり、又、建物の壁際に沿うては、ブリキ製の塵桶が幾個も並べてあつて、其の中からは盛に物の腐敗する臭氣が、只さへ流通の路を絕れた四邊の空氣をば、殆ど堪へがたい程に重く濁らして居る。で、一度、こゝに足を踏入れさへすれば、もう向うの建物の中を見ぬ先から、………丁度線香の匂をかいで寺院内の森嚴に襲はれると同樣、淸濁の色別こそあれ、遠く日常の生活を離れた別樣の感に沈められるのである。
思出すのはボードレールが Ruines! ma famille! ô cerveaux congénères! (殘骸! わが親族! わが腦漿!)と叫んでユーゴーに贈つた LES PETITES VIEILLES (小老婆)の一篇である。
彼等は其の捻曲つた身をばやつと裸體にせぬばかり、襤褸を引纏ひ、腐つた牡蠣のやうな眼には目脂を流し、今はたゞ虱の爲めに保存してあると云はぬばかり、襤褸綿に等しい白髮を振亂して、裏長屋の廊下の隅、床下、共同便所の物蔭なぞに、雨露を凌いで居て、折々は賴まれもせぬのに、女郞の汚れ物を洗つたり、雜用をたしたりして、やつと其の日の食にありついて居るのである。然し彼等は此の方が、社會の慈善と云ふ束縛、養老院と云ふ牢獄に收められて了ふよりも、結句安樂で自由であると信じて居るのであらう、若しや此の穴倉へ巡査の靴音の響く恐れでもあると豫知すれば、不思議な程敏活に、其の姿を隱して了ふ、が、然らざる時は、往々にして、天下を橫行せんず勢を見せ、夜陰に乗じて彼方此方と、女郞の室々を巡つて物乞をする。これには流石の女供も敵し得ない。若し腹立ちまぎれに打つか蹴るかしたならば、直ぐと其の場で死んで了ふかと思はれるので、僅に戶の外へ突出せば終夜大聲を出して泣き叫んだり、又は惡たれて其の場に行倒れたまゝ鼾をかいたりする。或時、私は此樣厭がらせを云つて居るのを聞いた。
彼等は、何れも其身相當の夢を見盡して、今は唯だ「女」と云ふ肉塊一ツを、この奈落の底に投げ込み、最う悲しいも嬉しいも忘れて了つた、慾も德もなくなつて了つた。其の證據には戶口へ佇む男を呼び止めても、いきなりに最後の返事を迫め問ふばかりで、世間普通の浮女の樣に、媚を含む言葉使ひ、思せ振の樣子から、次第に人を深みに引入れやうとする、其の樣な面倒な技巧を用ひはせぬ、もしや男が否とも應とも云はずに、素見半分、戲ひでもしたならば、其れこそ大變、彼等は忽ち病犬の如くに吼り狂ひ、諸有る暴言雜語の火焰を吐く。
實際、彼等は、譯もないのに唯だもう腹が立つて立つて堪へられぬのらしい。喧嘩をしたくも相手のない時には、幾杯となく傾ける强い火酒に、腸を燒きたゞらせ、床の上に身を踠いて、大聲に自分の身の上を云罵り、或は器物を破し、己れの髮毛を引毮つて居るなぞは珍しからぬ例である。然し、或者に至つては、早や此の狂亂の時期さへ經過して了つて、折さへあれば鴉片の筒を戀人の如く引抱へ、すや〳〵と虛無の平安を樂しんで居るものも少くはない。
女供を上得意にして、盜品や贋造物のさま〴〵を賣りに來る猶太の爺がある。肩にかけた小箱一ツを生命に、一生涯を旅から旅にと彷徨ふ白髮の行商人がある。萬引を渡世に、其の品物を捨賣にして步く黑人の女がある。日本の遊廓あたりで、「使屋さん」と云ふ樣な、女郞の雜用をして居る親なし宿なしの惡少年がある。然し、其の中にも、殊更哀れと恐しさを見せるのは、明日は愚か今日の夕の生命さへ推量られぬ無宿の老婆の一群である。
夜になつて、橫町の端れから支那芝居の喧しい銅鑼鐘の響が聞え、料理屋の燈籠には一齋に灯がつくと、日中は遠く市中の各處に勞働して居た支那人も追々に寄集つて來て、各自に長煙管を啣へながら、路傍で富籤や賭博の話に熱中して居る。其の樣子が西洋人には如何にも不思議に思はれると見えて、何事にも素早い山師が CHINA TOWN BY NIGHT――なぞと大袈裟な幟を立て、見物のオートモビルに好奇の男女を載せ、遠い上町から案内して來るもあり、又は立派な馬車でブロードウヱー邊の女郞を引連れ、珍し半分、支那料理屋で夜を更かさうと云ふ連中もある………
吾々はかの女郞の身の上をば、此れが人間の墮ち沈み得られる果の果かと即斷したが、其の又下には下があつた。あゝ最後の破滅、最後の平和に到着するまでに、人は幾度、如何に多く、惡運の手に弄ばれねば成らぬのであらう。
又、或時は夏の夜、一日太陽に照された四方の壁は、容易に熱氣を冷さぬのみか、吹く風を遮つて、この空地の中は油の鍋も同樣である。流れ溢るゝ汚水からは生暖かい臭氣が眼にも見える烟のやうに、人の呼吸を閉すかと思はれたが、然し、建物の内なる狹い室の苦しさは其れ以上と見えて、悉く明放した四方の窓々からは何れも半ば裸體になつた女供が、逆さになる程身を外に突出して居る。明るい燈影が其の肩を越して漏れ出づるので、冬の夜とは全く違ひ、空地の上に落ちる夜の色は明く光澤がある。向合せの窓と窓からは、罵るのやら、話すのやら、人の耳を裂くやうな女の聲の響き渡るが中に、高い建物の屋根裏では、其樣物音には一向構はず、大方支那人が彈くのであらう、齒の浮く胡琴の響が、キイ、キイ………と單調な東洋的の旋律を休まずに繰返して居た。私は四邊の臭氣と熱度に弱り果て聞くともなしに佇立むと、あゝこの調和、この均齋、私はこれほど痛ましく人の身の零落破滅を歌つた音樂を聞いたことはないと思つた。
丁度世間の人が劇場や音樂會へでも行くやうに、私は夜が來ると云へば其の夜も星なく月なき眞の闇夜を希ひ、死人や、乞食や、行倒れや、何でもよい、さう云ふ醜いもの、悲しいもの、恐しいものゝあるらしく思はれる處をば、止みがたい熱情に驅られて夜を徹してゞも彷徨ひ步く。
で、折に觸れた一瞬間の光景が、往々にして、一生忘れまいと思ふほど、强い印象を與へる事がある。………確か晴れた冬の夜の事、私は例の如く帽子を眉深に外套の襟を立て、世を忍ぶ罪人のやうに忍入ると、建物と建物の間から見える狹い冬の空に、大きな片割月の浮いて居るのを認めた。光澤の無い赤い其の色は、泣腫した女の眼にも譬へやうか。弱々しい其の光は、汚れた建物の側面から滑つて遙か下なる空地の片隅に云はれぬ陰慘な影を投げた。扉や帷幕を引いた窓の中には火影の漏れながら人聲一ツ聞えぬ。すると、何處から出て來たとも知れぬ大きな黑猫が一匹、共同便所の板圍ひの上をのそ〳〵と、其の背を圓く高めながら、悲し氣な落月の方に顏を向けて一聲、二聲、三聲ほども鳴續けて、其れなり搔消すやうに姿を隱してしまつた。私はこの夜ほど深い迷信に苦しめられた事は無い………。
されば紐育中の貧民窟と云ふ貧民窟、汚辱の土地と云ふ土地は大槪步き廻つたが、この恐るべき欲望を滿すには人の最も厭み恐れるチヤイナタウンの裏屋ほど適當な處はないらしい。然しチヤイナタウン――其の裏面の長屋。こゝは乃ち人間がもうあれ以上には墮落し得られぬ極點を見せた惡德汚辱疾病死の展覽場である………
この女供は米國の社會一般が劣等な人種とよりは、寧ろ動物視して居る支那人をば唯一の目的にして―――其の中には或る階級の日本人も含んで―――此の裏長屋の中に集つて來たものである。人間社會は、如何なる處にも成敗上下の差別は免れぬ。一度、身を色慾の海に投捨てゝも、猶ほ其の海には淸きあり濁れるあり、或者は女王の榮華に人を羨ますかと思へば、或者は盡きた手段の果が、かくまでに見じめな姿を曝す。
かうなると、最う何も彼も顚倒して了つて、今まで世間も自分も美しいと信じて居たものが全く無意義に見えるばかりか厭はしく憎くなり、醜と云ひ惡と云はるゝものが、花や詩よりも更に美しく且つ神祕らしく思はれて來る。凡ての罪業惡行が一切の美德よりも偉大に有力に見え、眞心から其れをば讃美したくなる。
あゝ毒烟の天國――ある佛蘭西の詩人は PARADIS ARTIFICIELS (人工の樂土)と云つた――この夢現の郷に遊ぶまでには、人は世の常ならぬ絕望、苦痛、墮落の長途を經なければならぬ、が、一度、此處に至れば全く煩悶未練の俗緣を脫して了ふ事が出來るのであらう。見よ、彼等の眠りながらに覺たる眼の色を。私は恐る恐る打目戍る度每に、自分は僅ばかり殘つて居る良心に引止められて、何故一思にこゝまで身を落す事が出來ないのかと、勇氣と決心の乏しいのに云はれぬ憤怒を感ずるのである。
「いゝよ、さう因業な事を云ふんなら、もうお情は受けますまい。その代り、お前さんも、もう直きだ、みじめを見た曉に想知るだけの事だ………。お前さんはまだ若くつて、いくらでも商賣が出來るつもりだらうが、瞬く中だよ。ぢき乃公見たやうになつちまふ。鏡なんぞ見る心配はいらねえ、何時背負ひ込んだとも知らねえ毒が、何時か一度は吹出さずにや居ねえ。顏の皺なんかよりや、頭の毛が御用心。鼻が塞る、手が曲らア、顫へて來らア。足が引ツつれて腰が曲らア。物は試しだ、乃公の手を見なせえ………。」
私はチヤイナタウンを愛する。チヤイナタウンは、「惡の花」の詩材の寶庫である。私は所謂人道慈善なるものが、遂には社會の一隅から此の別天地を一掃しはせぬかと云ふ事ばかり心配して居る。