三月十六日―――
例年よりは大變に暖いと云ふ事で、この二三日降り續いた雨に去年から降り積つて居た雪は大方解けて了つた。天氣は相變らず曇つて居たけれど、久しい冬の眠りから覺めた街の樣子はもうがらりと變つて居る。雪の上を滑つて居た低い橇は大きな車輪の馬車となり、その馭者の恐しい毛皮の外套は輕い雨着と變つた。總のついた毛糸の頭巾を冠り、氷の上を滑つて居た子供や娘は、洗出されたセメント敷の步道を、新しい靴の踵に踏み鳴らしつゝ走廻つて居る。子供でなくても、人家の庭や果樹園に黑い濕つた土と、雪の下に一冬を送つた去年の靑芝の現れ來たのを眺めては、程なく來るべき春を思浮べて、誰でも
隨分遠方であるとは知つて居たが、少しく法外のやうに思はれたので、外國の旅の耻には搔き馴れて居る事とて、再び停車場に戾り、居合せた驛夫を捕へて質問した。驛夫は深切に、
間もなく汽車は湖水に沿ひながら、市俄古の市中に入り、イリノイス中央線の停車場に着した。午後の一時半頃なので、プラツトフオームから續く階段を上つて待合室に入り、其の片隅の一室を占めた
間もなく三輛の列車が來て、停車すると入口の戶が驛夫の手を借りずに自然と開いて、進行し始めると同時に再び自然と閉されて了ふ。
辻の瓦斯燈に五十五丁目と書いてある。自分の行先は五十八丁目なので、卽ち三丁步けば可いのだ。始めて來た土地でも恁う
自分は食事を濟まして、廣い階段を下り往來へ出やうとしたが、まだ不知不案内の都會の事、自分の目指す友人の家は西の方やら、東の方やら。
自分は案内されて客間に通つた。
自分は心の底からステラの幸福を祈る切なる情に迫められると同時に、幸なるかな、自由の國に生れた人よ、と羨まざるを得なかつた。試に論語を手にする日本の學者をして論ぜしめたら如何であらう、彼女は
自分は安心してゆつくりと步いた。久しく空を閉した冬の雲は、先程から幾重にも層をなしつつ動いて居たが、次第々々に靑空を現はし、遂に太陽の光までを漏らすやうになつた。雪解の往來は宛ら沼のやうになつて居るので、自分は稍乾いて居る
自分は何とか一語ジエームスに向つて、
自分は何でもよい、早く話を他に轉じたいと思つたが、折能く、下髮を黑いリボンで結んだ十四五の娘が食事を運んで來たので、此れを機會に、ナイフを取りながら、
瓦斯燈を消すと、日蔽を差上げた硝子戶からは夜の空が一杯に見える。空は暗いながらも、往來の雲のかげには月が潜んで居る爲めか何處とはなしに
然り、彼ジエームスは旣に度々自分に此の娘の事を話した。懷中時計の裏に貼付けて、肌身放さず持つて居る美しい其の寫眞をも幾度となく見せてくれた。ジエームスの實家はミシガン州にあるので、去る頃歸省して居る最中、自分は一方ならず懇意になつたのである。ボストン電氣學校の卒業生で、シカゴのエヂソン電氣會社の技師となり、この家に室借りをして居たが、彼は書生時代から洋琴が上手、娘ステラは
然し話し掛ける質問は十人が十人大抵きまつて居る―――何時此の國へお出でになりました。アメリカはお好きですか。ホームシツクにおなりぢやありませんか。日本のお茶は大變よう御在ますね。日本のキモノは綺麗ですね。私は日本の事だと云へば
此の夕、自分は忘れる事の出來ぬ樂しい
時計はやがて九時を打つた。ステラの家には今生憎と空間がないと云ふので、先程、ジエームスが二軒置いて先の素人下宿屋に自分を案内すると云つて居た處から、自分は家族一同にグツドナイトを吿げジエームスと共に外へ出た。
日曜日每に連れ立つて遊びに出掛けた所々の公園で
彼女は突然安樂椅子から立ち、すた〳〵と次の室へ行つたかと思ふと、一册の
彼はさる商店の手代をして居る事から、軈てそろ〳〵とお國自慢に取りかゝらうとした折、電車は自分の降りるべき停車場に着いた。自分は重ねて禮を云ひつゝ車を出で街に降りた。
幾軒も同じ石造りの三階建の貸家の並んで居る中に、やがて目的の番地を見出した。此の邊は急がしい市俄古の
室内は淋しからぬばかりに
四人づゝ坐るべき小形の食卓が三脚置いてある。商人らしい中年の男が二人一番端れの食卓に
午前九時半の汽車に間に合ふやう、自分は手提革包の仕度もそこそこに、町端れの四辻を過ぎる電車に飛び乗り、下町のミシガン中央線の停車場に赴いた。
十七八かと思はれる小作りの婦人、
入口の石段下には馭者が馬車を並べて
云ふと、ステラはさも驚いた樣に、しなやかな片手に輕く頰を押へ、「
九時の定めと聞いた朝餐の食堂に下りて行つた。
中は二つに區別してある。一つはランチ、カウンターとか云つて、一寸日本の居酒屋と云つたやうな體裁。手取り早く立食ひをして行く處。他の方は白い布を掛けた食卓と椅子が置いてある普通の食堂である。立食の方は時間もかゝらず、勘定も安いので、殆ど空間もなく混み合つて居る中には、不思議に可成り綺麗な
下宿屋と云つても別に樣子の變つた事は無い。ステラの家とは殆ど間數も建方も同じやうである。自分は此の家の細君に案内されて、貸間の中では一番上等な
三月十七日―――目覺めたのは八時、見ると一面に
ステラは、此れはジヤクソン公園の湖邊、此れはミシガン
カラマズウ市から市俄古までは凡そ百哩、正四時間で到着するとの事である。汽車はカラマズウの町を離れると直樣波の樣に起伏して居る木の少ない
インデアナ州に這入ると、製造場の多い、汚い小さな街が增え、軈てミシガン
やがて若い二人は演奏し了つたが、娘は樂器を手放すや否や、もう堪へられぬと云ふやうに、男の胸に身を投げ掛け、二度ほど激しい接吻を試みた。兩親は手を拍つて喜び、その再演を迫つたが、娘は猶ほ少時は、激しい感動を靜め兼ねたのであらう、男の胸に顏を押當てた儘で。然し突然立ち直つて、再び樂器を手にすると、今度は亞米利加人が大好きな、彼の愉快なる「デキシー」の一節、老判事までが椅子に坐りながら足拍子を踏み始めた。
すると、二階の窓の方で、自分には何の譯とも聽取れなかつたが、若い女の聲がして、バタ〳〵と駈け降る跫音、そして入口の戶が開いた。
「誰でも外國へ來れば皆困るんですから、其樣お禮には………、」と彼の男は自分の餘りに丁寧なのに少しは驚いた風であつた。アメリカでは男同士の挨拶に帽子なぞ取るものは一人もないからであらう。彼は言葉をつゞけて、
「私逹の寫眞ですよ。日曜のたんびに撮つたんです。」
「私も實は外國人です、
「市俄古大學の傍まで
「停車場の出口から直ぐと市内を往復する電車に乗つて、五十五丁目の停車場で下りるのが一番便利だ。」と敎へてくれたので、自分は更に切符十仙を拂ひ、プラツトフオームに來る電車を待ち受けた。
「今夜は私に是非、あの『夢の曲』を聞かして頂きたいものです。」
「世界中で一番好い處と云へば矢張生れ故郷………あなたも矢張さうでせう。」
「ミスターNツて仰有る方ぢやありませんか。」
「ジエームスはまだ會社から歸りませんけれど、此の間からあなたのお出を待つて居ります。まア、お上んなさいまし。」
「まあ、ほゝゝゝゝ。」と高く鈴のやうな聲で笑つたが、少しも感情を抑へない此の國の少女が胸の響は自分の耳にまで聞えるやうに思はれた。
「えゝ、何も彼も………。」
「
「あなたは大學へお通ひなのですか。」
聞くと、「えゝ。文科の方へ………、」との答である。此れに稍力を得て、
「文科………それぢや小說なぞも御覽になりますか。」
「えゝ、大好きです。」と婦人は憚る所なく答へる。アメリカには日本のやうに女學生に限つて小說を禁ずるやうな
彼女は新刊小說の題目を
朝餐は思ひの外早く濟んだ。かの女學生は、「明日の午後には大學構内のマンデルホールで春季の卒業式があるから、御見物なすつては………。」と云ひながら食卓の上に置いた一册の本を取り片手に前髮の
殆ど入れ違ひに戶口の鈴が鳴つたかと思ふと給仕の娘が、「お客樣です。」との取次ぎ。
出て見るとジエームスであつた。山高帽子を少し阿彌陀に冠り、例の無造作な聲で、グツドモーニングを繰返しながら此れから街の會社に行くので、自分も一緖に見物旁々出掛けてはとの事。早速勸めに應じて共々往來に出て、昨日の晝間下車した同じ停車場から市内通ひの電車に乗つた。
丁度、あらゆる階級のシカゴ人が下町の會社や商店へ出勤の時間なので、車中には席もない程男や女が乗り込んで居る。彼等は何れも最短時間の中に最多の事件の要領を知らうと云ふ恐しい眼付で新聞を讀みあさつて居る。五分十分位に停車する何處のステーシヨンにも新聞を持たずに電車の來るのを待つて居るものは唯の一人もない。何と云ふ新聞好きの國民であらうか。彼等は云ふであらう、進步的の國民は皆一刻も早く一事でも多く世界の事件を知らうとするのだと………。あゝ然し世界はいつになつても珍らしい事變つた事もなく、同じ
列車は休まず湖水の波際を走つて居る。何となく新橋品川のあたりを過ぐる心持がすると思ふ間もなく最後の停車場に着するや、車中の一同は皆忙し氣に席から立つ。ジエームスは此處がバンビユーロンの停車場で市俄古中最も繁華な商業地への
電車から溢れ出る無數の男女は互に肩を摩り合はさぬばかりに、ゾロ〳〵とプラツトフオームから續いた頑丈な石橋を渡つて行く。見渡すと橋向うは數多の
自分は漠然たる恐怖に打たれた。同時に是非を問ふの暇もなく自分も文明破壞者の一人に加盟したい念が矢の如く叢り起つて來た。正直な日本の農民は首府の東京を見物してその繁華(若し云ひ得べくんば)に驚くと共に、無上の賞讃と尊敬を土產に元の藁家に歸るのだが、一度時代の思潮に觸れた靑年は見るに從ひ聞くに從ひ、及びも付かぬ種々な空想に驅られる愚さ。自分は步む事も忘れて石橋の上に佇んで居ると、ジエームスは何と思つたか微笑みながら振向いて、
「Great City」と自分に質問するらしく云掛けたので、
「Ah! monster.」と自分は答へた―――何と形容しやうか、矢張人々の能く云ふ通り
ジエームスは前面のミシガン大通に聳えた建物を指して、あれはアンネキスと云ふ旅館、その隣がオーヂトリヤムと云ふ劇場、遠くの彼れは卸賣の註文を取引する會社の塔である。あれは何、これは何、と一つ〳〵說明してくれた末、まだ少し時間もあるからマーシヤル、フヒールドと云ふ大商店へ案内しやうと云つた。
「市俄古で一番………紐育でも
ジエームスの話は恐らく虛言ではなからう。此の商店を見物する事は市俄古を通る旅人の殆ど義務と云つても可いやうになつて居るのである。衣服家具小間物靴化粧品など諸有る日用品を商ふ店で、市中目拔きのステート、ストリートの角に城郭の如く聳えて居る。自分は群衆の中を通り拔けエレベーターに乗つて二十階近くある其の最絕頂に上り、磨き立てた眞鍮の欄干に凭れて下を覗いて見た。
建物は丁度大きな筒の樣に、中央は空洞をなし、最絕頂の硝子天井から進み入る光線は最下層の床の上まで落ちるやうになつて居るので、出入の人々が最下層の石畳の上を步行して居る樣を何百尺の眞上から一目に見下す奇觀。男も女も漸く拇指程の大きさも無く、兩腕と兩足とを動して、うじ〳〵蠢いて行く樣、
人は定まらぬ自分の心の
ジエームスは會社へ出勤するとて共にエレベーターで下に降り、商店の戶口で別れた。自分は此れからミシガン大通の美術館へ見物に行くのである。
(明治卅八年三月)