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あめりか物語

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市俄古の二日

三月十六日―――市俄古シカゴ見物に行かうと定めた日である。

例年よりは大變に暖いと云ふ事で、この二三日降り續いた雨に去年から降り積つて居た雪は大方解けて了つた。天氣は相變らず曇つて居たけれど、久しい冬の眠りから覺めた街の樣子はもうがらりと變つて居る。雪の上を滑つて居た低い橇は大きな車輪の馬車となり、その馭者の恐しい毛皮の外套は輕い雨着と變つた。總のついた毛糸の頭巾を冠り、氷の上を滑つて居た子供や娘は、洗出されたセメント敷の步道を、新しい靴の踵に踏み鳴らしつゝ走廻つて居る。子供でなくても、人家の庭や果樹園に黑い濕つた土と、雪の下に一冬を送つた去年の靑芝の現れ來たのを眺めては、程なく來るべき春を思浮べて、誰でも自然おのづ雀躍こをどりせずには居られまい。

隨分遠方であるとは知つて居たが、少しく法外のやうに思はれたので、外國の旅の耻には搔き馴れて居る事とて、再び停車場に戾り、居合せた驛夫を捕へて質問した。驛夫は深切に、

間もなく汽車は湖水に沿ひながら、市俄古の市中に入り、イリノイス中央線の停車場に着した。午後の一時半頃なので、プラツトフオームから續く階段を上つて待合室に入り、其の片隅の一室を占めた料理店レストラントに這入つた。

間もなく三輛の列車が來て、停車すると入口の戶が驛夫の手を借りずに自然と開いて、進行し始めると同時に再び自然と閉されて了ふ。車中なかには女客は少く、商人らしい男が多い。自分は市俄古大學の近傍に住んで居る一友人を訪ねて行くつもりなので、隣席に坐つて居る若い男を顧みて、何丁目へは………と友人の宿所を尋ねると、まるで子供に物を敎へるやうに、細々と道筋を示してくれた後、やがて衣嚢ポケツトの中に入れた手帳の間から地圖まで引出した。自分は日本流に帽子まで取つて厚く禮を云ふと、

辻の瓦斯燈に五十五丁目と書いてある。自分の行先は五十八丁目なので、卽ち三丁步けば可いのだ。始めて來た土地でも恁う容易たやすく見當の付くのは、規則正しく數字若しくはアルハベツトの順に區別されてある亞米利加の市街の最も便利な一つである。番地とても、街の右側が奇數ならば、向側は偶数と云ふ風になつて居るので、東京の人が其の土地の番地を捜し得ぬやうなおそれは決して無い。

自分は食事を濟まして、廣い階段を下り往來へ出やうとしたが、まだ不知不案内の都會の事、自分の目指す友人の家は西の方やら、東の方やら。

自分は案内されて客間に通つた。

自分は心の底からステラの幸福を祈る切なる情に迫められると同時に、幸なるかな、自由の國に生れた人よ、と羨まざるを得なかつた。試に論語を手にする日本の學者をして論ぜしめたら如何であらう、彼女ははしたない﹅﹅﹅﹅﹅ものであらう、色情狂者であらう。然し、自由の國には愛の福音より外には、人間自然の情に悖つた面倒な敎義をしへは存在して居ないのである。

自分は安心してゆつくりと步いた。久しく空を閉した冬の雲は、先程から幾重にも層をなしつつ動いて居たが、次第々々に靑空を現はし、遂に太陽の光までを漏らすやうになつた。雪解の往來は宛ら沼のやうになつて居るので、自分は稍乾いて居る步道サイドヲークを拾ひ〳〵步いて行くと、何と云ふ不順な氣候であらう、丁度五月のやうな暑氣を感じ、汗は額に流れ出て、今朝までは着心の好かつた外套の今は重苦しい事云ふばかりも無い。

自分は何とか一語ジエームスに向つて、御身等おんみらの戀は如何に幸福なるかよとの意味を傳へたいと思ひながら、空を見ると夜の雲の烈しい往來ゆきゝに氣を取られ自分はその儘默つて步いた。彼は何やら流行唄を口笛に吹きつゝ早や素人下宿の戶口に着いた。

自分は何でもよい、早く話を他に轉じたいと思つたが、折能く、下髮を黑いリボンで結んだ十四五の娘が食事を運んで來たので、此れを機會に、ナイフを取りながら、

瓦斯燈を消すと、日蔽を差上げた硝子戶からは夜の空が一杯に見える。空は暗いながらも、往來の雲のかげには月が潜んで居る爲めか何處とはなしに微明うすあかるく、路傍の樹木や、遙の高い建物が影の樣に黑々と見分けられる。然し、幸にも今日は汽車の疲れに枕上何の物思ふ所もなく、直樣身は海底に沈み行く心地して、深い眠りに入つたのである。

然り、彼ジエームスは旣に度々自分に此の娘の事を話した。懷中時計の裏に貼付けて、肌身放さず持つて居る美しい其の寫眞をも幾度となく見せてくれた。ジエームスの實家はミシガン州にあるので、去る頃歸省して居る最中、自分は一方ならず懇意になつたのである。ボストン電氣學校の卒業生で、シカゴのエヂソン電氣會社の技師となり、この家に室借りをして居たが、彼は書生時代から洋琴が上手、娘ステラは胡弓バイオリンが好きと云ふので、折々試みる晚餐後の合奏は、宵々每に二人の愛情を結び付け、遂に婚約エンゲージする事になつたとやら。して、互に心の底に、そも〳〵の始め、云はれぬ愛の誓をなさしめたのはシユウマンが「夢」の一曲を合奏した瞬間であつたと云ふ事も、自分はジエームスから聞いて居た。

然し話し掛ける質問は十人が十人大抵きまつて居る―――何時此の國へお出でになりました。アメリカはお好きですか。ホームシツクにおなりぢやありませんか。日本のお茶は大變よう御在ますね。日本のキモノは綺麗ですね。私は日本の事だと云へば夢中クレージーですよ………。

此の夕、自分は忘れる事の出來ぬ樂しい晚餐デンナーを試みた。戀人のジエームスが歸つて來る。父親の老判事が歸つて來る。一家母親を合せて食事した後、若い二人は自分のこひに應じて、彼の「夢の曲」を演奏したのである。花形の笠着た朦朧たる電燈の光に、男は肩幅の廣い背を此方にして洋琴に向ふと、女は胡弓を取つて倚りかゝるやうに男の傍に佇立む。長椅子には白髮の母親、鼻眼鏡を掛けた大きな禿頭の老判事、硝子窓の外には幽に濕けた三月の夜を急いで步いて行く人の靴音。

時計はやがて九時を打つた。ステラの家には今生憎と空間がないと云ふので、先程、ジエームスが二軒置いて先の素人下宿屋に自分を案内すると云つて居た處から、自分は家族一同にグツドナイトを吿げジエームスと共に外へ出た。

日曜日每に連れ立つて遊びに出掛けた所々の公園で撮影うつし合つたのを、一枚一枚月日を記して貼つてある。

彼女は突然安樂椅子から立ち、すた〳〵と次の室へ行つたかと思ふと、一册の寫眞帖アルバムを持つて來て、今度は犇と自分の傍へ椅子を摺り寄せ、膝の上に開いて見せて、

彼はさる商店の手代をして居る事から、軈てそろ〳〵とお國自慢に取りかゝらうとした折、電車は自分の降りるべき停車場に着いた。自分は重ねて禮を云ひつゝ車を出で街に降りた。

幾軒も同じ石造りの三階建の貸家の並んで居る中に、やがて目的の番地を見出した。此の邊は急がしい市俄古の市内うちとは思へぬばかり人通りも少く、町の片側は芝生の廣場(後で聞けば、ミツド、ウエーとて十餘年前萬國博覽會の一部であつたのを其儘公園にしたのだとの事)その廣場を越して、遙右手には鼠色の市俄古大學の建物が見え、左手には大方ホテルでも有るらしい大きな高い凌雲閣スカイスクラツパーの二つ三つ立つて居るのが、丁度雨上りの白い雲の頻と往來する空模様と調和して、妙に自分の眼をひいたので、自分は訪ねやうとする家の戶の外に佇んだまゝ、暫くは呼鈴も押さずに眺めて居た。

室内は淋しからぬばかりに長椅子ソフワー、安樂椅子、デスク、石版の繪額、中古の洋琴なぞを置いたゞけで、自分が想像した市俄古の生活としては、其の華美ならざるに驚いた。家の主人は裁判所の判事、今、自分を接待してくれるのは、その一人娘のステラ孃で、自分がミシガン州で知己となつたジエームスの未來の妻たるべき人である。

四人づゝ坐るべき小形の食卓が三脚置いてある。商人らしい中年の男が二人一番端れの食卓に市俄古新聞シカゴトリブユーンを讀んでゐる。中央のには學生風の婦人が一人。すると案内の細君は、自分を此の中央の食卓に請じたので、かの婦人は今まで一人で退屈さうに食事の運び出されるのを待つて居た所から、殊には外國人と見て取つて直樣話しかける。

午前九時半の汽車に間に合ふやう、自分は手提革包の仕度もそこそこに、町端れの四辻を過ぎる電車に飛び乗り、下町のミシガン中央線の停車場に赴いた。

十七八かと思はれる小作りの婦人、金色ブロンドの前髮をふつくりと大きく取り白い上衣ウエーストに紺色のスカート。見るから愛らしい圓顔の口許に、態とらしいまで愛嬌あるえくぼを浮べ、華美はでな、無邪氣な、奧底の無い、アメリカの處女特有の優しい聲で、

入口の石段下には馭者が馬車を並べて客待きやくまちをして居るので、自分は手招ぎして一人を呼び寄せ、

云ふと、ステラはさも驚いた樣に、しなやかな片手に輕く頰を押へ、「ドリーム」と叫んだが、激しい回想の念に打たれて、大きく息をつき、「ジエームスは其樣事まで、あなたにお話して了つたんですか。」

九時の定めと聞いた朝餐の食堂に下りて行つた。

中は二つに區別してある。一つはランチ、カウンターとか云つて、一寸日本の居酒屋と云つたやうな體裁。手取り早く立食ひをして行く處。他の方は白い布を掛けた食卓と椅子が置いてある普通の食堂である。立食の方は時間もかゝらず、勘定も安いので、殆ど空間もなく混み合つて居る中には、不思議に可成り綺麗な扮装みなりの婦人も交つて居た。

下宿屋と云つても別に樣子の變つた事は無い。ステラの家とは殆ど間數も建方も同じやうである。自分は此の家の細君に案内されて、貸間の中では一番上等な表向フロントの一室に入り、五分ほどしてジエームスの立去るや、自分は直衣服を着換へて、靜に寢床の上に身を橫へた。

三月十七日―――目覺めたのは八時、見ると一面にれて居る硝子戶の上に、朝日がキラ〳〵輝いて居る。衣服を着換へながら、窓際に立ち寄つて、外を見れば、濡れた往來には風に打拂はれた細い樹の枝が、彼方此方に散亂して居る。暴風があつたに違ひない。それにしても、自分は能く夢一つ見ずに一夜を過す事が出來たものだ。哀れな人間は眠りの最中さへ、絕えず種々の夢に苛まれるものを。昨宵ゆうべは此の夢一つ見ぬ誠の快眠に、自分は始めてかの牧場の木蔭に橫る動物のやうに、生存の勞苦から遠かつた安樂と幸福を得たのである。

ステラは、此れはジヤクソン公園の湖邊、此れはミシガン大通アベニユーの石堤、此れはリンコルン公園の木陰………と語調も急がしく說明する中にも、彼女は折々自分は今や世界中での一番幸福な娘の一人であるとの自信を、深い綠色の目の色に輝かせた。

カラマズウ市から市俄古までは凡そ百哩、正四時間で到着するとの事である。汽車はカラマズウの町を離れると直樣波の樣に起伏して居る木の少ない丘陵をかの間や、眞黑に冬枯して居る林檎園に沿うて走る。自分は岡の間の凹地に殘る鹿子かのこまだらの雪の模樣や、牧場の小川から溢れ漲る雪解ゆきげの水が腐つた柵を押崩すさまなぞ、まるで露西亞小說の叙景のやうな景色を幾度も目にして過ぎた。

インデアナ州に這入ると、製造場の多い、汚い小さな街が增え、軈てミシガンレーキの畔に出る。然し、湖水の面は曇つた空と共に濛々たる霧に閉され、岸邊に漂ふ大きな氷塊と、無數の鷗の飛廻るのを眺めるばかり。見ぬ北極の海もかくやと想像せられるのである。

やがて若い二人は演奏し了つたが、娘は樂器を手放すや否や、もう堪へられぬと云ふやうに、男の胸に身を投げ掛け、二度ほど激しい接吻を試みた。兩親は手を拍つて喜び、その再演を迫つたが、娘は猶ほ少時は、激しい感動を靜め兼ねたのであらう、男の胸に顏を押當てた儘で。然し突然立ち直つて、再び樂器を手にすると、今度は亞米利加人が大好きな、彼の愉快なる「デキシー」の一節、老判事までが椅子に坐りながら足拍子を踏み始めた。

すると、二階の窓の方で、自分には何の譯とも聽取れなかつたが、若い女の聲がして、バタ〳〵と駈け降る跫音、そして入口の戶が開いた。

「誰でも外國へ來れば皆困るんですから、其樣お禮には………、」と彼の男は自分の餘りに丁寧なのに少しは驚いた風であつた。アメリカでは男同士の挨拶に帽子なぞ取るものは一人もないからであらう。彼は言葉をつゞけて、

「私逹の寫眞ですよ。日曜のたんびに撮つたんです。」

「私も實は外國人です、和蘭おらんだじんですよ。もう十年から此の國に居ますが………あなたは如何です、アメリカはお好きですか。」

「市俄古大學の傍まで幾何いくらだ。」ときくと「二弗」と答へた。

「停車場の出口から直ぐと市内を往復する電車に乗つて、五十五丁目の停車場で下りるのが一番便利だ。」と敎へてくれたので、自分は更に切符十仙を拂ひ、プラツトフオームに來る電車を待ち受けた。

「今夜は私に是非、あの『夢の曲』を聞かして頂きたいものです。」

「世界中で一番好い處と云へば矢張生れ故郷………あなたも矢張さうでせう。」

「ミスターNツて仰有る方ぢやありませんか。」

「ジエームスはまだ會社から歸りませんけれど、此の間からあなたのお出を待つて居ります。まア、お上んなさいまし。」

「まあ、ほゝゝゝゝ。」と高く鈴のやうな聲で笑つたが、少しも感情を抑へない此の國の少女が胸の響は自分の耳にまで聞えるやうに思はれた。

「えゝ、何も彼も………。」

貴兄あなたはいかゞです。」と自分は訊き返すと彼は微笑して、

「あなたは大學へお通ひなのですか。」

聞くと、「えゝ。文科の方へ………、」との答である。此れに稍力を得て、

「文科………それぢや小說なぞも御覽になりますか。」

「えゝ、大好きです。」と婦人は憚る所なく答へる。アメリカには日本のやうに女學生に限つて小說を禁ずるやうな無慙むざんな規則はないと見える。

彼女は新刊小說の題目を數多あまた並べて批評をしたが、不幸にも自分はアメリカの文學については、此れまで何一つ注意を拂つた事が無いので、折角の婦人が高說も其程には趣味を解し得なかつた。自分が知つて居るアメリカの作家と云へば、ブレツトハート、マークトイン、ヘンリーゼームス、高々此れ位のものであらう。去年の暮であつたか、紐育の友から其の頃文壇を風靡して居る二三の大家の作を送付されたが、何れも半分ほど讀んで止してしまつた事がある。猶ほ折々は雜誌など開いて見るけれども、何故か此の新大陸の作家中には、ドーデ、ツルゲネフのやうなものを見出す事が出來ない。大方アメリカ人にはかゝ哀愁の深い作物は、その趣味に適して居らぬのであらう。

朝餐は思ひの外早く濟んだ。かの女學生は、「明日の午後には大學構内のマンデルホールで春季の卒業式があるから、御見物なすつては………。」と云ひながら食卓の上に置いた一册の本を取り片手に前髮のもつれを撫で〳〵出て行つた。

殆ど入れ違ひに戶口の鈴が鳴つたかと思ふと給仕の娘が、「お客樣です。」との取次ぎ。

出て見るとジエームスであつた。山高帽子を少し阿彌陀に冠り、例の無造作な聲で、グツドモーニングを繰返しながら此れから街の會社に行くので、自分も一緖に見物旁々出掛けてはとの事。早速勸めに應じて共々往來に出て、昨日の晝間下車した同じ停車場から市内通ひの電車に乗つた。

丁度、あらゆる階級のシカゴ人が下町の會社や商店へ出勤の時間なので、車中には席もない程男や女が乗り込んで居る。彼等は何れも最短時間の中に最多の事件の要領を知らうと云ふ恐しい眼付で新聞を讀みあさつて居る。五分十分位に停車する何處のステーシヨンにも新聞を持たずに電車の來るのを待つて居るものは唯の一人もない。何と云ふ新聞好きの國民であらうか。彼等は云ふであらう、進步的の國民は皆一刻も早く一事でも多く世界の事件を知らうとするのだと………。あゝ然し世界はいつになつても珍らしい事變つた事もなく、同じ紛紜ごた〳〵を繰返して居るばかりでは無いか。外交問題と云へばつまりは甲乙利益の衝突、戰爭と云へば强いものゝ勝利かち、銀行の破產、選挙の魂膽、汽車の顚覆、盜賊、人殺、每日々々人生の出來事は何の變化もない單調極るものである。佛蘭西のモーパツサンは早くも此の退屈極る人生に對して堪え難い苦痛を感じ「水の上」なる日記の中に、「厭ふべき同じ事の常に繰り返へさるゝを心付かぬものこそ幸なれ。今日も明日も同じき動物に車引かせ同じき空の下同じき地平線の前同じき家具に身を取り卷かせ同じきさまして同じき勤めする力あるものこそ幸なれ。堪へがたき憎しみ以て世は何事の變るなく何事の來るなく、ものうく疲れたるを見破らぬこそあゝ幸なれや………。」と云つて居るではないか。されば、饑ゑたるものゝ食を求むる如く、此の變化なき人生の事件を知らうとするアメリカ人の如きは最も幸福と云ふべき者であらう。

列車は休まず湖水の波際を走つて居る。何となく新橋品川のあたりを過ぐる心持がすると思ふ間もなく最後の停車場に着するや、車中の一同は皆忙し氣に席から立つ。ジエームスは此處がバンビユーロンの停車場で市俄古中最も繁華な商業地への這入口はいりぐちだと敎へてくれた。

電車から溢れ出る無數の男女は互に肩を摩り合はさぬばかりに、ゾロ〳〵とプラツトフオームから續いた頑丈な石橋を渡つて行く。見渡すと橋向うは數多の自動車オートモビルが風の如くに往來して居るミシガン大通アベニユーで、更に、此處から西へと這入る幾條の大通りには何れも二十階以上の高い建物が相競うて聳えてゐる。空は三月の常として薄暗い上に左右から此等の高い建物に光線を遮られてゐるので、大通の間々は塵とも烟ともつかぬまるで闇のやうな黑いものが渦卷き動いて居る。そして今しも石橋を渡り盡した無數の男女の姿は呑まれる如く、見る〳〵中にこの闇の中―――市俄古なる闇の中に見えなくなつて了ふのであつた。

自分は漠然たる恐怖に打たれた。同時に是非を問ふの暇もなく自分も文明破壞者の一人に加盟したい念が矢の如く叢り起つて來た。正直な日本の農民は首府の東京を見物してその繁華(若し云ひ得べくんば)に驚くと共に、無上の賞讃と尊敬を土產に元の藁家に歸るのだが、一度時代の思潮に觸れた靑年は見るに從ひ聞くに從ひ、及びも付かぬ種々な空想に驅られる愚さ。自分は步む事も忘れて石橋の上に佇んで居ると、ジエームスは何と思つたか微笑みながら振向いて、

「Great City」と自分に質問するらしく云掛けたので、

「Ah! monster.」と自分は答へた―――何と形容しやうか、矢張人々の能く云ふ通り怪物モンスターとより外に云ひ方はあるまい。

ジエームスは前面のミシガン大通に聳えた建物を指して、あれはアンネキスと云ふ旅館、その隣がオーヂトリヤムと云ふ劇場、遠くの彼れは卸賣の註文を取引する會社の塔である。あれは何、これは何、と一つ〳〵說明してくれた末、まだ少し時間もあるからマーシヤル、フヒールドと云ふ大商店へ案内しやうと云つた。

「市俄古で一番………紐育でも那樣あんな大きな商店はない。だから世界一と云つてもいゝのです。女ばかりでも七百人から働いて居ますからな。」

ジエームスの話は恐らく虛言ではなからう。此の商店を見物する事は市俄古を通る旅人の殆ど義務と云つても可いやうになつて居るのである。衣服家具小間物靴化粧品など諸有る日用品を商ふ店で、市中目拔きのステート、ストリートの角に城郭の如く聳えて居る。自分は群衆の中を通り拔けエレベーターに乗つて二十階近くある其の最絕頂に上り、磨き立てた眞鍮の欄干に凭れて下を覗いて見た。

建物は丁度大きな筒の樣に、中央は空洞をなし、最絕頂の硝子天井から進み入る光線は最下層の床の上まで落ちるやうになつて居るので、出入の人々が最下層の石畳の上を步行して居る樣を何百尺の眞上から一目に見下す奇觀。男も女も漸く拇指程の大きさも無く、兩腕と兩足とを動して、うじ〳〵蠢いて行く樣、此樣こんな滑稽な玩弄物おもちやが又とあらうか。然し一度此の小さな意氣地なく見える人間が、雲表に高く聳ゆる此高樓大廈たいかを起し得た事を思ふと、少時しばし前文明を罵つた自分も忽ち偉大なる人類發逹の光榮に得意たらざるを得なくなる。

人は定まらぬ自分の心の淺果敢あさはかさを笑ふであらう。然し人の心は何時もその周圍の事情によつて絕え間なく變轉浮動して居るに過ぎない。例へば夏の日に冬の寒さを思ひ冬の日に夏の涼しさを慕ふやうなもので、ルーテルの新敎ルーソーの自由、トルストイの平和、何れか絕對の眞理があらう。皆な其の時代と其の周圍の事情とが呼起した聲に外ならぬ。

ジエームスは會社へ出勤するとて共にエレベーターで下に降り、商店の戶口で別れた。自分は此れからミシガン大通の美術館へ見物に行くのである。

(明治卅八年三月)

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市俄古の二日