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あめりか物語

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單に紐育ばかりではない、合衆國中に知れ渡つて女も男もよく人が話をするのは、ロングアイランドの海岸に建てられた「コニーアイランド」と云ふ夏の遊場の事である。淺草の奧山と芝浦を一ツにして其の規模を驚くほど大きくしたやうな處である。紐育からはブルツクリンの市街を通過る高架鐵道とハドソン河を下る蒸汽船と、水陸いづれからも半時間ほどで行く事が出來る。

凡そ俗と云つて、これほど俗な雜沓場は世界中におそらくあるまい。日曜なぞは幾萬の男女が出入をするとやら、新聞紙が報道する記事を見ても其の賑かさは想像せられるであらう。電氣や水道を應用して俗衆の眼を驚かし得る限りの大仕掛の見世物と云ふ見世物の種類は、幾十種と數へきれぬ程で、然し其の中には見物人に多少歷史や地理の知識を與へる有益なものもある。又怪し氣な踊場鄙猥ひわいな寄席も交つてゐる。每夜目覺しく花火が上る。河蒸汽で晴れた夜に紐育の廣い灣頭から眺め渡すと、驚くべき電燈イルミネーシヨンの光が曙の如く空一帶を照す中に海上遙か幾多の樓閣が高く低く聳え立つ有樣、まるで龍宮の城を望むやうである。

連中の二三人が其の儘女の後を尾けて行つた。殘つた人數は如何にも面白さうに其の方を見送りながら、

自分も其の頃は其の中の一人、何をしたつて構ふものか。歐洲に渡る旅費さへ造ればと云ふ一心から、ふいとした出來心である玉ころがしの數取りになつた。一週間の給金が十二弗。亭主のいふには外の店ぢや十五六弗出す處もあるさうだが皆な自分で喰つて行かなくちやならねえ。乃公おらの處は十二弗で三度飯がついて店の中へ寐泊りも出來る。つまり給金から身錢一文切る事はいらねえのだ。だから其のつもりで働いてくれ給へ―――との事であつた。

自分は雇はれると、直ぐ其場から、他の者と同じやうに店先に据ゑた玉臺のわきに立つて、お客の立寄るのを待つて居たが、三時、四時過ぎる頃までは見物の通行人も至つて稀で、あつい〳〵夏の夕陽が向側の大きなビーヤホールの板屋根に照輝いて居る。ビーヤホールの右隣りは射的場で、眞白に白粉を塗つた女が口に物を頰張つたまゝで、時々此方を向いては大欠伸をして居たが、左隣は「世界空中旅行」と看板を掛けて鳥渡見掛の大きな見世物である。入口の椅子の上には此れも白粉をべつたり塗つた乳の大きい若い女が、客の出入の少い折を幸ひ、臺の上で入場券と小錢の勘定をして居る、と其の傍には下卑た人相の男が人目を引く色模樣の衣服を着て、客らしいものが通らない時でも、絕えず「被入い〳〵」と大聲に二三度怒鳴つては、頻と切符賣の女に色目を使つて何かこそ〳〵話をしかけて居た。

玉場に雇はれた連中は目の前を過ぎる女の價踏ねぶみや批評に急しい。

此の時絕えず步いて居る怪し氣な女の二人連が行き過ぎながら、日本人と見て戲ひ半分ハローと聲を掛けた。

書生どもはもうからかつてもつまらないと思つたか、あゝ暑いと云ひながら店の外へ出て了つた。成程戶を閉め切つた家の中はぢつ﹅﹅として居ても汗が出るやうなのと、自分は今日雇はれたばかりで何處に寢てよいのやら分らぬので、同じ樣に片隅の潜戶から外へ出た。軒の下の涼しい處に店に雇はれた連中は皆寄集つて立話をして居る。

往來の端れの廣い海水浴場の方からは、何とも云へぬ冷い風と共に雨のやうな靜な岸打つ波の音が響いて來る―――何と云ふ疲れた物淋しい響であらう。自分は大方夜明しに馴れぬ身のいたく弱り果てた所爲であつたに違ひない。一夜湧返る狂亂歡樂の後、この淋しい疲れた波の音は深く心の底へと突入るやうに思はれた。見るともなく灰色に色褪めた夏の夜の空遠く、今や一ツ〳〵消えて行く星の光を打目戍つて居ると、かの怪しい女どもが戲れ騷ぐ笑ひ聲の途切れ途切れては又聞えるのさへ、遂にはあゝ浮世にはあんな生活もあるのかと、何か不思議な謎でも掛けられるやうな氣がして來るのであつた。

四邊は一時間ほど前の雜沓を思返すと、不思議な程氣味の惡い程寂として居る。彼の大仕掛な見世物の樓閣はイルミネーシヨンの光が消えて了つたので、朦朧として彼方此方の空中に白く雲のやうに聳えてゐるばかり。廣からぬ往來は何處もやツと闇にならぬ限り、處々の電燈に薄暗く照されて居る。と、この薄暗い影の中に夢の如く幻の如く白粉を塗つた妙な女が、戶を閉めた四邊の見世物小屋から消えつ現れつして居る。シヤツ一枚の腕まくりした男が其の姿を追掛けて行つたり來たりして居るかと思ふと、忽ち「何をするんだよ。」と云ふやうな女の叱る聲、又はキヤツ〳〵と笑ふ聲も聞える。何れも一夜見世物小屋で怒鳴つたり踊つたりして居た連中が、今初めて身まゝ氣まゝの空氣を吸ひに出て來るのである。

四邊に電燈のついたのは五時頃であつたらう。空は靑く夏の日の暮れるにはまだ間がありながら、然し一帶の景氣は何處となく引立つて來た。蓄音機へ仕掛けた樣々の物音、男の客を呼ぶ叫び聲が、彼方からも此方からも響き出すと、向ひのビーヤホールでは往來からも見通せるやうな處で盛に活動寫眞を映し初める。直ぐ近くの何處かには寄席か踊場があると見えて、樂隊の太鼓と共に若い女の合唱コーラスも聞える。見物の男女は此の刻限から次第々々に潮の如く押寄せるばかりで、夜の八時から十二時過ぎまでの盛り時には往來は全く步く隙間もなく人間で埋つて居た。軈て店の亭主が漸く靜り行く往來の樣子を見計つて、

と云つたのは夜の二時である。吾々は路傍の水道で汗になつた顏を洗ひ、煙草でも一服しやうとすると早や三時に近い。雇はれて居る連中では一番年を取つた四十ばかりの如何にも百姓らしい顏をして居る男が、東北訛の發音で、

こゝに日本の玉轉し Japanese Rolling Ball と云へば廣いコニーアイランド中數ある遊び物の中でも隨分と名の知れ渡つたものである。何の事はない、奧山でやつて居る射的や玉轉しも同樣、轉した玉の數で店一杯に飾つてある景物を取ると云ふのに過ぎない、が、第一が日本人と云ふ物珍らしさ、第二が運よくば金目の品物が取れると云ふ勝負氣とで、何時頃から評判になつたとも知れず、日露戰爭以後は一層の繁昌、每年の夏、此の玉轉しの店は增えるばかりである。

かう云ふ人氣もので一儲をしやうと云ふ人逹の事であれば、其の主人と云ふ日本人は大槪もう四十から上の年輩。生れ故郷の日本で散々苦勞をした擧句、此のアメリカへ來てからも多年ありと有らゆる事を爲盡し、今ではなに世の中はどうかならア、人間は土をかじツて居たつて死にやアしめえ、と云はぬばかり、其の容貌かほつきから物云ひから何處となくひれが着いて、親方らしく、壯士らしく、破落戶ごろつきらしくなつて居る。で、其の下に雇はれて每日客が轉す玉の數を數へ景物を渡してやる連中は、まだ失敗と云ふ浮世の修行がつまず、然し軈ては第二の親方にならうと云ふ程度の無識者、又は無鐵砲に苦學の目的で渡米して來た靑年である。

「角の酒屋へ行つて見やうや。彼處へは每晚寄席へ出る女が大勢來て飮んで居らア。」

「相手によらア。」

「瘦せて居るぢや無えか。」

「爲樣の無え奴等だ。國で親兄弟が聞いたら泣くだらう。」

「然し乃公アもう金引替に遊んで居たつて、氣が乗らねえからな。」

「日本人か。」

「支那街ツて云へばあの十七番に居た、ぽつちやりした目の黑いジユリヤ………知つて居るだらう。あのジユリヤがビーヤホールの踊場へ來てかせいで居るぜ。きつと角の酒屋に來て飮んで居るかも知れねえ。」

「心細い事があるかい。其の中に羨してやるから見て居るがいゝや。」

「心細いわけだな。」

「後をつけて見ろ。」

「女房だつて、娘だつて、構ふ事は無え。金さへ出しやア乃公のものぢや無えか。」

「奧の寐臺は南京蟲の巢だ。お前も少しア板の上に寐る稽古もして置くもんだぜ。每晚々々女の處へ這込む事ばかり考へて居やがつて………。」

「太平洋と云ふ大海があるんで、先づお互に仕合と云ふものだ。何も乃公逹だつて初ツから恁うなるつもりで米國へ來たのぢや無えからな。」

「夏向だからよ。」

「又今夜も玉臺の上に寐るのか。好い夢でも見るかい。」

「其れぢや强姦でもするさ。」

「公園なんぞうろ〳〵して巡査に捕まつて日本人の面へどろを塗るな。」

「何處へ行くんだ。もう夜が明けるぜ。」

「乃公アまだ若いんだよ。」と書生らしい相手が云ふと、同じ仲間の一人が、助太刀と云ふ氣味で、

「アメリカがどうしたんだ。日本人だから惚れられないと限つた事アあるめえ。日本人ならもつたい無い位だ。」

「わるくないぜ。」

「まだ、それまでには窮して居ねえや、時節を待つのよ。」

「どうだ、もうそろ〳〵戶を閉めちやア………。」

「さア〳〵乃公アもう寐るぜ。お前逹のやうな眞似をして居ちやア身體が續きませんや。若え者逹はさんざ樂しむがいゝ。まだ夜は長いや………。」と云ひながら、玉臺の下に圓め込んだ毛布を出して敷伸べ、ごろりと臺の上へ、汚染みた襯衣シヤツ一枚で大の字なりに寐轉んだ。すると頭髮を綺麗に分けた書生らしい男が、

「さう好きな注文を云ふない。此處はアメリカだぜ。」

「さうよ。國にや十六になる情婦いろが待つて居らア。お前逹見たやうにアメリカ三界の女郞に鼻毛を拔かれて、汗水たらした金を取られる奴の氣が知れねえや。此處で一晚捨てる金を國へ持つて行つて見な、朝日が屛風へかん〳〵さすまで、お大盡さまで遊べるぢや無えか………。」

「これから二弗も取られる位なら、矢張支那街へ行つた方が安く行くぜ。」

「お義理一遍に………。」

「お爺つアん、お前、さう金ばかりためてどうするんだい。國にや子もある孫もあるツて譯でもあるまいが………。」

「お出でなすつた。」

「おい、どうするんだい。何時まで立坊たちんばうをして居たつて始らねえや。出掛けるなら、早く出掛けて了はうぢやないか。」

「うむ。ブルツクリンに居る手品てづま使ひの女房見たやうになつて居るんだ。」

「いくらだい。二弗位で上るのか。」

彼奴あいつアもうれこが付いて居るから駄目よ。」

「見ろ。奴等は海の方へ曲つて行つたぜ。游泳およぎにやまだ人が居るのか知ら。」

「今頃行つて見ろ。怪しい奴が彼方にも此方にも砂原すなツぱらにごろ〳〵して居らア。」

「かうして居たつて爲樣がねえ。ぶら〳〵出掛けて邪魔して遣れ。」

「つまらない岡燒をかやきをするな。」

「然し、海の風は身體に藥だぜ。」

「何を云ふんだ。かう每晚夜明しをして居ちや、藥も糸瓜へちまもあるものか。」

「ぢやア、例の通り、何處かで埒を明けて了ふのかな。乃公逹は的のない海邊よりか、矢張行きなれた南京街へ落ちて行かうや。」

連中は二組に分れた。一組は海水浴場の方へ、一組は夜通し通つて居る電車の停車場をさして出て行つた。自分は一人取殘されたものゝ、然し家へ這入つて玉臺の上に寢るのも厭だし、と云つて、何處へも外に行く處がない。

星は一ツ殘らず消えて了つたが、まだ明けきらぬ夜の空は云ひ難い陰鬱な色をして、一帶に薄い霧に蔽はれて居る。明日はまた驚く程蒸暑くなる前兆である。

軒の下に蹲踞しやがんだまゝ、自分は思はずうと〳〵と居眠りしたかと思ふ間もなく、誰やら耳許近く呼ぶ聲にはつと顏を上げて見ると、先程海の方へ出て行つた連中の一人であるらしい。自分と同じ位な若い書生風の男が葉卷を口に啣へて立つて居る。

「どうしたんだ。寢るのなら店の中に寢臺があるぜ。」と自分の顏を見下したが、「君はまだ此う云ふライフに馴れない方だね。」と云つて何か思出すらしく葉卷を口に啣へ直した。

「皆なは何うした。」と自分は少し耻る氣味もあつて態とらしく眼を擦る。

「相變らず淫賣だのえたい﹅﹅﹅の知れない女を捜し步いてゐるのさ。」

如何にも疲れたと云ふやうに自分の傍へ同じ樣に蹲踞んだが、近く自分の顏を打眺めて、「どうだね、君。われ〳〵の生活は隨分墮落したもんだらう。」

自分は答へずに唯輕く微笑んだ。

「君は何時アメリカへ來たんだ。もう長いのか。」

「二年ばかりになる。君は………。」と自分は問ひ返した。

「今年の冬で丁度五年だ。夢見るやうだな。」

「何處か學校へ行つて居るのか。尤も今は夏で休みだらうけれど………。」

「さうさ。來た初め二年ばかりはそれでも正直に通つて居たツけ。尤もその時分にやア、僕は國から學費を貰つて居たんだ。」

「ぢや、君は無資力の苦學生と云ふんでもないんだね。」

「かう見えても、家へ歸れば若旦那さまの方よ。」と淋しく笑ふ。

成程其の笑ふ口許、見詰める目許から一帶の容貌おもざしは、玄關番、食客、學僕と云ふやうな境遇から、一躍渡米して來た他の靑年とは違つて、何處か弱い優しい處がある。身體は如何にも丈夫さうで、夏シヤツの袖をまくつた腕は逞しく肥えて居るが、其れも勞働で鍊磨きたへ上げたのとは異り、金と時間の掛つた遊戲や體育で養成した事が注意すれば直ぐ分る。幾年か以前には隅田川のチヤンピオンであつたのかも知れぬ。

「日本ぢや何處の學校だつた。」

「高等學校に居た事がある。」

「『第一』か。」

「東京は二年試驗を受けたが駄目だつた。仕方がないから、三年目に金澤へ行つてやつと這入れた。然し直に退校されたよ。」

「どうして………。」

「二年級の時に病氣で落第する。其の次の年には數學が出來なくつて又落第………二年以上元級に止まる事が出來ないと云ふのが其の時分の規則だから退校された。」

「其れでアメリカへ來たんだね。」

「直ぐぢやない。退校されてから二年ばかりは家に何にも爲ないで遊んで居た。女義太夫を追掛けたり、吉原へ繰込んだり、惡い事は皆な其の間に覺えた。」

「………………。」

「母親は泣く父親は怒る。然し其の儘にしちやア置けないので、到頭米國へ遊學させると云ふ事になつたのだ。」

「直ぐニユーヨークへ來たのか。」

「いや、マサチユーセツツ州の學校へ行つた。二年ばかりは隨分勉强したよ。僕だつて何も根からの道樂者ぢや無い。一時高等學校の入學試驗に失敗したり、其れから又退校されたりした時にや、自分はもう駄目だと思つたが、勉强して見りやア、何にさう僕だつて人に劣つて居るわけぢや無い。」

「さうとも………。」

「マサチユーセツツの學校ぢや三人居た日本人の中で、兎に角僕が語學ぢや一を占めた位だつた………。」

「卒業しないのか。」

「中途で止して了つた。」

「どうして、惜しいぢやないか。」

「さう云へば其樣ものさ。然し今更後悔したつて始らない。僕は又後悔しやうとも思つちや居ない。」

「………………。」

「仕方のない奴だと思ふだらう。然し僕は全く感ずる處があつて廢學して了つたのだ。一生涯僕はもう二度と書物なぞは手にしないだらう。」

自分は彼の顏を見詰めた。

「別に大した考へがある譯ぢやないが、僕は學位を貰つたり肩書がついたりする身分よりか此樣處にかうしてぶら〳〵して居る方が結句愉快だからさ。」

「或る意味から云へば、或はさうかも知れない。」

「學校へ這入つてから二年目の夏の事だ。夏休みを利用して紐育へ見物に出て來たのは可かつたが、秋になつてもう學校へ歸らうと云ふ時分に、どうした事だつたか、屆くべき筈の學資が來ないぢや無いか。實に弱つたね。今日來るか明日屆くかと待つて居る中に、學校へ歸る旅費は愚か、愚圖々々して居ると下宿代までが怪しくなつて來た。僕は今日まで自分の腕でびた一文稼いだ事がない。如何にして自分は其身を養つて行くかと云ふ方法を知らない。だから、さア、國許から金が來ない………何れ來るのだらうが、もう來ないやうな氣がする。と、夜もおち〳〵寢られないぢやないか。何だか無暗とひもじいやうな氣がする。乞食になつた夢ばかり見るのだ。」

「無理はない。」

「已むを得ないから、僕は殘つて居る金のある中下宿の勘定をすまして、安い日本人の宿屋へ引移した。其れから二週間も待つて居たが、まだ送金が屆かないぢやないか。僕はもう此れアいよ〳〵駄目だ。何とか手段を考へなくちや成らない………と云つて友逹も相談相手も何にもないアメリカぢやしやうがない。遂に決心して西洋人の家庭へ奉公に行く事にした。」

「ハウス、ウオークだね。」

「さうさ。宿屋に泊つて居る連中は皆なさう云ふ手合だから、每日話をして居る中に大槪樣子は分つた。思つたよりか苦しくも無さゝうだから、えゝ、どうにか成るだらうともう自暴半分、始めよりか大分膽が据つて來たよ。君も知つて居るだらう。皆なが遣るやうに先づヘラルド新聞社へ行つて、Japanese student, very trust worthy, wants position in family, as valet, butler, moderate wages. といふやうな廣吿を出した。二三日たつと直ぐ返事が二三通も來た。然し僕は何う云ふ家が可いのか分らないから、行き當りばつたり一番先に尋ねて行つた家へ給金は向うの云ふまゝ三十弗で働く事にした。其の時には下女同樣の奉公をして、三十弗の月給が取れるとは、流石はアメリカだと思つて喫驚した。」

「然し能く辛抱が出來たね。學費を送る位の家なら君は所謂お坊ちやん育ちの身分だらうが………。」

「人間には反抗と云ふものがあるよ。お坊ちやん育ちだつたからこそ辛抱が出來たのだ。辛抱どころか遂に面白くなつた。君には分らないかも知れない。鳥渡說明の爲にくい事情だが………まア恁う云ふ譯だ。先づ僕の家庭から話さなくツちや成らんな。」

父親フアーザーは何をして居られる。」

「學者さ―――丸圓學院の校長をして居る。僕の親として紳士として、社會的にも個人的にも殆ど一點非の打ち處がないと云つて可い位の人物だが、然しあまり完全過ると物事は却つて不可んよ。水淸くして魚住まずと云ふ事があるからね………。僕は餘り健全な家庭に育つた爲め思ひ掛けない處から腐敗し始めたのだ。」

自分が問ひ掛けやうとするのを手で制して語りつゞけた。

「今になつて、此樣處で親の評判を吹聽するのは馬鹿々々しいやうだが、實際の處、僕の父は其の頃から世間で云ふ通り、餘程人から崇拜された人物だつたと見えて、家には何時も塾同樣に書生が七八人も居た。君も父の名前位は何かの書物で見られた事があるかも知れない。兎に角僕は極く幼少い時分から、家の書生やら近所の者なぞから、父と云ふ人は非常にえらい﹅﹅﹅先生だと云ふ事を、何時となく耳にして居たが、然し如何いふ譯で、何れほどえらい﹅﹅﹅のか知らないから、自分も此の儘大人になれば、自然と先生になれるものだと思つて居た。ところが、たしか高等小學に進む時だつたよ。其の頃から數學が出來なくつて、殆ど落第しかけた時、學校の敎師から恁う云はれた事がある。君のお父樣は世間も知つての通り法律の大學者だ。餘程勉强なさらないと君ばかりではない、父上のお名前にも關はります。家へ歸ると無論學校から注意書が廻つて居たので、母親から叱られる。父親からは懇々と云訓され、每夜十時まで學課の復習をしろとの事であつた。

僕は頑是ない子供心に、始めて自分は學問が出來ないのだと氣が付いて見ると、もうひどく氣が挫けて了つて、其の後一二週間ばかりと云ふものは家の書生なぞに顏を見られるのが辛くて堪らない………あまり外へも出ずに部屋へ引込んで、父から云はれたやうに夜晚くまで勉强はして居たが、何時とはなく、自分はもしやこんなに勉强して居ても、父のやうにえらく﹅﹅﹅なれなかつたら如何しやうと、子供心に自分の將來が無暗と心細く思はれる事があつた。この心配―――將來の憂慮だね、此れがつまり僕の精神を腐らして了つた蟲だと云つてもいゝ。僕は小學から尋中じんちゆうへと次第に進んで行くにつれて學問は增々むづかしくなる。一方では父の名望地位はいよ〳〵上る。昔父の玄關に居た學僕が學士になつて禮に來る。僕は唯意氣地なく小く見えるばかりだ。すると、家の書生や親類なぞは誰が云出すともなく、僕はやがて父の家を繼ぐ時分には父のやうな法律の大學者になるだらうと云ふし、僕自身も又是非さうなるべき責任があるやうにも思ひ、又心からなつて見たいとも思ふ。思へば思ふほど氣にかゝつて來るのは自分の實力で、僕は父の云はれる事がしみ〴〵身にこたへる度々、とても僕は駄目だ………と譯もないのに獨りで絕望して居た。

然し無論これは世間も何も知らない子供心の事で年を取れば次第に氣も大きくなる。と云ふものゝ、子供の時に感じた事は一生忘れるものぢや無い。僕はやつとの事で入學した高等學校は退校されて、少し自暴になつた擧句、アメリカへ送られてからも矢張さうだ………折々父の手紙にでも接すると、父はこれほど深切に自分を勵ましてくれるが、果して自分は學術に成功する才能があるのか知らと云ふやうな氣がしてならない。やつて見れば譯なく出來る事でも僕は自分のイマジネーシヨンで、何時も駄目だと締めて了ふ。

かう云ふ絕望の最中、まア想像したまへ。僕はふいと送金が延引した爲めに、云はゞ一時家との關係が中絕して了つたのだらう。故郷へ錦を着て歸るべき責任がなくなつた―――何と云ふ慰安だらう。もう死なうが生きやうが僕の勝手次第。死んだ處で嘆きを掛ける親が無ければ、何と云ふ氣樂だらうと云ふやうな氣がしたのさ。」

彼は語り疲れて少時默つた。

「其れで、君はハウス、ウオークと云ふ皿洗ひの勞働を辛抱したんだね。」

「さうだ。送金は程なく屆いた、が、もう時已に晚しさ。僕は二週間ばかり奉公して、食堂の後で皿を洗つて居る中に、すつかり墮落して了つた。君は經驗があるかどうか知らないが、實に呑氣なものだ。それア馴れない事だから、初めは苦しい、情ないやうな氣もする、隨分まごつきもするが、元々大してむづかしい仕事ぢやない。家族が食堂で食事するのをボーイの役目で皿を持つて廻ればいゝのだから、譯はありやしないさ。主人逹の食事が濟むと皿を洗ひ、地下室の臺所へ下りて、コツクの婆に小間使の女と三人、荒木のテーブルを圍んで食事をするのだが、境遇と云ふものは實に恐しいもんさね。皿を洗つて居れば、自然々々と皿洗のやうな根性になつて行くから奇妙だ。朝、午、晚、三度々々食事の給仕をする外に客間と食堂の掃除をするんで、身體は隨分疲勞くたびれるから、手のすいた時と云へば居眠りをするばかり。物を考へたり、心配したりするやうな、つまり頭を使ふやうなことは自然になくなる………其の代り肉慾食慾は驚く程增進して來るものだ。一日の勞働を了つた後の食事の甘い事と云つたらお話にならない。食へるだけ腹一杯食ひ込むと其の後は氣がとろり﹅﹅﹅とし了つて、自然と傍に坐つて居る小間使にからかひ初める。手を握るばかりぢやない、擽つて見やうとして、甚く肱鐵砲を喰ふのだが、其れが又何とも云へぬ程面白い。すると、向うも下女は矢張下女で、怒りながらもつまる處戲はれて見なければ何だか物足りないやうな氣がするのだ。惚れたの何うのと云ふ事はありやア爲ない。下女と下男―――これアもう必然的に結合すべきものだ。」

夜は次第に明けて來た。消え行く電燈と共に見世物小屋の女逹も何時の間にか姿を隱して了つて、四邊は一刻々々薄明くなるにつれて、いよ〳〵寂と物靜かになつて行く………聞えるものは濱邊の砂を打つ波の音ばかり。

「此の如く僕の運命は全く定まつて了つた。僕は一方では以前にも增して、いよ〳〵父に會す顏が無いと良心の苦痛に堪へない、と同時に、一方では此の動物的の境遇がます〳〵氣樂に感じられる。つまり煩悶すればするほど深みへと落ちて行くんで、冬中は彼方此方の家庭へ給仕人になつて働いて步く。夏になつて家族が市中の家を引拂つて避暑地へ旅行するやうになれば、每年此う云ふ夏場を目付けて轉付ごろついて步いて居るんだ。」

「然し、最後には君、どうするつもりだね。」

「どうする………どうするか、どうなるか。」と苦悶の顏色を示したが彼は遂に恁う叫んだ。

「いや〳〵、其樣事を考へない爲に僕は此樣馬鹿な眞似をして居るんだ。自分ながら自分の將來を考へる腦力もなくなつて了ふやうにと、僕は働く、飮む、食ふ、女を買ふ。あくまで身體を動物的にしやうと努めて居るんだ。」

彼は胸中の苦しみに堪へぬかして、自分を置去りにしたまゝ向うの方へと行つて了つた。

せんの旭日が高い見世物の塔の上に輝き初めた―――何たる美しい光であらう。自分は一夜閉込められた魔窟から救ひ出されたやうな氣がして覺えず其光を伏拜んだのである。

(明治四十年五月)

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