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あめりか物語

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寢覺め

洋行と云ふ虛榮の聲に醉ひ、滯在手當金幾弗との慾に動され、名と利との二道をかけて、日頃社内を運動して居た結果、澤崎三郞氏は丸圓會社紐育支店の營業部長とやらに榮轉し、妻子を殘して、一人喜び勇んで米國に旅立つたのである。

然し何事も見ると聞くとの相違で、澤崎は紐育に到着して一ケ月二ケ月位は、何が何やら夢中で暮して了つたが、稍支店内の事情も分り市中の往來も地圖なくして步ける程になると、追々に堪へがたい無聊を覺え出した。

電話の應接と其の暇々に英文書狀の整理を手傳ふだけの事であるが、彼は一ツ〳〵云聞す中にも此れからは每日此の若い女を我が傍に置いて我が事務を手傳はすのかと思ふと、妙に嬉しいやうな氣がして、かの皺だらけの半白な眼鏡をかけた以前の老婦人が居た時に比べると、事務室全體が明くなつたやう。

然し澤崎は此の心持をば如何なる理由とも知らず、又知らうとも思はなかつた。もと〳〵其の妻は世俗の習慣に從つて娶つた下女代り、其の家は世間へ見せる爲めの玄關、其の子は生れたるによつて敎育してある………と云ふのに過ぎぬので、其の妻、其の家の爲に思惱むなぞは如何にも女々しく意氣地なく感ぜられてならない。殊に煩悶だの、沈思だのと、内心の方面に氣を向ける事は男子の耻と信じた過渡期の敎育を受けた身は猶更の事、彼は遂に自ら大笑一番して、いや此樣妙な心持になるのも、つまる處女に不自由してゐるからだと我と我身を賤しく解釋して僅に其の意志の强さに滿足しやうとした。

澤崎は餘りの意外に、遠慮なく其の名を呼び掛けて進み寄つた。

澤崎は譯もなく柳町か赤城下の街あたりのさまを思ひ浮べて、佇立むともなく唯ある露店の前に佇立んだ途端に、其の傍の戶口から出て來た一人の女―――見れば思掛けないかのデニングである。

澤崎は詩も歌も知らない身ながら、美しい若葉の夜の何となく風情深く、人なき腰掛に手こそ取らね、女と居並んで話をして居る事、それだけが非常な幸福の如く感ぜられて、話の材料なぞは一向選ぶ處ではない。

澤崎は米人の多忙を模して、何時も新聞は手にしながらも車の混雜に若い賣娘やオツフイース娘なぞが遠慮なく自分の右と左にぴつたり押坐り、車の發着する度々の動搖に柔い身體を觸合す。其れのみか次第々々に身の暖氣あたゝかさを傳へて來ると、もう細い新聞の活字なぞは見えなくなつて、彼は突然足の指先に輕い痙攣を覺え頭髮かみのけの根元にかゆさを感じ、やがて身中全體を通じて一種の苦悶を覺える。空氣は地の下の事とて車中の熱鬧ねつたうに肉食人種特有の腋臭わきがの臭氣を加へて一層重苦しく、不良の酒のやうに絕えざる車體の微動につれて人を醉はす。澤崎は熱に病むが如く恍惚となつて、若し此の上、十五分間と車中に坐つて居たなら我知らず隣席となりに坐つて居る女の手でも握りはせぬかと、危く自制の力を失ひかける其の刹那、車は幸ひにも、いつも彼が下車すべき停車場に着く。彼は狼狽て車を飛出し冷い外の空氣にハツと吐息を漏すのである。

朝九時から午後の五時まで事務所に働いて居る中はよいが、さて事務所がひけると紐育は廣いけれど澤崎は何處へも行所ゆくところがない。學校を出立ての若い書記クラーク供ならば一夜の馬鹿話にうさ晴しも出來やうが、營業部長といふ稍地位もある身になつては外面の體裁が氣にかかり、さう相手選ばすに冗談も云へぬ。西洋人が夜を探して遊ぶクラブやホテルへ行つて交際すれば外國の事情を知る上からも有益であるとは知つて居るが、此方面は經濟上から門口へも寄り付けぬ譯。さらば靜かに讀書でもしやうか、と云つて旣に學校を出た後、幾年浮世の風に吹きさらされた身は新思潮新知識に對する好奇の念漸く失せて、一時は一寸珍らしく感じた外國の事情さへ其程までにして硏究する勇氣はない。

成程、女に不自由して居るのは事實である。紐育に來て以來時には日本人同士の宴會の歸りなぞ、こつそり遊びに行く事はあつても、いつもジヤツプと見くびられて現金引換通一遍の待遇もてなしに長くは居堪らず、每夜睡る我が寢床は要するに我が身一人より外に暖めて吳れるものは無い身の上。紐育中今は何處に行つても目につくものは來た當座驚いた二十階の高い建物ではなくて、コーセツトで胸を締め上げた胴の細い臀の大きい女の姿ばかり。其の步き振から物云ふ風まで憎いほど思はせ振りに見えてならぬ。

恁う切出されてはいやとも云へず、女は其の儘澤崎と連れ立つて、何處と云ふ目的もなく並木の植つた廣いブロードウヱーの方へ步いて行つた。ブロードウヱーも大分北へ寄つた此の邊になると兩側とも靜なアツパートメントハウスばかりで、人通も激しからず建物の間々からはハドソン河畔の樹木と河水が見える。

彼は自ら其の弱點をぢ又憤り、時にはウヰスキーを引掛けたり時には冷靜に事務の事に心を轉じて見たりするが、然し此の寂寞無聊の念は更に去らず、何處か心の一部に大な空洞うつろが出來て其處へ冷い風が吹込んで來るやうな心持がするのである。

彼は每日事務所オツフイースに行く爲め地下電車に乗つて、下町ダウンタウンと稱する商業區域と住宅ばかりある靜な上町アツプタウンとの間を往來して居るのであるが、朝の九時頃と午後の五時頃と云へば、殆ど紐育中の若い男や女が何れも此の時刻に往來すると云つても可い位なので、車中の混雜は一通の事ではない。

彼は全く失念して居たのだ。實は昨日限り長らく此の事務所で電話の取次などして居た五十近い老婦人が都合あつて辭職した處から、其の後任として新聞の廣吿によつて此の若い女を雇入れたので、今日から事務を引繼ぐ爲めにと彼の命令と說明を待つて居たのである。

彼は今更らしく幾度ともなく何とか方法を付けねばならぬと云つて居るが、差當り何うする道もない。室借をして居る家には年頃の娘もあり、鳥渡小綺麗こいきな下婢も居るが、要するに事が面倒である。若い會社の書記ども同然にさう屡遊びに行くのも餘りに馬鹿々々しい。つい其れなりになつて、もう彼此れ一年半、渡米以來二度目の春が廻つて來て公園の森に駒鳥の集ふ五月となつた。

彼は事務を取つて居る最中にも五分と其の橫顏から目を放す事が出來ない。年は二十六七にもならう。小肥こぶとり身丈せいは高からず容色も十人並ではあるが、黑い頭髮かみを眞中から割つて鳥打帽でも冠つたやうに頭の周圍へ卷返し、上から下まで出來合の勸工場もので小綺麗に粧つた姿は品格の無い處が、乃ち重なる魔力となつて、往來なぞで一寸摺違つた男の目にも長く記憶されると云ふ其の模型タイプの一例である。澤崎は何かにつけて話をしかけ、早く懇意に打解けて見やうと勤めたが、女は日本人の會社には初めての奉公、萬事に氣の置ける爲めか、一日金米糖キヤンデーを口に頰張り相手構はずに笑つて暮す例のオツフイースガールには似も寄らず、至つて無口で、僅に其の名をミセス、デニングと云ひ、一年ほど前に寡婦になつて今は一人下宿住ひをして居るとばかり。折々は何か物思はしく頰杖をして居る事さへある。

彼はいまゝで此れ程に春の力を感じた事は無い。輕い微風は肺に浸渡つて身をくすぐるやうに思はれ、柔い日光は皮膚に突入つて血を燃す。晴渡つた靑空の下を步いて居る街の女は何れも此れも皆自分を惱す爲めに厚い冬衣を捨てゝ、薄い夏衣の下に見事な肉付を忍ばせ、後手に引上げた輕い裾からはわざと自分を冷笑する爲めに絹の靴足袋を見せるのかと思はれた。

女も一方ならず驚いたが、まさかに逃げ隱れも出來ないので、止むなく其の場に立竦んだものの、顏を外向けて何とも云出し兼ねて居る。

女は聞えぬ風で默つて居たが稍決心したらしく、

女は答に窮したらしく默つて俯向いた。澤崎は更に、

四邊はもう夜である。明いやうで暗く暗いやうで明い夏の夜である。二人の坐つて居るベンチの後から大きな菩提樹の若葉が、星の光と街燈の火影を遮つて、二人の上に濃い影を投げて居るのに、女は稍安心したらしくそつと男の樣子を覗つた。

其の朝彼は殊更に地下鐵道内の混雜を恐れ、わざ〳〵遠廻りまでして、餘り混まない高架鐵道線によつて會社へ出勤し、自分の机の置いてある支配室へ這入つたが、すると片隅の椅子に見馴れぬ若い西洋婦人が自分の出勤を待つものゝ如く坐つて居るのに胸を躍らせた。

其の日の夕暮、彼は晚餐後に何かの用事でアムステルダム通と云つて長屋續きの見付の惡い小賣店ばかりに、路幅は廣いが如何にも場末の貧乏街らしく見える大道を行き掛けた時である。風の無い蒸暑い五月末の黃昏、街燈に火は點きながら、四邊は紫色にぽつと霞み渡つた儘まだ明い。其の邊の開け放した窓や戶口からは、無性らしく頭髮を亂した女房や、服裝の汚い割りに美しく化粧した娘の顏が見え、八百屋だの果物屋だのが露店を出して居る往來端では子供や小娘がワイ〳〵云つて遊んで居る。

停車場のプラツトホーム每に、人の山をなした男女は列車の停るか停らぬ中に、潮の如く車中に突入り、我先にと席を爭つて、僅に腰を下し得たものは、一分の猶豫もせず直樣手にした新聞を讀みかける。席を取り損ねたものは或は釣革にぶら下り或は押しつ押されつ人の肩に凭掛つて男女の禮儀作法を問ふ暇もなく無理にも割入つて腰を掛けやうと、互に其の隙を覗つて居る。

一町ほど步いて樹の下のベンチに腰を下した。少時は無言で黃昏から夜にと移行く河面の景色を眺めて居たが、澤崎は忽ち思出したやうに、

やがて一週間ばかりも經つたが、女は一向物馴れた樣子も見せず、朝は往々出勤時間に後れて來る事もあり、遂に先週の末頃からは病氣とやらで缺勤し初めた。澤崎は何となく殘念な氣がして成らぬ。病氣とばかりで未だ止めるとは云つて來ぬが、矢張見知らぬ日本人の中で働くのが厭なのであらう………その中に何とか云つて來るであらうと、澤崎は次の週の月曜日一日待つて其の次の火曜日をも空しく過した。

で、日一日三月半年と經てば經つほど、日常生活の不便と境遇の寂寥とを感ずるばかり。時々は堪へられぬ程朝風呂に這入つて見たい氣がしたり、鰻の蒲燒に一杯熱いのを引掛けて見たくなつたり、兎角故郷の事ばかりが思出される。故郷には何でもはい〳〵と云つて用をする妻もある。一時は内所で圍者を置いた事もある。其樣事を思起すと今年四十になる好い年をして、何一ツ不自由のない日本を出て來た事が、何とも云へぬ程愚らしく感ぜられ、忙しい會社の事務を取つて居る最中にも、或は疲れて眠る夜中にも折々影の如く烟の如く何やら譯の分らぬ事が胸の底に浮び出て、ハツと心付いてわれに返ると、急に全身の力が拔けて了つたやうな物淋しい心地になるのであつた。

「私、實はもうお斷りしやうかと思つて居りました。」

「病氣の時はお互に止を得んです………どうです、散步にでもお出掛の處ぢや無かつたんですか、御迷惑でないなら御一緖に其の邊までお伴しませう。」

「然し私の事務所なぞは仕事と云つても大して面倒な事はなし、西洋人の女もあなた一人で、別に交際もいらず………何にか御辛抱が出來さうなものですがね。」

「此の邊にお住ひなんですか。」

「明日はもう何うです。會社へは………。」

「明日あたりは會社へお出になりますか。」

「御病氣は………もう能御座んすか。」

「定めしお急しい處を、濟みませんでした。」

「其れぢや事務には隨分馴れておいでなさる譯ですな。」

「全くで御在ますよ。あなたの事務所位結構な處は、紐育中どこにもありやしません。ですから私も是非御世話になりたいと思つて居たんですが、每朝つい………。」と云つて女は覺えず口を噤み其の頰を赧めた。

「保險會社へ出て居りましたんです。」

「オツフイースなぞへ働きにお出でなさるのは此度が始めてゞすか?」

「はい、此の三階に部屋を借りて居ります。」

「はい、御庇樣で………」

「どう云ふ御病氣です………。」

「どうです、河端まで行つて見ませう、あの眞靑な木の葉の色はもうすつかり夏ですな。」

「どうしまして。」と强く打消して、「矢張病氣の所爲ですか、どうも氣が引立ちませんから。」

「どうしてゞす。何か御不滿足な………。」

「いえ、初めてと云ふ譯でも御在ません。結婚します前は長らく方々の商店や會社に通つて居りました。」

「いえ、不可せんです。結婚しましてから丁度三年ばかりは、とんと外へも出ず、家にばかり居たものですから、つまり怠け癖が付いて了つたんですね。夫が死亡ましてからは復た元の樣に働きに出なければならない譯になつたのですけれど………もう何ですか、根氣が失りましてね。」と淋しく笑ふ。

「あなたのお連合は何をなすつていらしつたんです。」

「お淋しいでせうね、何かに付けて。」

「えゝ。もう………一時はどうしやうかと途法に暮れてしまひました。」

川風が靜に鬢の毛を撫る度々四邊には若葉が囁く。近くの家で弾く洋琴ピアノの音も聞える。女は何時となく氣が打解けて來ると、何と云ふ譯もなく、日中は親しい友逹にも云兼る樣な身の上の話が相手選ばずにして見たくて堪らなくなつた。優しい夏の夜の星に身の上をかこつとでも云はうか………。腰掛の背に片肱をつき獨語のやうに、

良人たくの居ます時分はほんとに面白う御ざいました。」

澤崎も已に一年以上此國に居る身とて何時となく西洋人が露出むきだし癡話のろけには馴れて居た。

「さうでしたらうね。」と如何にも眞顏に相槌を打ち、「どうして御結婚なすつたんです。」

「それは私も彼人も下町の會社へ行く時、每朝同じ電車に乗合はせたのがもとで土曜日や日曜日每に遊びに出る………ぢきに話がついて一緖になつたのです。良人やどは少し貯金が出來るまでは從前通り夫婦共稼ぎをした方がと申したんですけれど、私はもう朝早くから起きて夕方までキチンと椅子に坐つて居るのがいやで〳〵………實は其れが爲め一日も早く深切な人を見付けて賴りにしたいと思つて居た位なんですから、到頭我儘を通して了ひました。私には全く朝眠いのを無理に起る程辛い事はありません。まして寒い時分なんか、暖い蒲團の中から起出して顏を洗つたり衣服きものを着たりするのは、眞個ほんとうに罪です。仕方がないもんですから、良人は每朝、私を寢床の中に置去りにして出て行きましたが、私は其の代り土曜の夜になつたからつて、紐育の女のやうに、是非芝居へ行か無ければならないと人樣に散財は掛けません。每朝晚く起きて一日家にばかり居ますと、さア芝居へ行くのだと云つて、わざ〳〵衣服を着かへたり、何かするのがおつくう﹅﹅﹅﹅になりましてね、却て長椅子へでも凭掛つて小說を讀んで居る方が幾何いくらましだか知れやしません。ですから良人うちのひとも仕舞には結句お金がいらなくていゝと云うて居りました。」

澤崎は餘り奧底なく話されて少しは辟易しながらも、猶話を絕すまいと相槌を打つ。此方は唯さへ饒舌おしやべりな西洋婦人いよ〳〵圖に乗つて、

「其ればかりぢやない、良人は恁う云ひますの………お前は髮を綺麗に梳上たり、衣服をキチンと着たりするよりも寢起のまゝの姿が一番美人に見えますツて………ほゝゝゝほ。私は人を馬鹿にするつて怒りましたら、良人は眞面目らしく、お前は亞米利加の女見たやうに働く爲めに出來たのぢや無い。土耳古か波斯ペルシヤの美人のやうに薄い霞のやうな衣服を着て大きな家の中で泉水へ落る水の音に晝の中もうつとり﹅﹅﹅﹅と夢を見て居る女だつて、さう申すんでした。」

猶もつまらぬ事をあれやこれやと話し續けて居たが、軈て思出したやうに、「もう、何時でせう。」と時間を訊きそれを機會しほに立上つた。澤崎も今は引止め兼て、

「其ぢや明日は………まあ兎に角事務所へ出ていらつしやい。待つて居ますから。」

其の儘別れたが、いざ翌日になると、待つかひもなく、女は病氣を云立てゝ是非にも辭職する旨をば電報で云越した。

何と云ふ我儘………日本人と見て馬鹿にする、と在米日本人の常として、直樣妙な愛國的ひがみ根性こんじやうを出し澤崎は大に腹を立てたが、喧嘩にもならず間もなく後任として、今度は十五六の小僧を雇入れたが、さて五日、十日と經つて見ると、去る夏の夜ハドソン河畔の腰掛に話しをした一條は自分の身にはあるまじき小說のやうな心地がし出す。殊に女の口づから良人に別れて淋しい身の上を嘆ち、遂には其の寢起の姿までが如何のかうのと、女の身にしては祕密と云つても可いやうな事を包まずに打明けてくれた。それやこれやと思合すと女は謎を掛けて自分をいざなつたのであるとしか思はれぬ。折角の機會をば氣の付かぬばかりに取逃してしまつたのかと思へば、遺憾の念は一層深く忽ち何處やら身内の肉をむしられるやうに氣が焦立つて來て、澤崎は或晚一人こつそりと、かのアムステルダム通りに赴き見覺えて居た建物の三階に上つて、それらしい戶口を叩いた。

顏を出したのは胴衣ちよつき一枚の職人らしい、五十ばかりの大男で、食事をして居た最中と見えて、髭の端にパンの粉をつけた儘口をもぐもぐさせて居る。

「ミツセス、デニングと云ふのは此方ですか。」

訊くと大男は忽ち廊下の方を振向き大聲でその女房らしい女の名を呼び、「おい、又誰れか、彼の尼ツちよを訪ねて來た、お前、何とか云つて見てくんねえ。」

今度は目のしよぼ﹅﹅﹅〳〵した顎の突出た婆が現出て、胡散らしく澤崎の樣子を打目戍つて居たが漸くに、

「お氣の毒さまですが、あの女はもう家には居りませんですよ。昨日の朝、店立たなだてを喰はしてしまつたんで。お前さんは矢張何か彼女あれのお身寄りですかい。」

譯は分らぬが如何にも憎々しい物云振り。澤崎は當惑しながらも、僅に沈着おちつきを見せて、「私は彼の女を雇つて居た會社の支配人ぢや………。」

「へゝえ。」

「病氣とばかりで一向出勤せんから、鳥渡樣子を見に來たんぢやが………店立を喰したとは又何う云ふ譯だね。」

「旦那、其れぢや貴君も一杯喰された方なんですね。」と婆は俄に調子を變へて問ひもせぬのに長々と話し出す。

「旦那、あんな根性の太い奴はありやしません。以前御亭主を持つてる中は、二人で此のつい上の五階目に暮して居たんですがね、一日女郞ぢよろの腐つたやうな亂次だらしもない風をして、近邊の若い女房さん逹は其れ〴〵商店へ出るとか、又は家で手内職をするとか、皆精一杯に稼いで居るのにあの女ばかりは手前の家一ツ掃除もしないで野良野良暮して居たんでさ。其の中につい一昨年の暮、急病で御亭主が死んだとなつてからはもう何うする事も出來ない。五階目の室は家賃も高し、一人では廣過るツて云ふので、丁度私の宅に明間があつたのを幸ひ、其れなり此處へ引越して來たんで。最初半年ばかりは何程か貯金もあつたと見えて、几帳面に室代だけは拂つてくれましたがね、其れからは段々と狡猾ずるくなつて此の次〳〵と延し初めた。其ればかりぢや無い。隨分といゝ働き口があつても二週間か三週間で、すぐ飽きてしまつて、此方から止めてしまふと云ふ始末ですもの。此の分で行つたら到底家賃の貸は取れない、と實は心配しながらも、まさか御亭主の居る時分から知つて居る中ぢや、さう因業にも出られないんで困り切つて居たんでさ。」

「ところが到頭一昨日をとゝひの夜の事つた。」と今度は傍に立つて居た職人らしい亭主が話を引繼いだ。

「一昨日の夜到頭金に困つて來たと見えて、何處からか男を喰へ込んで、己の家を體のいゝ地獄宿にしやがつた。其の前からもちよいちよい怪しい風は見えたんだが、證據が無えから默つて居たんで、一昨日の夜は一時二時と云ふ眞夜中、並大抵の友逹の來る譯が無え、己の處は恁う見えても、腕一ツで稼ぐ職人の家だ、地獄の宿は眞平だ、家賃の貸も何にも要らねえから………と目ぼしい衣服と道具を質に取つて其の朝早々追出してしまつた………。」

「何處へ行つたか知らないかね。」と澤崎は覺えず嘆息した。

「知るもんですか。大方夜になつたら其の邊の酒屋でも彷徨いて居ませうよ。」

澤崎はすご〳〵階段を下りて外へ出たが、女の墮落した一條を聞知るにつけて一層の遺憾を覺え、何故あの時さうと氣付かず、見す見す機會を逸したのであらうと靴で敷石を踏鳴し齒を嚙締めた。

何にもよらず逸した機會を思返すほど、無念で寢覺の惡いものはない。彼は時を經折に觸れて彼の女の事を思起して居たが、遂に再會する機會なくやがて在留三年となつて、歸朝の時節も早や二週間ほどに迫つて來た。

で、多分送別の意か何かであつたらう、彼は能く花骨牌はながるたを引き馴れた二三の日本人と倶樂部の一室で正宗まさむねを飮んだ時、或る日本雜貨店の支配人で、故郷には娘もあり孫もありながら頻と美人寫眞の蒐集コレクシヨンに熱心して居る紳士が、醉つた末の雜談に此れは近頃さる處で手に入れた天下の逸品だと自慢で示す二三枚の寫眞。

澤崎は何氣なく眺めると何れも厭らしい身の投げ態に樣子を變へて居るが、顏は見忘れぬ彼のデニングと云ふ女である。

あゝ、さては彼の女、樂して儲ける家業の選みなく折々は寫眞師のモデルにも成ると見える。彼は再び例の遺憾千萬に身を顫したが遂に運拙くして再會の機なく其の儘歸國して了つた。

以後澤崎三郞氏は人から米國に關する其の意見を訊かれる時は何によらず、必ず次の如き論斷を以て話を結ぶのであつた。

「つまり米國ほど道德の腐敗した社會はない。生活の困難な處から貞操なぞ守る女は一人もないと云つて可い位だ。到底士君子の長く住むに堪へる所では無いです。」

(明治四十年四月)

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寢覺め