タコマに滯在して居た時分、その年も十月の確か最終の土曜日であつた。
秋は早や暮れ行くので、往來の兩側に植ゑられた
私等は鐵の門前を過ぎる一條の砂道をばゆる〳〵と自轉車を進ませ、もと來た牧場の方へと下りて行つた。友は色々說明したついでに、
白いペンキ塗の低い垣で境された廣い構内は、人の步む道だけを殘して、一面に靑々とした芝生が其の上に植ゑられた枝の細い樹木や色々な草花と相對して目も覺めるばかり
此處で過分な周旋料を拂はせられた後妻は市中の洗濯屋に働き男は市からは十哩ばかり離れた山林の
此の時友は
暫時は事もなく、彼は幸福に妻と共に其の日を送つて居たが、丁度今日は日曜日と云ふのに朝から雨が降出し、一同は外へ遊びにも出られず、一日小屋の中で酒盛りを始めて、飮むやら唄ふやら、何時しか夜も晚くなつた。最う寢床へ行かうと云ふ時になると、彼男は座を立ちかけた新參者をば、
新參の彼は眼に淚を浮べて居た。と云ふものゝ今の身分では如何する事もできない。以前の男は他の仲間二人と暫く顏を見合して何やら互に合點したやうに目と目で頷付き合ひながら、
恁う云はれたが、然し彼は此の意見に對して同意する力も無ければ、又不同意を
彼等は外國で三年の辛苦をすれば國へ歸つてから一生樂に暮せるものとのみ思込んで、先祖が產れて而して土になつた畠を去り、
彼等は人間としてよりは寧荷物の如くに取扱はれ狹い汚い船底に満載せられてゐた。天氣の好い折を見計つて彼等は
小屋を蔽ふ
友はとある木蔭に車をよせて休息するのを幸ひ、私は近寄つて、
出稼ぎの勞働者と云ふ一語は又しても私の心を動さずには居ない。思返すまでも無く、過る年故鄉を去つて此の國に向ふ航海中、散步の上甲板から、彼等勞働者の一群を見て、私は如何なる感想に打れたらう。
何事もないやうに云つたが、私には此れが非常な事件である樣に思はれた………同時に友は、
仕事から歸つて來ると、寂しい此の小屋の中で、新參の彼は三人の仲間から問はれる儘に色々と身上話をする………と親方らしい一番强さうな男が眼をぎら〳〵さして、
一體日本の農夫が渡米の野心を起す最大の原因は新歸朝者の誇大な話を聞く事であるが、彼も正しく其の中の一人であつた。彼は蕎麥の花咲く紀州の野に住んで居たが丁度その村へ十五年目で
タコマ
その頃には丁度シアトルやタコマへ日本人が頻と移住し始めた當時のことで、今日のやうに萬事が整頓して居ないから、種々の罪惡が殆ど公然に行はれて居た。カリフオルニヤの方から彷徨つて來た無賴漢や、何處の海から流れて來たのか
「鳥渡お願ひがあるんだ。」
「相談するのに笑ふてえ奴があるかい。」と今度は他の一人が「どうだい、兄弟の
「皆な出稼ぎの勞働者さ。」と付加へた。
「物は相談だ。どうだい。不承知なんかね。不承知ならまアいゝや。然し能く考へて見な。此の山ン中で、四人此うして働いて居てよ。お前一人好い目をして居るからつて、其れでお前は氣が濟むのか。能くある事ツた、風の吹く晚に山火事が起つたら、乃公逹四人は死なば一緖だ―――一人ぼツち仲間を置き去りにして逃げる譯にも行くめえ。本部からまかり間違つて食料が屆かない事でも有りやアお互に食ふものも半分づゝ分けなきやアなるめえ。人間は皆な兄弟分。自分ばかりが好きやア其れで好いと云ふもんぢや無えんだぜ。乃公逹はな、此のアメリカへ來てからもう五年になるんだが、たまに一遍だつて柔かい手に觸つて見た事もねえんだ。お前の寶物は誰のものでも無え、チヤンとお前樣の物だと云ふ事は分つて居らア。だからな、乃公逹はそれを無理無體に
「歸り道に此の山の上の
「此うしたら如何だね。一
「早い話しがよ。お前は乃公逹の持つて居ねえものを持つて居るから、それを分けてくれと云ふのよ。」
「外でも無い。今夜一晚嚊を貸して貰ひてえんだが………。」
「嚊アをシアトルへ置いて來たツて………まア何て云ふ不用心な事をしたもんだ。」と如何にも驚いたやうに、大聲で他の仲間を見廻した。
「君は知つて居るかね。どうして狂氣なぞに成つたのだらう。」
「出來ねえと云ふのかね。其れア表向は何うか知らねえが、此の山の中の一軒家で、日本人は
「全くさね。用心するがいゝよ。」と他の一人が付加へた。以前の男は暫く無言で、泣き出しさうな顏をして居る新參者の様子をば上目でぢろ〳〵見遣つて居たが、大きなパイプで煙草を一吹しながら、
「僕も人から聞いた話なんだが………いくら日本人の社會が無法律だつたからツて、此れなんぞは隨分激しいと云つていゝね。もう六七年前の事だつて云ふ話だが………」と友は
「何ぼ何だつて、其樣事が………。」
「何です。」
「何です。」
「乃公の云ふのは然うぢや無え。それアお前さんの云ふ通り稼ぎに來たからにや其れ位の覺悟は無くちやならねえが、女一人をシアトルへ置くなア、
「へーえ。どうして。」
「はゝゝゝは。」と新參者は餘儀なさゝうに笑つた。
「はゝゝゝは、大變醉ツてるね。」
「どう云ふ話だ。」
「だつてお前さん、此の國へ來たからにや稼ぐのが目的だから、嚊と別れて居る位な事は覺悟の上だア。」と新參の彼は然し悲しさうな調子で云ふと、彼男は續いて、
「この癲狂院には日本人も二三人收容されて居るよ。」
「この國へ來たら、何樣
「お前さん、まだ來たてだから知らねえのも無理は無え。シアトルてえ處は………シアトルばかりにや限らねえ、此のアメリカへ來た日にア、何處へ行つたつて女一人を安隱にさしとく處はありやアしねえ。まア
「おい。醉つて云ふんぢやねえ。冗談でも無い、洒落でもない。相談するんだが、どうだい。」
「おい、鳥渡相談があるんだ。」と呼び止めて他の仲間と目を見合せた。
「あの………勞働者のことかね。」と友は暫くした後初めてその意を得たものゝ如く、「大槪は先づ失望と云ふ奴が原因になるんだが、一人はそればかりぢや無い………實に可哀想な話さ。然しさう云つたやうな話はアメリカには珍らしく無いよ。」
「…………………」
「どうだい。話が分つたら、早く返事を聞かうぢや無えか。」
男は死んだ人の如く眞靑になり總身をぶる〳〵顫すばかり。女はその足許に泣き倒れて早や救を呼ぶ力さへ無い。
風雨は猶盛に人なき深山の中に吠狂ふ。やがて小屋の中には一聲女の悲鳴。……それを聞くと共に男は失心して其の場に倒れて了つた。
彼は蘇生したが、それなり氣が狂つて再び元の人間には立返らなかつた、彼は
* * * *
私は殆ど茫然として了つた。友は早や草の上に橫へた自轉車を引起し、片足をペダルに掛けながら、
「然し仕方がないさね、然う云ふ運命に遇つたのが不幸と云ふより仕樣がないさね。我々は自分より强いものに出遇つたら、何をされても仕方がないよ。」と云つて二三間車を
一人彼は愉快さうに笑つて、夕陽の光眩き牧場をば、一散に車の速度を早めたので、私は無言の儘彼に遲れまじと、頻にペダルを踏みしめた。
何處からともなく野飼の牛の頸につけた鈴の音が聞える。南の方ポートランド行の列車が野の端れを走つて居る。
(明治卅七年一月)