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あめりか物語

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牧場の道

タコマに滯在して居た時分、その年も十月の確か最終の土曜日であつた。

秋は早や暮れ行くので、往來の兩側に植ゑられたメープルの並木を初め公園や人家の庭に、一夏の涼しい蔭を作つた樹木と云ふ樹木は、昨夜の深い霧で大槪は落葉して了つた。このタコマのみならず米國の太平洋沿岸はもう一週間を過ぎずして、所謂いはゆる悲しい十一月ノーベンバーの時節となつたならば、每日霧と雨とに閉されて來年の五月になるまで、殆ど晴れた空を見る事は出來ない。今日の晴天は恐らく今年の靑空の見納めであらうと云ふ。私は此の地の風土や事情に通じて居る或友に勸められて、とも〴〵此の一日を晚秋の曠野プレヤリーに自轉車をはしらせる事にした。

私等は鐵の門前を過ぎる一條の砂道をばゆる〳〵と自轉車を進ませ、もと來た牧場の方へと下りて行つた。友は色々說明したついでに、

白いペンキ塗の低い垣で境された廣い構内は、人の步む道だけを殘して、一面に靑々とした芝生が其の上に植ゑられた枝の細い樹木や色々な草花と相對して目も覺めるばかり鮮明あざやかな色彩を示して居る。裏手の方には宏大な硝子張の溫室の屋根が見え、小徑の所々には腰掛ベンチ、廣場の木蔭には腰掛付の鞦韆ぶらんこなぞも出來て居たが、見渡す限り深閑として人の氣色けはひも無い。

此處で過分な周旋料を拂はせられた後妻は市中の洗濯屋に働き男は市からは十哩ばかり離れた山林の木伐きこりに雇はれる事となり、晝も猶薄暗い林の中の一軒家に送り込まれた。此處には三人の日本人が同じく木伐となつて寢起して居たが、其の中の親方らしい一人が、「知らねえ國へ來たらお互が賴りだ。此れからは皆な兄弟のやうにして働かうよ。」と云ふので、彼も殊の外安心して、每日仲間と共に西洋人の親方に監督ボツスされながら、一心に働いて居た。

此の時友はう云つたので、私は彼の後に續いて後の丘陵へ上ると、遠くの彼方には氣も晴々する牧場を望み、近くは幽邃いうすゐな林を前にして、宏莊な煉瓦造の建物が、直ぐ樣其れと知られるのであつた。

暫時は事もなく、彼は幸福に妻と共に其の日を送つて居たが、丁度今日は日曜日と云ふのに朝から雨が降出し、一同は外へ遊びにも出られず、一日小屋の中で酒盛りを始めて、飮むやら唄ふやら、何時しか夜も晚くなつた。最う寢床へ行かうと云ふ時になると、彼男は座を立ちかけた新參者をば、

新參の彼は眼に淚を浮べて居た。と云ふものゝ今の身分では如何する事もできない。以前の男は他の仲間二人と暫く顏を見合して何やら互に合點したやうに目と目で頷付き合ひながら、

恁う云はれたが、然し彼は此の意見に對して同意する力も無ければ、又不同意をとなへる資格もないのである。萬事は直ぐ樣彼男の云ふが儘になつた。乃ち次の日に、彼は彼男と共に市中まちに出て妻を連れて林の中の小屋に歸つて來たのである。

彼等は外國で三年の辛苦をすれば國へ歸つてから一生樂に暮せるものとのみ思込んで、先祖が產れて而して土になつた畠を去り、伊太利いたりやの空よりも更に美しい東の空に別れ、移民法だの健康診斷だのと、いろ〳〵な名目の下に行はれる幾多の屈辱を甘受して、此の新大陸へ渡つて來るのである。然しこの世は世界の何處へ行かうとも皆な同じ苦役の場所である。彼等の中の幾人が其の望みを逹し得るのであらうと、色々悲しい空想の湧起るにつれて、私の目には今まで平和と靜安の限りを示して居た行手の牧場は、忽ち變じて云はん方なき寂寥を感ぜしめ、松の森林は暗澹として奧深く、恐怖と祕密の隱家である樣に思はれた。

彼等は人間としてよりは寧荷物の如くに取扱はれ狹い汚い船底に満載せられてゐた。天氣の好い折を見計つて彼等はむく〳〵﹅﹅﹅﹅甲板へ上つて來て茫々たる空と水とを眺める、と云つて心弱い我等の如く別に感慨に打るゝ樣子もない。三人四人、五人六人と一緖になつて、何やら高聲に話し合つて居る中、日本から持つて來た煙管で煙草をのみ、吸殻を甲板へ捨て、通り過ぎる船員に叱責せられるかと思ふと、やがて月の夜なぞには、各自めい〳〵生國しやうごくを知らせる地方の流行はやり唄を歌ひ出す。私は彼等の中に聲自慢らしい白髮の老人の交つて居た事を忘れない。

小屋を蔽ふ森林しんりんは雨と風とで物凄い呻り聲を立てゝ居る。

友はとある木蔭に車をよせて休息するのを幸ひ、私は近寄つて、

出稼ぎの勞働者と云ふ一語は又しても私の心を動さずには居ない。思返すまでも無く、過る年故鄉を去つて此の國に向ふ航海中、散步の上甲板から、彼等勞働者の一群を見て、私は如何なる感想に打れたらう。

何事もないやうに云つたが、私には此れが非常な事件である樣に思はれた………同時に友は、

仕事から歸つて來ると、寂しい此の小屋の中で、新參の彼は三人の仲間から問はれる儘に色々と身上話をする………と親方らしい一番强さうな男が眼をぎら〳〵さして、

一體日本の農夫が渡米の野心を起す最大の原因は新歸朝者の誇大な話を聞く事であるが、彼も正しく其の中の一人であつた。彼は蕎麥の花咲く紀州の野に住んで居たが丁度その村へ十五年目で布哇ハワイたうから歸つて來た男があつて、アメリカと云へば金のなる木が何處にも生えて居るやうな話をする處から、ふいと未だ見ぬ極樂へ行く氣になり、殊に女の勞働賃錢は男よりもよいと云ふ樣なことから到頭夫婦連の渡米が實行される事になつたのである。シアトルと云ふ其の地名さへ發音するには舌が廻らぬ程な不知案内の土地へ上陸する。と波止場の上には船の着くのを待つてゐる勞働口の周旋屋、宿屋の宿引、醜業婦密輸入者なぞ云ふ、何れも人並よりは銳い眼を持つて居るてあひが、それ〴〵腕一杯の力を振つて各自の網の中へ獲物をつかみ入れる。彼等夫婦は宿屋の案内と稱する一人の男に連れられて、大きな荷馬車と人相の惡い亞米利加の勞働者が彼方此方にごろごろして居る汚い町から、ある路地に入り、暗い戶口を押明けて、狹い階子段を上るのでは無く、地の下へと下り、薄暗い一室に誘はれた。

タコマ大通アベニユーと云ふ山の手の一本道を東へと走る。この一本道から眺望するとタコマの市街はビユーゼツトサウンドと呼ぶ出入の激しい内海に臨んで著しい傾斜をなして居る處から、無數の屋根と煙筒、廣い埋立地、波止場、幾艘の碇泊船、北太平洋會社の鐵道――全市街は唯の一目にみおろされて了ふ。而して入江を隔てた連山の上には日本人がタコマ富士と呼ぶレニヤー山が雪を戴き巍然ぎぜんとして聳え、夜明の晚い北方の朝日がちやうどその半面を眞紅の色に染めて居る。私等二人は街端の大きなたにの上に架けてある橋を二ツばかり渡り、特別に造られた廣い自轉車道を四まいるばかりはしつて、南タコマと呼ぶ村落を通り過ぎると、直に廣漠たる野原に出た。道の通ずる儘に或ひは上り或ひは下る事恰も波に搖られる船の如く、遂に行き盡してオークの林に這入つた。道は稍險しくなり、此の地方、殊にワシントン州の各所に黑い深い森林を造つて居る眞直な黑松は檞の林に引續いて此處にも忽ち私等の行手を遮つた。私等は漸くに苔むす一條の小道を見出し、その導くが儘に、林間の湖水アメリカンレーキのほとりに休み、更に轉じてスチルカムと呼ぶ海岸の孤村を訪うたのである。

その頃には丁度シアトルやタコマへ日本人が頻と移住し始めた當時のことで、今日のやうに萬事が整頓して居ないから、種々の罪惡が殆ど公然に行はれて居た。カリフオルニヤの方から彷徨つて來た無賴漢や、何處の海から流れて來たのか出所しゆつしよの知れない水夫あがりの親方なぞ、少しく古參の滯米者は、爭つて案内知らぬ新渡米者の生血を吸つたものだ。此う云ふ危險な惡所へと彼―――發狂者の一人は其の妻と二人連で日本から出稼に來たのである。

「鳥渡お願ひがあるんだ。」

「相談するのに笑ふてえ奴があるかい。」と今度は他の一人が「どうだい、兄弟のよしみだ。今夜一晚乃公逹三人に貸して呉れめえか。」

「皆な出稼ぎの勞働者さ。」と付加へた。

「物は相談だ。どうだい。不承知なんかね。不承知ならまアいゝや。然し能く考へて見な。此の山ン中で、四人此うして働いて居てよ。お前一人好い目をして居るからつて、其れでお前は氣が濟むのか。能くある事ツた、風の吹く晚に山火事が起つたら、乃公逹四人は死なば一緖だ―――一人ぼツち仲間を置き去りにして逃げる譯にも行くめえ。本部からまかり間違つて食料が屆かない事でも有りやアお互に食ふものも半分づゝ分けなきやアなるめえ。人間は皆な兄弟分。自分ばかりが好きやア其れで好いと云ふもんぢや無えんだぜ。乃公逹はな、此のアメリカへ來てからもう五年になるんだが、たまに一遍だつて柔かい手に觸つて見た事もねえんだ。お前の寶物は誰のものでも無え、チヤンとお前樣の物だと云ふ事は分つて居らア。だからな、乃公逹はそれを無理無體に掠奪ふんだくツて乃公逹のものにして了はうと云ふんぢやねえんだ。可いか、唯だ貸して貰はうとお願ひ申すんだ。」

「歸り道に此の山の上の癲狂院てんきやうゐんを案内しやう。ワシントン州の州立ステート癲狂院アサイラムだから、此の邊では一寸有名だよ。」

「此うしたら如何だね。一の事、此處へ嚊を呼び寄せたら………。」

「早い話しがよ。お前は乃公逹の持つて居ねえものを持つて居るから、それを分けてくれと云ふのよ。」

「外でも無い。今夜一晚嚊を貸して貰ひてえんだが………。」

「嚊アをシアトルへ置いて來たツて………まア何て云ふ不用心な事をしたもんだ。」と如何にも驚いたやうに、大聲で他の仲間を見廻した。

「君は知つて居るかね。どうして狂氣なぞに成つたのだらう。」

「出來ねえと云ふのかね。其れア表向は何うか知らねえが、此の山の中の一軒家で、日本人は乃公おいら逹三人きりだ。心配する事はねえ。此處へつれて來りやア、お前も每日女房の顏が見られるし、乃公逹だつて煮焚にたきや洗濯もして貰へるし、食ふものだつて、乃公逹四人で分けてやりあア、女の一人位大した事はありやしねえ。」

「全くさね。用心するがいゝよ。」と他の一人が付加へた。以前の男は暫く無言で、泣き出しさうな顏をして居る新參者の様子をば上目でぢろ〳〵見遣つて居たが、大きなパイプで煙草を一吹しながら、

「僕も人から聞いた話なんだが………いくら日本人の社會が無法律だつたからツて、此れなんぞは隨分激しいと云つていゝね。もう六七年前の事だつて云ふ話だが………」と友は衣嚢かくしから煙草の袋を取出し指先で巧に卷煙草を作りながら話した。

「何ぼ何だつて、其樣事が………。」

「何です。」

「何です。」

「乃公の云ふのは然うぢや無え。それアお前さんの云ふ通り稼ぎに來たからにや其れ位の覺悟は無くちやならねえが、女一人をシアトルへ置くなア、川邊かはツぷちへ小兒を遊ばしとくよりも險呑けんのんだと云ふのさ。」

「へーえ。どうして。」

「はゝゝゝは。」と新參者は餘儀なさゝうに笑つた。

「はゝゝゝは、大變醉ツてるね。」

「どう云ふ話だ。」

「だつてお前さん、此の國へ來たからにや稼ぐのが目的だから、嚊と別れて居る位な事は覺悟の上だア。」と新參の彼は然し悲しさうな調子で云ふと、彼男は續いて、

「この癲狂院には日本人も二三人收容されて居るよ。」

「この國へ來たら、何樣尼ツちよ﹅﹅﹅﹅でも、女と云ふ女は皆な生きた千兩箱だ……千兩ぢや無え千弗箱だ。だから嬪夫ぴんぷてえ女衒ぜげん商賣しやうばいをして居る奴が、の目鷹の目で女を捜してゐるんだが、時にや隨分無慈悲な仕事をするよ。此れア眞實まつたくの話だぜ。夫婦連で往來を步いてゐる處を、いきなり後から行つて亭主を撲り倒して女房を搔攫かつさらつてそれなり雲隱れをしちまつた。此の廣いアメリカだものもう分るものか。一晚の中に何處か遠い處へ行つて女郞に賣れア、千弗は濡手で粟だ。お前さん、惡い事は云はねえ。早くどうかしないと飛んでもねえ事になるぜ。」

「お前さん、まだ來たてだから知らねえのも無理は無え。シアトルてえ處は………シアトルばかりにや限らねえ、此のアメリカへ來た日にア、何處へ行つたつて女一人を安隱にさしとく處はありやアしねえ。まアきずをつける位ならまだしもだ。お前さん、惡くするともう二度と嚊の顏は見られねえぜ。」

「おい。醉つて云ふんぢやねえ。冗談でも無い、洒落でもない。相談するんだが、どうだい。」

「おい、鳥渡相談があるんだ。」と呼び止めて他の仲間と目を見合せた。

「あの………勞働者のことかね。」と友は暫くした後初めてその意を得たものゝ如く、「大槪は先づ失望と云ふ奴が原因になるんだが、一人はそればかりぢや無い………實に可哀想な話さ。然しさう云つたやうな話はアメリカには珍らしく無いよ。」

「…………………」

「どうだい。話が分つたら、早く返事を聞かうぢや無えか。」

男は死んだ人の如く眞靑になり總身をぶる〳〵顫すばかり。女はその足許に泣き倒れて早や救を呼ぶ力さへ無い。

風雨は猶盛に人なき深山の中に吠狂ふ。やがて小屋の中には一聲女の悲鳴。……それを聞くと共に男は失心して其の場に倒れて了つた。

彼は蘇生したが、それなり氣が狂つて再び元の人間には立返らなかつた、彼は癲狂院アサイラムに收容さるゝ身となつたのである。

* * * *

私は殆ど茫然として了つた。友は早や草の上に橫へた自轉車を引起し、片足をペダルに掛けながら、

「然し仕方がないさね、然う云ふ運命に遇つたのが不幸と云ふより仕樣がないさね。我々は自分より强いものに出遇つたら、何をされても仕方がないよ。」と云つて二三間車をはしらせながら、後なる私の方を振り向き、「さうだらう、君。强いものには抵抗する事は出來ない。だから我々は Mighty God ……乃ち我々よりは强い全能の神に抵抗する事は出來ない。いやでも服從して居なければならないのだ。」

一人彼は愉快さうに笑つて、夕陽の光眩き牧場をば、一散に車の速度を早めたので、私は無言の儘彼に遲れまじと、頻にペダルを踏みしめた。

何處からともなく野飼の牛の頸につけた鈴の音が聞える。南の方ポートランド行の列車が野の端れを走つて居る。

(明治卅七年一月)

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牧場の道