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戯作三昧

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十四

茶の間の方では、癇高かんだかい妻のおひゃくの声や内気らしい嫁のおみちの声がにぎやかに聞えている。時々太い男の声がまじるのは、折からせがれ宗伯そうはくも帰り合せたらしい。太郎は祖父の膝にまたがりながら、それを聞きすましでもするように、わざとまじめな顔をして天井を眺めた。外気にさらされた頬が赤くなって、小さな鼻の穴のまわりが、息をするたびに動いている。

「あのね、お祖父じい様にね。」

馬琴はとうとうふき出した。が、笑いの中ですぐまたことばをつぎながら、

馬琴の心に、厳粛な何物かが刹那せつなにひらめいたのは、この時である。彼の唇には幸福な微笑が浮んだ。それとともに彼の眼には、いつか涙がいっぱいになった。この冗談は太郎が考え出したのか、あるいはまた母が教えてやったのか、それは彼の問うところではない。この時、この孫の口から、こういうことばを聞いたのが、不思議なのである。

断然として首を振った太郎は、馬琴の膝から、半分腰をもたげながら、あごを少し前へ出すようにして、

太郎はこう言って、糸鬢奴いとびんやっこの頭を仰向けながら自分もまた笑い出した。眼を細くして、白い歯を出して、小さなえくぼをよせて、笑っているのを見ると、これが大きくなって、世間の人間のようなあわれむべき顔になろうとは、どうしても思われない。馬琴は幸福の意識におぼれながら、こんなことを考えた。そうしてそれが、さらにまた彼の心をくすぐった。

太郎は悪戯いたずらそうに、ちょいと彼の顔を見た。そうして笑った。

こう言うとともに、この子供は、家内中に聞えそうな声で、うれしそうに笑いながら、馬琴につかまるのを恐れるように、急いで彼のかたわらから飛びのいた。そうしてうまく祖父をかついだおもしろさに小さな手をたたきながら、ころげるようにして茶の間の方へ逃げて行った。

「違う。」

「辛抱しているよ。」馬琴は思わず、真面目な声を出した。

「誰がそんなことを言ったのだい。」

「観音様がそう言ったか。勉強しろ。癇癪を起すな。そうしてもっとよく辛抱しろ。」

「浅草の観音かんのん様がそう言ったの。」

「御勉強なさい。」

「よく毎日まいんち。」

「もっと、もっとようく辛抱なさいって。」

「まだ何かあるかい?」

「まだね。いろんなことがあるの。」

「まだあるの。」

「どんなことが。」

「ですからね。よくね。辛抱おしなさいって。」

「だあれだ?」

「それはね。」

「それから?」

「それから――ええと――癇癪かんしゃくを起しちゃいけませんって。」

「そうさな。今日は御仏参に行ったのだから、お寺の坊さんに聞いて来たのだろう。」

「おやおや、それっきりかい。」

「えらくなりますから?」

「ええと――お祖父様はね。今にもっとえらくなりますからね。」

「うん。」

「うん、よく毎日まいんち?」

「あのね。」

栗梅くりうめの小さな紋附を着た太郎は、突然こう言い出した。考えようとする努力と、笑いたいのをこらえようとする努力とで、えくぼが何度も消えたり出来たりする。――それが馬琴には、おのずから微笑を誘うような気がした。

六十何歳かの老芸術家は、涙の中に笑いながら、子供のようにうなずいた。

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十四