老いたる素戔嗚尊在线阅读

老いたる素戔嗚尊

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色のない焔はまたたく内に、濛々もうもうと黒煙を挙げ始めた。と同時にその煙の下から、茨や小篠をざさの焼ける音が、けたたましく耳をはじき出した。

「今度こそあの男を片づけたぞ。」

須世理姫は眼を伏せてゐたが、思ひの外はつきりと、父親の言葉をさへぎつた。

須世理姫は彼の去つた後も、暫くは、暗く火照ほてつた空へ、涙ぐんだ眼を挙げてゐたが、やがて頭を垂れながら、悄然せうぜんと宮へ帰つて行つた。

素戔嗚は高い岩の上に、ぢつと弓杖ゆんづゑをつきながら、兇猛な微笑を浮べてゐた。

素戔嗚は色を変へて、須世理姫をにらみつけた。が、それ以上彼女をらす事は、どう云ふものか出来なかつた。

素戔嗚はその姿を見ると、急に彼女の悲しさを踏みにじりたいやうな気がし出した。

素戔嗚はかう心のうちに、もう一度満足の吐息を洩らすと、何故か云ひやうのない寂しさがかすかに湧いて来るやうな心もちがした。……

火はますます燃え拡がつた。鳥は苦しさうに鳴きながら、何羽も赤黒い空へ舞ひ上つた。が、すぐに又煙に巻かれて、紛々と火の中へ落ちて行つた。それがまるで遠くからは、嵐に振はれた無数の木の実が、しつきりなくこぼれ飛ぶやうに見えた。

彼は須世理姫に背を向けて、荒々しく門の内へはひつて行つた。さうして宮の階段きざはしを上りながら、忌々いまいましさうに舌を打つた。

彼はこんな事を考へながら、青い匂のする菅畳の上に、幾度となく寝返りを打つた。眠はそれでも彼の上へ、容易に下らうとはしなかつた。

その日の薄暮、勝ち誇つた彼は腕を組んで、宮の門に佇みながら、まだ煙の迷つてゐる荒野の空を眺めてゐた。すると其処へ須世理姫が、夕餉ゆふげの仕度の出来たことを気がなささうに報じに来た。彼女は近親のを弔ふやうに、何時の間にかまつ白なを夕明りの中に引きずつてゐた。

その夜素戔嗚は何時までも、眠に就く事が出来なかつた。それは葦原醜男を殺した事が、何となく彼の心の底へ毒をさしたやうな気がするからであつた。

「悲しければ、勝手に泣くが好い。」

「悲しうございます。よしんば御父様が御歿おなくなりなすつても、これ程悲しくございますまい。」

「存じて居ります。」

「何時ものおれなら口も利かずに、打ちのめしてやる所なのだが……」

「今度こそあの男を片づけたぞ。」

「さうか? ではさぞかし悲しからうな?」

「おれは今までにもあの男を何度殺さうと思つたかわからない。しかしまだ今夜のやうに、妙な気のした事はないのだが……」

「あの空を見ろ。葦原醜男は今時分――」

その間に寂しい暁は早くも暗い海の向うに、うすら寒い色を拡げ出した。

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