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芋粥

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或年の正月二日、基経のだいに、所謂いはゆる臨時の客があつた時の事である。(臨時の客は二宮にぐう大饗だいきやうと同日に摂政関白家が、大臣以下の上達部かんだちめを招いて催す饗宴で、大饗と別に変りがない。)五位も、外の侍たちにまじつて、その残肴ざんかう相伴しやうばんをした。当時はまだ、取食とりばみの習慣がなくて、残肴は、その家の侍が一堂に集まつて、食ふ事になつてゐたからである。もつとも、大饗に等しいと云つても昔の事だから、品数の多い割りに碌な物はない、餅、伏菟ふと蒸鮑むしあはび干鳥ほしどり、宇治の氷魚ひを近江あふみふな、鯛の楚割すはやり、鮭の内子こごもり焼蛸やきだこ大海老おほえび大柑子おほかうじ、小柑子、橘、串柿などのたぐひである。唯、その中に、例の芋粥があつた。五位は毎年、この芋粥を楽しみにしてゐる。が、何時も人数が多いので、自分が飲めるのは、いくらもない。それが今年は、特に、少かつた。さうして気のせゐか、何時もより、余程味が好い。そこで、彼は飲んでしまつた後の椀をしげしげと眺めながら、うすい口髭についてゐるしづくを、掌で拭いて誰に云ふともなく、「何時になつたら、これに飽ける事かのう」と、かう云つた。

「大夫殿は、芋粥に飽かれた事がないさうな。」

彼は、それを聞くと、あわただしく答へた。

始終、いぢめられてゐる犬は、たまに肉を貰つても容易によりつかない。五位は、例の笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、利仁の顔と、からの椀とを等分に見比べてゐた。

五位は赤くなつて、どもりながら、又、前の答を繰返した。一同が今度も、笑つたのは、云ふまでもない。それが云はせたさに、わざわざ念を押した当の利仁に至つては、前よりも一層可笑をかしさうに広い肩をゆすつて、哄笑こうせうした。この朔北さくほくの野人は、生活の方法を二つしか心得てゐない。一つは酒を飲む事で、他の一つは笑ふ事である。

五位は、その中に、衆人の視線が、自分の上に、集まつてゐるのを感じ出した。答へ方一つで、又、一同の嘲弄を、受けなければならない。或は、どう答へても、結局、莫迦ばかにされさうな気さへする。彼は躊躇ちうちよした。もし、その時に、相手が、少し面倒臭そうな声で、「おいやなら、たつてとは申すまい」と云はなかつたなら、五位は、何時いつまでも、椀と利仁とを、見比べてゐた事であらう。

五位のことばをはらない中に、誰かが、嘲笑あざわらつた。さびのある、鷹揚おうやうな、武人らしい声である。五位は、猫背の首を挙げて、臆病らしく、その人の方を見た。声の主は、その頃同じ基経の恪勤かくごんになつてゐた、民部卿時長の子藤原利仁としひとである。肩幅の広い、身長みのたけの群を抜いたたくましい大男で、これは、煠栗ゆでぐりを噛みながら、黒酒くろきさかづきを重ねてゐた。もう大分酔がまはつてゐるらしい。

この問答を聞いてゐた者は、皆、一時に、失笑した。「いや……忝うござる。」――かう云つて、五位の答を、真似る者さへある。所謂、橙黄橘紅とうくわうきつこうを盛つた窪坏くぼつきや高坏の上に多くのもみ烏帽子やたて烏帽子が、笑声と共に一しきり、波のやうに動いた。中でも、もつとも、大きな声で、機嫌よく、笑つたのは、利仁自身である。

「忝うござる。」

「どうぢや。」

「では、その中に、御誘ひ申さう。」さう云ひながら、彼は、ちよいと顔をしかめた。こみ上げて来る笑と今飲んだ酒とが、喉で一つになつたからである。「……しかと、よろしいな。」

「お気の毒な事ぢやの。」利仁は、五位が顔を挙げたのを見ると、軽蔑と憐憫れんびんとを一つにしたやうな声で、語を継いだ。「お望みなら、利仁がお飽かせ申さう。」

「おいやかな。」

「いや……かたじけなうござる。」

「……」

「……」

しかしさいはひに談話の中心は、程なく、この二人を離れてしまつた。これは事によると、外の連中が、たとひ嘲弄にしろ、一同の注意をこの赤鼻の五位に集中させるのが、不快だつたからかも知れない。兎に角、談柄だんぺいはそれからそれへと移つて、酒もさかな残少のこりずくなになつた時分には、なにがしと云ふ侍学生がくしやうが、行縢むかばきの片皮へ、両足を入れて馬に乗らうとした話が、一座の興味を集めてゐた。が、五位だけは、まるで外の話が聞えないらしい。恐らく芋粥の二字が、彼のすべての思量を支配してゐるからであらう。前に雉子きぎすいたのがあつても、箸をつけない。黒酒の杯があつても、口を触れない。彼は、唯、両手を膝の上に置いて、見合ひをする娘のやうに霜に犯されかかつたびんの辺まで、初心うぶらしく上気しながら、何時までも空になつた黒塗の椀を見つめて、多愛もなく、微笑してゐるのである。……

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