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拾捌じゅうはち

 末造がお玉に買って遣った紅雀は、図らずもお玉と岡田とがことばを交すなかだちとなった。

この話をし掛けたので、僕はあの年の気候の事を思い出した。あの頃は亡くなった父が秋草を北千住きたせんじゅの家の裏庭に作っていたので、土曜日に上条から父の所へ帰って見ると、もう二百十日が近いからと云って、篠竹しのだけを沢山買って来て、女郎花おみなえしやら藤袴ふじばかまやらに一本一本それを立てえて縛っていた。しかし二百十日は無事に過ぎてしまった。それから二百二十日があぶないと云っていたが、それも無事に過ぎた。しかしその頃から毎日毎日雲のたたずまいが不穏になって、暴模様あれもようが見える。折々又夏に戻ったかと思うような蒸暑いことがある。たつみから吹く風が強くなりそうになっては又む。父は二百十日が「なしくずし」になったのだと云っていた。

岡田は僕の方へ振り向いて云った。「きょうも又妙にむしむしするじゃないか。僕の所には蚊が二三びきいてうるさくてしようがない」

僕は腹の中で思った。こっちもぼんやりしていたが、岡田もぱりぼんやりしていたようだ。何か考え込んでいたのではあるまいか。こう思うと同時に、岡田がどんな顔をしているか見たいような気がした。そこで重ねて声を掛けて見た。「君、邪魔をしに往ってもいかい」

僕は或る日曜日の夕方に、北千住から上条へ帰って来た。書生は皆外へ出ていて、下宿屋はひっそりしていた。自分の部屋へ這入はいって、しばらくぼんやりしていると、今まで誰もいないと思っていた隣の部屋でマッチをる音がする。僕は寂しく思っていた時だから、直ぐに声を掛けた。

僕は廊下に出て、岡田の部屋の障子を開けた。岡田は丁度鉄門の真向いになっている窓を開けて、机にひじいて、暗い外の方を見ている。たてに鉄の棒を打ち附けた窓で、その外には犬走りに植えた側柏ひのきが二三本ほこりを浴びて立っているのである。

僕は岡田の机の横の方に胡坐あぐらいた。「そうだねえ。僕の親父は二百十日のなし崩しと称している」

「蛇退治を遣ったのだ」岡田は僕の方へ顔を向けた。

「美人をでも助けたのじゃないか」

「岡田君。いたのか」

「好いどころじゃない。実はさっき帰ってからぼんやりしていた所へ、君が隣へ帰って来てがたがた云わせたので、奮って明りでも附けようと云う気になったのだ」こん度は声がはっきりしている。

「ふん。二百十日のなし崩しとは面白いねえ。なる程そうかも知れないよ。僕は空が曇ったり晴れたりしているもんだから、出ようかどうしようかと思って、とうとう午前の間中寝転んで、君に借りた金瓶梅きんぺいばいを読んでいたのだ。それから頭がぼうっとして来たので、午飯ひるめしを食ってからぶらぶら出掛けると、妙な事に出逢ってねえ」岡田は僕の顔を見ずに、窓の方へ向いてこう云った。

「どんな事だい」

「うん」返事だか、なんだか分からぬような声である。僕と岡田とは随分心安くなって、他人行儀はしなくなっていたが、それにしてもこの時の返事はいつもとは違っていた。

「いや。助けたのは鳥だがね、美人にも関係しているのだよ」

「それは面白い。話して聞かせ給え」

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拾捌じゅうはち