アグニの神在线阅读

アグニの神

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妙子は勿論婆さんも、この魔法を使う所は、誰の眼にも触れないと、思っていたのに違いありません。しかし実際は部屋の外に、もう一人戸の鍵穴かぎあなから、のぞいている男があったのです。それは一体誰でしょうか?――言うまでもなく、書生の遠藤です。

遠藤は妙子の手紙を見てから、一時は往来に立ったなり、夜明けを待とうかとも思いました。が、お嬢さんの身の上を思うと、どうしてもじっとしてはいられません。そこでとうとう盗人ぬすびとのように、そっと家の中へ忍びこむと、早速この二階の戸口へ来て、さっきから透き見をしていたのです。

遠藤は鍵穴に眼を当てたまま、婆さんの答を待っていました。すると婆さんは驚きでもするかと思いのほか、憎々しい笑い声をらしながら、急に妙子の前へ突っ立ちました。

婆さんはどこからとり出したか、眼をつぶった妙子の顔の先へ、一挺のナイフを突きつけました。

婆さんはちょいとためらったようです。が、忽ち勇気をとり直すと、片手にナイフを握りながら、片手に妙子の襟髪えりがみつかんで、ずるずる手もとへ引き寄せました。

婆さんは呆気あっけにとられたのでしょう。暫くは何とも答えずに、あえぐような声ばかり立てていました。が、妙子は婆さんに頓着とんじゃくせず、おごそかに話し続けるのです。

婆さんがこう言ったと思うと、息もしないように坐っていた妙子は、やはり眼をつぶったまま、突然口をき始めました。しかもその声がどうしても、妙子のような少女とは思われない、荒々しい男の声なのです。

しかし透き見をすると言っても、何しろ鍵穴を覗くのですから、蒼白い香炉の火の光を浴びた、死人のような妙子の顔が、やっと正面に見えるだけです。そのほかは机も、魔法の書物も、床にひれ伏した婆さんの姿も、まるで遠藤の眼にははいりません。しかししわがれた婆さんの声は、手にとるようにはっきり聞えました。

さっきから容子を窺っていても、妙子が実際睡っていることは、勿論遠藤にはわかりません。ですから遠藤はこれを見ると、さては計略が露顕したかと思わず胸をおどらせました。が、妙子は相変らず目蓋まぶた一つ動かさず、嘲笑あざわらうように答えるのです。

「人を莫迦ばかにするのも、い加減におし。お前は私を何だと思っているのだえ。私はまだお前に欺される程、耄碌もうろくはしていない心算つもりだよ。早速お前を父親へ返せ――警察の御役人じゃあるまいし、アグニの神がそんなことを御言いつけになってたまるものか」

「アグニの神、アグニの神、どうか私の申すことを御聞き入れ下さいまし」

「さあ、正直に白状おし。お前は勿体もったいなくもアグニの神の、声色こわいろを使っているのだろう」

「この阿魔あまめ。まだ剛情を張る気だな。よし、よし、それなら約束通り、一思いに命をとってやるぞ」

「お前も死に時が近づいたな。おれの声がお前には人間の声に聞えるのか。おれの声は低くとも、天上に燃える炎の声だ。それがお前にはわからないのか。わからなければ、勝手にするがい。おれはただお前に尋ねるのだ。すぐにこの女の子を送り返すか、それともおれの言いつけに背くか――」

「お前はあわれな父親の手から、この女の子を盗んで来た。もし命が惜しかったら、明日あすとも言わず今夜の内に、早速この女の子を返すがい」

「いや、おれはお前の願いなぞは聞かない。お前はおれの言いつけにそむいて、いつも悪事ばかり働いて来た。おれはもう今夜限り、お前を見捨てようと思っている。いや、その上に悪事の罰を下してやろうと思っている」

婆さんはナイフを振り上げました。もう一分間遅れても、妙子の命はなくなります。遠藤は咄嗟とっさに身を起すと、錠のかかった入口の戸を無理無体に明けようとしました。が、戸は容易に破れません。いくら押しても、叩いても、手の皮がけるばかりです。

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