アグニの神在线阅读

アグニの神

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その日のかれこれ同じ時刻に、この家の外を通りかかった、年の若い一人の日本人があります。それがどう思ったのか、二階の窓から顔を出した支那人の女の子を一目見ると、しばらくは呆気あっけにとられたように、ぼんやり立ちすくんでしまいました。

そこへ又通りかかったのは、年をとった支那人の人力車夫です。

遠藤は片手にピストルを握ったまま、片手に次の間の戸口を指さしました。

遠藤はピストルを挙げました。いや、挙げようとしたのです。が、その拍子に婆さんが、からすくような声を立てたかと思うと、まるで電気に打たれたように、ピストルは手から落ちてしまいました。これには勇み立った遠藤も、さすがにきもをひしがれたのでしょう、ちょいとの間は不思議そうに、あたりを見廻していましたが、忽ち又勇気をとり直すと、

遠藤はこう言いながら、上衣うわぎの隠しに手を入れると、一ちょうのピストルを引き出しました。

遠藤が次の間へ踏みこもうとすると、咄嗟とっさに印度人の婆さんは、その戸口に立ちふさがりました。

日本人は腕を組んだまま、婆さんの顔をにらみ返しました。

日本人は一句一句、力を入れて言うのです。

日本人はその人力車夫へ、いきなりこう問いかけました。支那人は楫棒かじぼうを握ったまま、高い二階を見上げましたが、「あすこですか? あすこには、何とかいう印度人の婆さんが住んでいます」と、気味悪そうに返事をすると、匆々そうそう行きそうにするのです。

支那人の車夫が行ってしまってから、日本人は腕を組んで、何か考えているようでしたが、やがて決心でもついたのか、さっさとその家の中へはいって行きました。すると突然聞えて来たのは、婆さんのののしる声に交った、支那人の女の子の泣き声です。日本人はその声を聞くが早いか、一股ひとまたに二三段ずつ、薄暗い梯子はしごけ上りました。そうして婆さんの部屋の戸を力一ぱい叩き出しました。

戸は直ぐに開きました。が、日本人が中へはいって見ると、そこには印度人の婆さんがたった一人立っているばかり、もう支那人の女の子は、次の間へでも隠れたのか、影も形も見当りません。

婆さんはやはり嘲るように、にやにやひとり笑っているのです。

婆さんはさも疑わしそうに、じろじろ相手の顔を見ました。

婆さんはますます疑わしそうに、日本人の容子ようすうかがっていました。

しかし印度人の婆さんは、少しもこわがる気色けしきが見えません。見えないどころかくちびるには、反って人を莫迦にしたような微笑さえ浮べているのです。

が、婆さんもさるものです。ひらりと身をかわすが早いか、そこにあったほうきをとって、又つかみかかろうとする遠藤の顔へ、ゆかの上の五味ごみを掃きかけました。すると、その五味が皆火花になって、眼といわず、口といわず、ばらばらと遠藤の顔へ焼きつくのです。

「魔法使め」とののしりながら、とらのように婆さんへ飛びかかりました。

「貰い子か貰い子でないか、一目見りゃわかることだ。貴様がつれて来なければ、おれがあすこへ行って見る」

「私の主人は香港ホンコンの日本領事だ。御嬢さんの名は妙子たえこさんとおっしゃる。私は遠藤という書生だが――どうだね? その御嬢さんはどこにいらっしゃる」

「私の主人の御嬢さんが、去年の春行方ゆくえ知れずになった。それを一つ見て貰いたいんだが、――」

「占いしゃです。が、この近所のうわさじゃ、何でも魔法さえ使うそうです。まあ、命が大事だったら、あの婆さんの所なぞへは行かない方がいようですよ」

「何を見て上げるんですえ?」

「何か御用ですか?」

「まあ、待ってくれ。そうしてその婆さんは、何を商売にしているんだ?」

「それでもまだ剛情を張るんなら、あすこにいる支那人をつれて来い」

「そうです」

「じゃ私の用なぞは、聞かなくてもわかっているじゃないか? 私も一つお前さんの占いを見て貰いにやって来たんだ」

「この近所にいらっしゃりはしないか? 香港の警察署の調べた所じゃ、御嬢さんをさらったのは、印度人らしいということだったが、――隠し立てをするとためにならんぞ」

「ここは私のうちだよ。見ず知らずのお前さんなんぞに、奥へはいられてたまるものか」

「お前さんは占い者だろう?」

「お前さんは何を言うんだえ? 私はそんな御嬢さんなんぞは、顔を見たこともありゃしないよ」

「おい。おい。あの二階に誰が住んでいるか、お前は知っていないかね?」

「あれは私の貰い子だよ」

退け。退かないと射殺うちころすぞ」

うそをつけ。今その窓から外を見ていたのは、たしかに御嬢さんの妙子さんだ」

遠藤はとうとうたまり兼ねて、火花の旋風つむじかぜに追われながら、ころげるように外へ逃げ出しました。

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