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樗牛の事

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ちょうどそれと反対なのは、竜華寺りゅうげじにある樗牛の墓である。

はじめ、竜華寺へ行ったのは中学の四年生の時だった。春の休暇のある日、たしか静岡しずおかから久能山くのうざんへ行って、それからあすこへまわったかと思う。あいにくの吹き降りで、不二見村ふじみむらの往還から寺の門まで行く路が、文字通りくつを没するほどぬかっていたが、その春雨にぬれた大覇王樹だいはおうじゅが、青い杓子しゃくしをべたべたのばしながら、もの静かな庫裡くりを後ろにして、夏目先生の「草枕くさまくら」の一節を思い出させたのは、今でも歴々と覚えている。それから急な石段を墓の所へ登ると、すみれがたくさん咲いていた。いや、墓の上にも、だれがやったのだか、その菫を束にしたのが二つ三つ載せてあった。墓はあの通り白い大理石で、「吾人はすべからく現代を超越せざるべからず」が、「高山林次郎たかやまりんじろう」という名といっしょに、あざやかなのみあとを残している。自分はそのなめらかな石のおもてに、ちらばっているすみれの花束をいかにも樗牛にふさわしいたむけの花のようにながめて来た。その後、樗牛の墓というと、必ず自分の記憶には、この雨にぬれている菫の紫が四角な大理石といっしょに髣髴ほうふつされたものである。これはさらに自分の思い出したくないことであるが、おそらくその時の自分は、いかにも偉大な思想家の墓前をうらしい、思わせぶりな感傷にち満ちていたことだろうと思う。ことによるとそのあとで、「竜華寺りゅうげじもうずるの記」くらいは、惻々そくそくたる哀怨あいえんの辞をつらねて、書いたことがあるかもしれない。

ところがこのごろになって、あの近所を通ったついでに、ふと樗牛のことを思い出して、また竜華寺へ出かけて行った。その日は夏の晴天で、脂臭やにくさ蘇鉄そてつのにおいが寺の庭に充満しているころだったが、例の急な石段を登って、山の上へ出てみると、ほとんど意外だったくらい、あの大理石の墓がくだらなく見えた。どうも貧弱で、いやに小さくまとまっていて、その上またはなはだ軽佻浮薄けいちょうふはくな趣がある。これじゃ頼もしくないと思って、雑木ぞうきの涼しい影が落ちている下へ、くたびれたしりをすえたまま、ややしばらく見ていたが、やはりくだらないという心もちは取消しようがない。第一、そばに立っている日本風のお堂との対照ばかりでも、悲惨なこっけいの感じが先にたってしまう。その上荒れはてた周囲の風物が、四方からこの墓の威厳を害している。一山いっさんせみの声の中にうもれながら、自分は昔、春雨にぬれているこの墓を見て、感に堪えたということがなんだかうそのような心もちがした。と同時にまた、なんだか地下の樗牛に対してきのどくなような心もちがした。不二山ふじさんと、大蘇鉄だいそてつと、そうしてこの大理石の墓と――自分は十年ぶりで「わが袖の記」を読んだのとは、全く反対な索漠さくばくさを感じて、匆々そうそう竜華寺の門をあとにした。爾来じらい今日こんにちに至っても、二度とあのきのどくな墓に詣でようという気は樗牛に対しても起す勇気がない。

しかし怪しげな、国家主義の連中が、彼らの崇拝する日蓮上人にちれんしょうにんの信仰を天下に宣伝した関係から、樗牛の銅像なぞを建設しないのは、まだしも彼にとって幸福かもしれない。――自分は今では、時々こんなことさえ考えるようになった。

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